2019年1月
冷水峠に出たと思われる羽白熊鷲。
”その場所”はどこだろう。
それを感じたくて、冷水峠を南に下る。
前回は、砥上岳山頂へ北側から向かった。
しかし彼らは砥上岳の南の麓の池に行ってる。
ならば、南から登ったろう。
スタートは大根地山の西側の麓、冷水峠の鳥居。
まずは、長崎街道を10分ほど進んで、大根地山へ向かう。
大根地神社の麓の鳥居。
奥に長崎街道が続く。
30分ほどで、大根地神社に到着。
大根地神社は古くから英彦山や宝満山の山伏らの修験の場でもありました。
毎年4月8日、内野関屋の老松神社で行われる幸神祭は、大根地神社の
神霊が下りてこられるもので、御鎮座記念の祭りであると言われています。
神社には別当稲荷、雲閣稲荷も祀られており、2月初めのうまの日には
遠近からの参拝者で賑わいます。
(案内板より)
由緒書きには、ご祭神は天神七代、地神五代。
神功皇后が羽白熊鷲御征伐の時に祀った。
後に須佐之男命、大市姫命の二柱を合祀し、雲閣稲荷大神と称え祀るとある。
上記神は同神だ。
高良神は祇園神、須佐之男命でもあった。
ご挨拶して、山頂へ。
北の飯塚方面。
飯塚(穂波郡)も筑前に入っていたそうだ。
一番近くに見える山がほぼ真南の砥上岳。
今から向かおうとしてる山。
その奥が筑紫平野、筑後地方。
この山は、筑前と筑後そのどちらも見渡せる。
厳密に言えば、朝倉なども筑前に入るようだが、
古来での、筑前と筑後の境の峠と言えば、この山の麓、冷水峠。
数々の伝承はそこを示していた。
羽白熊鷲はこの地に出たのだ。
”その場所”はどの辺りだろう。
下山。
麓の鳥居のお狐さん。
何となくこの先(上から2枚目の写真の奥)な気がしたが、
今回は砥上岳へ南から登るルートを予定していたので、そちらへ向う。
冷水峠の辺りの長崎街道(旧道)は、大根地山の麓の辺りから車道になる。
大型トラックの交通量も多く、カーブ手前などは様子を見つつ歩いた。
ここから77号線を経由して、6.7キロ先に砥上神社がある。
山家(やまえ)にあった案内図。
ここも街道の山家宿。
(山家の地名はもっと南にもある)
もしも羽白熊鷲がこちら側に出たのなら、そこには「碑か、塚」があるはず。
この地図では、「大日如来碑」、「比賀塚」が川沿い(旧街道)にある。
下の地図では、街道のちょうど真ん中辺り。
長崎街道は、大きな車道から外れて、川沿いの細い道の方へ。
九州の箱根と言われた程の、内野宿と山家宿の間は10キロあったので、この辺りも元々は険しかったのかもしれない。
熊鷲が出たという、狭くて険しかったという「したくらつくしの坂」。
何となく、谷があるはずと思っていたが、この辺りでは無さそうな気がする。
やはり北側だったのかな。
200号線から77号線を歩いてい行く。
梅の花が咲いていた。
砥上岳へ。
( つづく )
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今更ながら始めました。
古代や神のこと、少しずつつぶやきます。
小分けなので分かりやすいかもです
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