御勢大霊石神社(みせたいれいせき じんじゃ)

 

福岡県小郡市大保竜頭

隼人鷹神社から南へ、2.7キロ。

 


ここにも神功皇后の伝承がある。
おそらく、彼女たちが「熊襲征伐」で南下した道。

 

 拝殿   

 

御祭神は、足仲彦大神(仲哀天皇)、天照皇大神、八幡大神、春日大神、吉富大神



境内案内板

 

  ①仲哀天皇の最期

 

この社から、彼の「二つの最期」が分かる。

 

まずは一つ目、境内の案内板と、ほとんど同じ福岡県神社誌から要約する。


神功皇后二年創立、社祀にいわく、(仲哀)天皇筑前國香椎宮にて崩御。

 

皇后は男装し、石を以て御形代としてこれを奉り(それを持って)、三韓を征伐した。

 

御凱旋の後、大法(大保)の郷に宮を立て、この石を祭り、御勢大霊石神社と奉じた。

社前に御剱・御衣を納めた。これを御本体とした。
 

案内板には、☆「標柱に史跡仲哀天皇殯葬傳説地」とあった。

 

 

仲哀天皇は香椎宮で崩御

 ↓

神功皇后が石を形代として三韓征伐に行く

 ↓

戻ってから、宮を建て石を祀る。

 

☆この地に仲哀天皇を埋葬したとの伝承

 

彼は香椎宮で亡くなっている。

その様子が事細かに古事記に記載されている。

 

神功皇后の神がかりの時、仲哀天皇は神を招く為に琴を弾く。

「熊襲よりも先に、西の国に金銀があるから行け」と託宣が出た。

それに反論する仲哀天皇。

「西に国なんて見えない」

彼は、神の怒りに触れて亡くなった。

 

 

だが、「この地に埋葬した」との伝承もある。

香椎宮で亡くなっているのが事実ならば、ここに埋葬する必要はないのだ。

 

だが、福岡県神社誌にはもう一つの伝承があった。

 

 

  もう一つの仲哀天皇の崩御の様子

             
神社誌には続きがある。

(福岡県神社誌より、要約) 

 

また、伝説では、仲哀帝の熊襲征伐にあたり、香椎の本陣よりこの地に軍を進めた。

 

宝満川と垢離川の合流地の大保が、白洲にして清浄の地であったから、まず天神地神を祀り、陣所として軍を休ませた。

 

近臣を従え、士気を鼓舞する為に前線を巡った。

黄昏時におよび、敵の流れ矢に当りたまう。

 

御看病をしたが崩御された。

 

激戦中であり士気の喪失を畏れ、深く秘密にして御殯葬申し上げた。

 

戦い、一段落に及び軍をまとめ、御崩御を布告し御棺を香椎に移した。

 

神功皇后の凱旋後、天皇の御形代の石を魂代とし、甲冑御衣を納め三韓鎮撫神として祀った。

つまり

香椎宮より出発

 ↓

宝満川の合流地で神を祀って、陣をおいた。

 ↓

前線を巡っていた時、敵の流れ矢に当たって亡くなったので殯をした。

 ↓

御棺を香椎宮に移す。

 ↓

凱旋後、石をこの地に祀った。

ここで崩御したとある。

これならば、この地に埋葬(一時期)したと意味が通る。

境内の案内板が示す伝承でもあった。

 

 

お社で頂いた案内書にも仲哀天皇は「敵の毒矢に当てられてこの地で崩御された」とある。

 

 

では、二つの最期があるのだ。

 

こんなに詳細なのに、どちらかは確実に創作ということになる。

または、どちらとも本当ではないのだ。

 

詳細だから、真実だとは限らないということである。

 

 

  祭神の真相

 

祀られている神から真相を解く。

前回も書いたが、ほとんどの神は彼ら二柱。

 

祭神、天照皇大神は饒速日命=高良神。

 

彼は春日神と同神。

八幡大神はツヌガアラシト神と名を変えている=同神。

ツヌガアラシト神は饒速日命に繋がる。

 

彼は高良神であり、武雄宿禰自身だ。

 

 

伝承、高良峰からツヌガアラシト神=饒速日命=高良神

 

住吉神(高良神)=武内宿禰

 

祭神はみな、同神である。

 

伝承は神の由緒(正体)を告げるものであった。

 

 

神がかりの神

 

香椎宮での神功皇后の神がかりで現れた神は、女神天照と、住吉三神。

更に彼女の側にいたのは、武内宿禰。

 

天照は、撞賢木厳御霊天疎向津姫の神名で現れている。

厳御霊=厳島神社の神=市杵島姫命(宗像神)

を意味する。

 

市杵島姫命は御炊屋姫。

 

高良神は饒速日命であり、その后の神功皇后は御炊屋姫である。

 

饒速日命は大己貴命。

市杵島姫命は宗像神。

 

大己貴命と宗像神が「夷類=異類」を退治する伝承が筑紫にはある。

英彦山の神も元は彼らであった。

 

では、伝承に関係ある者全て、彼らだということになる。

 

 

この「神がかり」の一件より、武内宿禰や住吉神と睦言があったとされている。

 

彼女は、高良神の后。

彼が武内宿禰であり、住吉神。

元より、夫婦なのだ。

 

仲哀天皇のほうが、架空の存在なのであった。

 

 

 

また、彼女は「出産を遅らせる為に」石をお腹に当てていたとされる。

 

人間なのだから、石で妊娠期間が延びるわけがない。

仲哀天皇は元々いないのだから、それは創作となる。

 

二つの伝承の「石」は、これを示唆していた。

 

 

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