ソウル・フラワー・ユニオンが音楽がどのように聞かれようと、音楽をきっかけに人が集まる場所が出来ればいいというようなことを言ってましたが、アンパンマンの歌やチンドン屋のレパートリーがあったりとしてアーティスト然としたエゴはまったくないように感じます。
一時期、ニューエストモデル~ソウルフラワーユニオンは聴き込むぐらい大好きなバンドでしたが、左翼的な臭いが強くなっていくとともに敬遠していった覚えがあります。
大塚英志さんが指摘するように「人々は情報がなかったと文句を言っていますが、赤旗などは原発の危険性を感情を煽るわけではなくて、きちんとデータを元に安全性について疑問を呈し続けていたのに誰も聞かなかっただけだ」というようなことを言っていますが、少数派の声であっても聞く耳を持つことの大切さを改めて感じます。
マルクスの言う労働からの疎外とか資本主義の暴走なんていう左翼的なテーマはマルクスの時代よりもはるかに深刻化しているように思います。
左翼的な思考をゲバ棒やヘルメットから解放して、ソウルフラワーユニオンを聴きながらもう一度考え直す必要を感じてしまいます。
ミュージック・マガジンの年間ベスト・アルバムの大石始さんという方が「〈3・11〉以降で日常と非日常が反転し、非日常を体験するために足を運んでいたはずのライブやパーティーが大切な〈日常〉だったことを実感した一年」というコメントを寄せていますが、本当にその通りで素敵な言葉だと思います。
宮台真司さんの言うリセットなんかできない「終わりなき日常」という意味がすごくはっきりしたように思います。
非日常の極みとも思えるようなフジロックや錦糸町河内音頭でさえ日常の中の喜びであったということを実感します。
祭りを楽しんだ後のブルーに沈み込むような寂しさを抱えながらでも帰れる場所があるってことは本当に素敵なことなんだと感じます。







