天の神は磯良神と同義。
高良神は、「いそら」神を意味していた。
彼は住吉神であり、天照。
那珂川は儺の國、神話の舞台であった。
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★目次
☆1 高良神は磯良神
☆2 イソ、イサ、イセは一番
磯良神は高良神
(「儺の國の星」23、伊佐星より引用)
今から六千年前に完成していたウラル系祖語では太初をice(イツエ)、 isa(イサ)と言う。
...筑紫の国を“身一つにして面四つあり”とよんでいたが、一を iso(イソ)、四を la(ラ)と数えた遠い神代の詞が秘められているのである。
...那珂川では、昔から天の川を”あまのがわ”とは言はずに”いそのかわ”の名が通りました。(…は中略)
「筑紫の国を”身一つにして面四つあり」
神話のイザナギ神、イザナミ神の国産みの箇所の「筑紫島の四つの面」である。
これに関わるのが、筑後国一之宮の高良大社の高良神であった。
「四つの面」の一つ、白日別が「筑紫の国魂」であり、高良神を意味するからだ。
彼は安曇磯良神*磯良(イソラ)神。
那珂川では天の川をいそらかわと言った。
「天」が「磯」と同義であると、伝わっていたことになる。
左 海面上昇シュミレーションシステム
右 Google map
★磯良神
「身一つにして面四つあり」の、一がイソ、四がラ。
イソラとは磯良神であり、高良神を意味している。
白日別が彼なのだから必然になる。
つまり、神話のその言葉自体、磯良神=高良神に繋がっていたということだ。
筑紫は四つに分かれていた。
古代、玄界灘と有明海は繋がれていたのだ。
これに関する伝承が、「儺の國の星」に記されていた。
博多櫛田神社だけに残る大畑主命。
その物語だという。
天照大神の御手を引いて、西なる高来島から東なる宇佐島に遷し奉った...。
下の回にあるのが、「儺の國の星」の高来島と宇佐島の記述。
東の佐島と西の高来島の二つに別れていた。西は又の名を天原(あまのはら)とも称した。
つまり、櫛田神社の大畑主命が、天照大神の手を引いて、西の高来島から宇佐島へ移ったということだ。
(この記述以外に、神社誌などに載っていない)
普通、社の伝承は、神の由緒を示唆する。
櫛田神社の御祭神は、大幡主神(櫛田神)、天照大神、スサノオ命。
文中の「大畑主神」とは、櫛田神社の主祭神の大幡主神となる。
ここにスサノオ命も祀られている。
彼は祇園の神であった。
更に、高良神の下社は「祇園さん」と呼称。
主祭神が違うのならばその呼びは失礼になるので、高良神が祇園神=スサノオ命である。
祇園神は牛頭天王であり、ツヌガアラシトと同神。
「高良玉垂宮神秘書」の高良峰からも、両神は繋がっている。
そして、ツヌガアラシトが追っていたというヒメコソ神から饒速日命に繋がるのだ。
高良神はその実、饒速日命であり、天照大神。
櫛田神社の三柱は、同神となる。
では、「大畑主神」の伝承が繋がる。
高良神は饒速日命であり、男の天照大神。
その后の御炊屋姫は、女の天照大神であった。
彼女は宇佐の神=姫大神である宗像神(市杵島姫命)。
(詳細、以下の記事で)
宇佐神宮には、もう一柱の女神がおられる。
神功皇后だ。
彼女は「神秘書」に記された高良神の后であり、高良大社の本殿合祀の豊姫。
同神であった。
(后以外に祀ると失礼になる)
では、「高来島から宇佐島へ渡ったのは、高良神と神功皇后であり、彼らが饒速日命と御炊屋姫」となる。
何故、「渡った」のか。
(女神の)天照大神は元は高来島におり、宇佐島の神へとなったからととれるだろう。
九州の宗廟が高良大社から、宇佐神宮へと移されている。
彼らの後の時代の為政者により、変えられたのだ。
それは、天照が高良神から、宇佐の神の神功皇后(宗像神)に変えられたことを意味していた。
大畑主神の物語はこれを示唆していると思われる。
また彼女は豊受大神でもあった。
(大神神社の御炊社は豊受大神)
白日別が高良神であり、豊日別がその后の豊姫、豊受大神になる。
彼ら(高良神=饒速日命、神功皇后=御炊屋姫)でないと繋がらない。
櫛田神社の大畑主神の伝承は、ともすると真鍋氏の創作ではないかと思う。
彼の祖先は鹿島神宮の神官の家系。
主な神社では、正確に伝わっている。
鹿島神は高良神と同神。
天照神が二柱おられること、高良神が彼らであることをご存知であったとしか思えない。
その視点で見ると「儺の國の星」は解けるのだ。
西は又の名を天原(あまのはら)とも称したとある。
天原とは、建日向豊久士比泥別であり、彼らが住まわれた「高天原」。
神話の舞台であり、天の川をいそのかわと呼んでいた那珂川、儺の國なのだ。
この地には天の神が磯良神であったことが、(その所以は分からずとも)伝わっていたことになる。
イソ、イサ、イセは一番
(「儺の國の星」23、伊佐星より引用)
最大の生物は海中では鯨であり...これを”いさ”或いは”きさ”とよぶ。伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)とは、神の始祖の意であり、伊勢とは宗神の座ますところの意である。
宗神とは、大元の神、本家の神。
つまり、イサもイセも、広い意味では「一番」ということになる。
そこに前述の「イソ」も加わる。
一番大きい、一番高い、高い所にある天。
皆、それであった。
ゆえに高良神の高は、「イソ」を意味し、そのまま「礒良神」を意味していた。
伊勢は古来、磯宮であった。
大元の神、本家の神を意味するのであろう。
大元の神が磯良神であり、高良神。
いそのかみである石上神宮の神。
また天は磯を意味する。
天照は磯良神であり、石上である饒速日命なのだ。
彼は住吉神でもある。
那珂川には住吉の元宮、現人神社がある。
筑紫の日向の橘の小戸のあわぎ原の水底から現れたのが、住吉神であった。
ここにはその全ての地形、地名がある。
彼は人として再び現れると、かの宮の伝承にある、現人の神である。
住吉神がおられる「儺の國の星」から、数多の謎が解けるのも、土地の人が「磯良神」を繋いできたゆえになる。
(つづく )
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