狭井神社のサイは、七夕百合を意味していた。

那珂川の「七夕華(さいき)」と同じ。

七夕の神は彼らであり、神の由緒を示唆するもの。

 

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★目次

☆1 狭井は七夕華

☆2 狭井神社の神

☆3 宗像神*市杵島姫命

☆4 七夕神*饒速日命と瀬織津姫

☆5 三輪神は七夕の神

 

  狭井は七夕華

(「儺の國の星」19、高津星(高津の星)より引用)

 

七夕百合は土用から立秋の間に白い花を開きます。古事記神武紀の狭井がそれで、天の川の磧(かわら)に咲く神華と信ぜられておりました。那珂川には”七夕華(さいき)”の古名も伝えられておりました。養老七(七二三)年に奉納されました香椎宮神楽踏歌”このとのは むべもとみけり さきくさの みつばよつばに とのつくりけり”の中の”さきくさ”も又それであります。天界から地上の繁栄を見守る白鳥の姿を、佐岐久佐(さきくさ)に譬(たと)えた歌でありました。

 

 

箇条書きで並べてみる。

☆七夕百合は土用から立秋の間に白い花が咲く。

☆古事記の神武紀の狭井のこと

☆天の川の河原に咲く神華

☆那珂川には七夕華(さいき)の古名がある

☆香椎宮の神楽踏歌には「さきくさ」

☆天界から地上の繁栄を見守る白鳥の姿を、佐岐久佐と例えた。

 

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☆1 「七夕百合」は白くない。

「儺の國の星」にある「七夕百合」というとカノコユリのこと。

淡くピンク色で、花の中に濃い斑点がある。

咲く時期は、土用が7月20日~8月7日、立秋が翌日なのでその間くらい。

ちょうど旧暦の七夕に咲くので、その名であろう。

 

那珂川には七夕華(さいき)の古名もあり、やはり七夕に結びついていると思われる。

 

☆2「古事記の神武紀の狭井」

この記述になる。

是に其の伊須気余理比売の家、狭井河(さいがわ)の上に在り。(中略)

其の河を*佐韋河(さいがわ)と謂う由(ゆえ)は、其の河の辺に、山ゆり草多(ぐささわ)に在り。故其の山ゆり草の名を取りて、佐韋河と号(なづ)く。山百合の草の本の名佐韋と云う。(「古事記」角川ソフィア文庫より)

*三輪山から流れる川

 

伊須気余理比売(いすけよりひめ)とは、神武天皇の后となった姫蹈鞴五十鈴姫(ひめたたらいすずひめ)のこと。

 

彼女は三輪山から流れる狭井川の上流に住んでいた。

狭井川の名の由来は、山ゆりの古名が「さい」であり、川辺に多く咲いていたことからという。

 

那珂川に伝わっていた七夕華(さいき)の名と一致する。

 

狭井の地には、大神神社の摂社の狭井神社がある。

その名の由来も同じであろう。

 

同じく摂社の率川神社には「三枝祭(さいくさのまつり)」がある。

大神神社の「花鎮祭」と共に疫病を鎮めることを祈る祭りであり、笹百合を花車に飾り街を進むという。

 

この笹百合の開花時期は、6月~7月ごろ。

三枝祭は例年6月17日とのことである。

こちらの花は白から淡いピンク色。

 

 

七夕百合であるカノコユリと、笹ユリでは開花時期が一か月ほど違う。

 

しかし、狭井が山ゆりを意味し、その古名が「さい」であるので、種類を問わず百合の花の古名がそれであったかもしれない。

 

  狭井神社の祭神

 

真鍋氏の「七夕百合」は、狭井の名と絡めてあり、白い花なので、笹百合をも意味しているのかと思われる。

「種類はともかく、百合が七夕と結びついている」ということだ。

 

祭りは祭神の為にあるもの。

アイテムは神の由緒を示唆する場合がある。

 

まずは狭井神社の祭神を探っていこう。

 

狭井神社

 

狭井神社の祭神は、大物主神、媛蹈鞴五十鈴姫、勢夜多々良姫命(せやたたらひめのみこと)、事代主神

 

勢夜多々良姫命は、別名、櫛玉姫。

櫛玉比女命神社の祭神、御炊屋姫。

よって、その夫の大物主神は饒速日命になる。

 

彼らの娘が、神武天皇の后の媛蹈鞴五十鈴姫だが、2~3世代ほど開きがある。

 

娘としているが、実は同神。

八咫烏である三島溝杙神は、加茂神であり、やはり彼らなのだ。

 

祀られている祭神は、二柱の神、饒速日命と御炊屋姫になる。

(詳細、下記)

 

  宗像神*市杵島姫命

 

狭井神社の祭神からも、饒速日命と御炊屋姫が導き出された。

彼女は、宗像神である。

 

前述の櫛玉比女命神社は、弁天様と呼ばれ、地名もそれであった。

弁天様は市杵島姫命(=宗像神)と習合されている。

 

彼らが大神神社の神、大物主神。

摂社の御炊社や、狭井神社には市杵島姫命社、その他の摂末社の神は全てこの二柱になる。

 

 

宗像大社の中津宮は、七夕発祥とされ七夕祭がある。

境内に天の川があり、牽牛社と織女社がある。

 

HPにはその由来があり、七夕伝承とは微妙に違うが、これは神の由緒(正体)を示唆しているものかもしれない。

 

彼らは七夕の神であった。

 

  七夕の神*饒速日命と瀬織津姫

 

七夕神社と言われる媛社(ひめこそ)神社には、饒速日命と𣑥幡千千姫(たなばた神)が祀られる。

 

神話では親子であるが、それでは七夕の伝承にはならないので、実はこの二柱は夫婦。

 

もう一つの姫古曽(ひめこそ)と同神と示唆する伝承がある。

祭神、市杵島姫

原初の神は織女神(たなばた神)。

ゆえに市杵島姫命=𣑥幡千千姫=織女神=瀬織津姫(女神天照)

 

媛社の饒速日命(男神天照)は、

姫古曽の高良大神、八幡大神、住吉大神、菅原道真 

と同神になる。

 

道真公は、天の神の化身=同神とされたゆえ。

 

 

御炊屋姫の「かしきや」には織女の意味がある。

  


 

  三輪神は七夕の神

 

大神神社の神と宗像大社の神は同じであった。

饒速日命と御炊屋姫。

 

彼らは高良神であり、宗像神。

共に筑紫の神となる。

 

ホツマツタエなどでは、大和で亡くなるとされる彼は、その実は筑紫へと移っていたことになる。

 

ここには彼らの足跡があり、神話の舞台となっていた。

 

 

この地におられた彼らは、七夕神とされた。

七夕華(さいき)の古名は、狭井に通じる。

狭井の神は彼ら。

 

祭りは祭神の為にあるもの。

アイテムは神の由緒を示唆する場合がある。

 

では、それも神の由緒(正体)を示唆するものではないか。


 

香椎宮の神楽踏歌は「さきくさ」であった。

祭神は神功皇后であり、摂社には高良神である武内宿禰も祀られている。

 

 彼らが七夕の神なのだ。



 

(つづく  )

 

 

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ここのところ題名が似てる