彼女は、福岡で数多の山に登っている。
そのほとんどが「身重」の期間とされる。
下記の2の記事にある若杉山は臨月で登ったという。
有り得ないのだ。
足元さえ見えない。
浮嶽はここら辺では有名な急登。
下が砂地なのでロープを掴んでも、滑って尻もちつくくらい。
しかし、彼女は三韓征伐の前に登ってる。
有り得ないとこがある伝承は、何かを伝えている。
詳細、以下の記事へ
神功皇后は脊振山頂で神事をしている。
那珂川から脊振に向かうにはこの下の記事のコース。
☆那珂川の岩戸は、現人神社の近く。
肥前筑前街道を経て、坂本峠~脊振へ。
地図はYAMAP
彼女の時代は1800年前。
筑前肥前街道(上の地図の右側のコース)は無くとも、人の往来はあったはず。
街道のある場所は一番歩き易いコースなので、前の時代でもほぼ変わらないと推測される。
脊振直登はキツイので、当時あったのかは不明。
上のコースで38キロ、11時間、総標高2100m超え
*富士山の五合目から山頂までが1600m。
岩戸からなら、プラス往復10キロ。3時間。
身重では到底無理なのである。
☆那珂川の岩戸から脊振の坂本峠までの記事
また、「彼女の山行自体が無かった」と言うこともない。
身重での登山はあり得ないと分かる。
それでも残すということは、それよりも重要なことになるからだ。
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古代や神のこと、少しずつつぶやきます。
小分けなので分かりやすいかもです
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