彼女は、福岡で数多の山に登っている。

そのほとんどが「身重」の期間とされる。

 

  
まず、彼女の妊娠期間は、今の日にちになおすと、約451日ほど。
通常は280日。半年間も長いとこになる。


下記の2の記事にある若杉山は臨月で登ったという。

有り得ないのだ。

足元さえ見えない。

 

浮嶽はここら辺では有名な急登。

下が砂地なのでロープを掴んでも、滑って尻もちつくくらい。

しかし、彼女は三韓征伐の前に登ってる。

 

有り得ないとこがある伝承は、何かを伝えている。

詳細、以下の記事へ

 

 

 

 

 

 

若杉山*太祖宮上宮の神功皇后
 
☆脊振山

神功皇后は脊振山頂で神事をしている。

那珂川から脊振に向かうにはこの下の記事のコース。

☆那珂川の岩戸は、現人神社の近く。

肥前筑前街道を経て、坂本峠~脊振へ。

 

地図はYAMAP

 

彼女の時代は1800年前。

筑前肥前街道(上の地図の右側のコース)は無くとも、人の往来はあったはず。

街道のある場所は一番歩き易いコースなので、前の時代でもほぼ変わらないと推測される。

脊振直登はキツイので、当時あったのかは不明。

 

上のコースで38キロ、11時間、総標高2100m超え

*富士山の五合目から山頂までが1600m。

 

岩戸からなら、プラス往復10キロ。3時間。

 

身重では到底無理なのである。

 

☆那珂川の岩戸から脊振の坂本峠までの記事

 

 

また、「彼女の山行自体が無かった」と言うこともない。

身重での登山はあり得ないと分かる。

それでも残すということは、それよりも重要なことになるからだ。

 

 

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