ビョークとダーティー・プロジェクターズのコラボレーションはまだ未聴ですが、まったく違和感のない組み合わせだと思います。



ビョークが昔やっていたバンドのシュガーキューブスなんて音は完全にポストパンクという感じでしたし、ダーティー・プロジェクターズのポストパンクな感じの音作り、ストリングス、ポリフォニックな声の使い方などビョークとの親和性はかなりありそうです。



ダーティー・プロジェクターズの「Bitte Orca」の1曲目「Cannibal Resource」を聴いてザップママのピグミー・ポリフォニーを思い出した人は少なくないと思います。



そのザップママのアルバムは、今のニューヨーク・シーンの元祖とでも言えるようなデヴィッド・バーンのレーベルから出ていたのも象徴的です。



80年代のニューウェーブの頃はポストモダンと土着的なものを融和しようとする試みがたくさんありましたが、スリッツのアルバム「Cut」のジャケットのイメージのように映画「食人族」(Cannibal!)のような見せ物小屋的な禍々しさが溢れていました。



それに比べるとダーティー・プロジェクターズやヴァンパイア・ウィークエンドの音楽は軽やかでカラフルでポップに感じられて、ポストモダンは完遂されたように感じます。



初めてヴァンパイア・ウィークエンドを聴いたときは、カメルーン出身の「レ・テット・ブリューレ」なんていう懐かしいバンドを思い出してしまいました。



ニューヨークを感じさせる作家としてジム・ジャームッシュがいますが、彼はピグミー・ポリフォニーのマニアと聞いていますが、僕も深く魅了されたうちの1人で、大量なCDの中でもピグミー・ポリフォニーのCDコレクションは特に自慢できるものです。



今のニューヨークにはフェラ・クティ・スタイルのアフロビートを奏でるグループはいくつもありますが、シェウン・クティの新しいアルバムは最高です。



このアルバムはアメリカではポストモダンのレーベルと言っても良さそうなニッティング・ファクトリー・レーベルから出ているのも嬉しいところです。



父親のフェラ・クティが何人もの女性をはべらせながら、マリファナの煙をくゆらせていたような神々しい禍々しさはもはや求めるべくもありませんが、現代っ子然としたシェウンもクールで格好いいのです音符



1603junさんのブログ-61YuDB5Z5JL.jpg

ミュージック・マガジンで「音楽の快楽を科学的に記述できるか」という対談がありましたが、なかなか興味深い内容でしたひらめき電球


高橋健太郎さんのいう音響の快楽的な情動には普遍性があるんじゃないかという問題提起はとても興味深いものがありますニコニコ


そのミュージシャンの生い立ち、どんなものに影響を受けたか、伝統的なものに根ざしているかなんてことはどうでもいいことだし、そういうイデオロギー的なものを超えたところにある快楽こそが、その音楽を普遍的なものたらしめるというのは、フジロックなどで初めて聴くミュージシャンにやられてしまう体験などでみなが感じていることだと思います音符



ミュージックマガジンで特集されていたパフュームの音楽などは、そもそもエフェクトされたボーカルでは歌詞を伝えるというよりも、記号的とも言っていいようなキッチュな声の可愛らしさをアンプリファイするためのもののようにも感じます。


そういった意味ではパフュームの音などはもはや音楽というより音響と言った方がしっくり来ます。




今日が真珠湾攻撃の日ということもあってか、NHKで太平洋戦争を戦った人達のドキュメントを放送していました。



日本から遠く離れた海に浮かぶ島々で戦った旧日本兵が、一般人を虐殺してしまったのを悔恨の思いで涙ながらに語っていましたが、戦争中では当たり前だったイデオロギーから解放され素朴に現地の人々の哀しみを想像出来るようになったのだと思います。



その苦痛に満ちた表情を見ると、イデオロギーの違いによって取り返しがつかないことをしてしまった場合などは、そのイデオロギーから解放されてしまうことは残酷極まることなのかも知れません。



一つ気掛かりになってしまうのは、その素朴な共感というものはどこまで信じることができるものなのでしょう?


患者の赤ちゃんたちを見ていると、早い段階で空気を読むことの必要性を感じているのは明らかです。


そういうことを考えると極端に言えば、赤ん坊の原初的な叫び(Primal Scream!)でさえイデオロギーから本当に自由でいられるのだろうかなんてことも考えてしまいます。



ナチスにおいてはヒトラーの演説や音楽などを音響的な快楽を人々の精神的な高揚に繋げようとしていたのは有名な話です。


東浩紀さんはそれも考慮して、密室的に熟成させる議論を牽制するものとして素朴な共感を措定しているのだと思いますが、素朴な感情を記号的にコントロールしようとするテクノロジーはハリウッド的なものと親和性がありそうですし、資本の原理で暴走する匂いがプンプンするのが怖ろしいところですガーン



理屈やイデオロギーではない感動や共感には果たして根拠があるのかはやはり本質的な問題だと思います。


プラグマティズムを追求することの落とし穴とでも言うのか、果たして人は哲学することから自由になることはできるのでしょうか?


もちろん反語ですガーン


イデオロギーや宗教は趣味の領域にしておいて欲しいと思いますが、自省するという意味では哲学の必要性は変わらないように思います。

ユナイテッドもシティもともにマンチェスター勢がチャンピオンズ・リーグで敗退するということになりました。



シティに関してはグループ・リーグに同居したチームが、ビジャレアルを除けばバイエルンもナポリもそれぞれのリーグで成績だけでなく、内容も高く評価されている好調なチームだったというのは本当に厳しい状況でした。


そんな中でシティが勝点を取りこぼしをしたのはやはりチャンピオンズ・リーグでの経験値の少なさを反映していたように思います。


と言ってもチャンピオンズ・リーグでの経験値もMAXなユナイテッドも敗退してしまったわけですが、ユナイテッドはシティとのマンチェスター・ダービーの後は若い選手主体のチームの脆さというか綻びが目立っているように感じます。



この2チームが敗退してしまうとストップ・ザ・・バルサに1番近いところにいるのはやはりレアル・マドリードということになってしまうように思います。


今週末に開催されるクラシコも楽しみなバルセロナとレアル・マドリードが組み合わせ次第ではいよいよCLリーグ決勝でぶつかるなんていうことが起こるかも知れません。