番外編になります。

 

 

  岩戸郷*肥前筑前街道の門

 

福岡県那珂川市は、神話の郷。

その全てがある。

 

岩戸は古来から、重要な場所であった。

 

(図1 那珂川)

 
(図2 那珂川・地名)
 
蛇行する青い線が、川の那珂川。
そこから西側が岩戸地区、昔の岩戸郷・岩戸村。
 
古来から肥前筑前街道の境、門として栄えてきた。
 

  肥前筑前街道

 

那珂川から脊振山山系の坂本峠を越えて、佐賀(肥前)に抜ける道。

(脊振山系よりも北側から佐賀県吉野ヶ里町。)

 

(図3 肥前筑前街道*地図はYAMAP)

 

岩戸から坂本峠まで、旧街道で18キロほど。

 
(図4 坂本峠とSの地点の標高差)

 

図4は反対方向に下ってる。

坂本峠から那珂川(岩戸)方向(南から北)へ。

図3の「岩戸」へはこの後5キロほどある。

 

岩戸から行くと、坂本峠までずっと登りになのだ。

 

「岩戸」は山越えの前の前線基地のような場所だった。

 

 

  歩いてみた

 

図4のS(スタート地点)から10分ほど歩くと、昔の石畳が現れる。

 

(図・写真 5 肥前筑前街道)

小さな沢に蓋をするような石。
全体的にガレ場と化して荒れている。
 
ここが使われていたのは、かなり昔だったようだ。
 

(図・写真6   旧街道の取り付き)
 
385号線に出たところ。

 図3のほぼ中央「南畑ダム」と文字がある左の地点になる。

 

旧街道はこの後、ダムの底になっている村へ。

 

(図・写真7 小川内の神社にあった御神木)

 

ダムに沈むに当たり、レールを作って40m高台に引き上げた御神木。

無事に根付いてくれている。

 

 

 

五ケ山ダム。

名の由来は、沈んだ五つの地区の名から。

 

このダムのおかげで那珂川や福岡市は、毎年、渇水や水害から守られている。

 

街道は沈んだ村を通り、坂本峠へと向かう。

 

(図・写真7 坂本峠*奥が脊振・蛤岳方面)

坂本峠。

脊振山系の峠になる。

 

(図・写真8 坂本峠辺りの案内板)

 

 

 
図9 佐賀側の肥前筑前街道
地図はYAMAP
 

図9は坂本峠から南(佐賀)方面。


地図の修学院は、脊振山下宮積翠教寺。

その辺りまで来ると下界の家がぽつぽつある。


 

峠越えをして佐賀側の麓までは、8キロ程。

どのコースを行っても2時間もかからない。

 

修学院あたりまで、全行程26キロほど。

 

 

  生きた門

 

那珂川の岩戸は、峠越えの前線基地のような場所だった。
 
人の生活に根差した、「役目を持った生きた門」。

おとぎ話上の場所ではないのである。

 
 
この街道、「神功皇后」も通っているはず。
彼女は脊振山へと登って神事をしたのだから。
 
岩戸から坂本峠まで18キロ。
そこから背振まで8キロ。
 
往復52キロの山道を、身重では登ることは出来ない。
 
 
これはまたのお話。

 
 ダムに沈む前の村も含めて、全行程繋げてみたかった!


 

*記事内の考察や写真、イラストなどの使用は著作権のルールに沿ってくださいますようお願いいたします。

 

***********************************************

 

X(Twitter)

古代や神のこと、少しずつつぶやきます。

小分けなので分かりやすいかもです爆  笑

フォローお願いします笑ううさぎ

https://twitter.com/sakura15335?t=zywdh8uJGIhzvxAk28C_Tg&s=09