続きです。


冷水峠(大根地山の鳥居辺り)から南へ下った。

祠も社も無かった。
羽白熊鷲がそこで退治されたのなら、祀られている場所があるはず。


それが出たのは、おそらく冷水峠から北。
それはヰルイという”人ではないもの”

神功皇后が大根地山に祀った神々がそれを物語る。


 
 

初めて来た時から、何となく避けたかった”この先”。

 


 

行ってきます!
「首なし地蔵まで750m」

 

  
 

すぐに石畳の道になる。
                             
谷があったはずだと思っていたら、沢の音が。
あまり深くない。

今回、200号線(バイパスでは無い方)の冷水道路を通るかと迷った。
あちらの方が深い谷があるのだ。
しかし、谷には川があり、行くならば遡行するしかなかった。



 

                         
峠から10分程で「首なし地蔵」に到着。
側に流れているのが、名の由来になった冷水川。
美味しい。
最近、山の川の水を飲むのに抵抗がない・・・。

(後に浄水器を買った!)

 


                                                          

 

首なしさんの方は、この中。


  
 

この辺りから石畳の道が続く。


     
 

美しい!

竹林。
とても静かで清浄で。


  

                  
峠から15分程で森を抜けた。
あっと言う間で、こんなんだったかなとふと思う。

 

                                                                        
筑豊本線。
去年の水害以来、ずっと不通になっている。(2019年)
使われない線路はとても寂しい。



 

内野荒田の大根地神社の鳥居。
このまま、宿場町だったという内野宿まで歩くことにした。
ここから2.4キロ。
                                          
峠を抜けたら、筑豊。
峠は確かに「基山の東」「筑前と筑後の境」だ。
基山や筑紫神社を起点とすると、この場所外には考えられない。


この長崎街道の冷水峠の辺りが、通りやすいように整備されたのは江戸時代のこと。

それでも、内野宿から冷水峠まで約4キロ、そこから山家(やまや)宿まで計10キロ。
先日行ったあの辺りも含めて、やはり往来が大変だったそう。

それよりも遙か前の時代。
難所であったのは間違いない。



通る人の半分は命を落としたという「命尽くし神」がいた
「鞍韉盡坂(したくらつくしのさか)」。

 

数々の伝承はここで繋がる。

 

筑紫神の伝承の五十猛神と甕依姫は、高良の神と神功皇后。

 

 

彼らは二柱の天照なのだ。

 

 


ならば、彼らが退治した「命尽くし神」は「羽白熊鷲」でもある。

この地で「退治」したならば、何か痕跡があるはず。
碑か、塚か・・・・。

 

羽白熊鷲は人であらざるもの。
大根地山に神を召喚し、助力を得ないと倒せなかった「ヰルイ(異類)」

 

人では無いからこそ、倒した後もずっと封じておく必要がある。

        
・・・内野宿にそれはあった。
 

( つづく )  

 

 

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