続きです。

 

 

 
 

このシリーズ全体の目次は下記へ。

 

 

☆6 現人神社*牛斬山麓(ツヌガアラシトとヒメコソ神)

☆7 ツヌガアラシト神

 

福岡県田川郡香春(かわら)町。

現人神社。

 

香春岳(高良峰)の近くの牛斬山の麓にある。

 

 

採銅所駅から歩いて20分ほど。




 

ここは「お申様」とも言われていた。


呼び名は、祭神を意味する。

☆主祭神が呼び名と違うならば、失礼になる。
 

(クリックすると拡大されます)



御祭神の名は「都怒我阿羅斯等命(ツヌガアラシトノミコト)」

上記、縁起書より


 「意富加羅国(おおからくに)の王子で垂仁天皇の時代に、新羅の姫神(比咩語層神・ヒメコソノカミ)
 の跡を慕ってこの地に御鎮座しました。
 (中略)
 この里に疱瘡、疫痢が流行した時、神霊のお告げ
 「今より阿羅斯等神の許(もと)に鎮まり猿を使いとして万民を救う」があり、
 現人大神と合祀しました。」


拝殿

 

< ツヌガアラシト神 >

 

縁起書にあったツヌガアラシトの説明は、古宮八幡宮のそれと酷似している。

 

*現人神社

ツヌガアラシトは意富加羅国(おおからくに)の王子。

垂仁天皇の時代に、新羅のヒメコソノカミの跡を慕ってこの地に御鎮座。

 

*古宮神社

一ノ岳に鎮まる香春神社の神は辛国息長大姫大目命。

新羅の神が渡ってきて住み着いた。「豊前国風土記」

 

 

☆酷似の伝承は、神の由緒を示す。

 

同神なのである。

この地に鎮座したツヌガアラシトと、一ノ岳に鎮まる辛国息長大姫大目命。

彼らは高良神であり、神功皇后。

 

香春岳は高良峰であり、彼らが異類退治をした地。

ゆえに祭神は彼ら以外、あり得ないのだ。

 

 

では、ツヌガアラシトは高良神=饒速日。

彼が追って来たという「ヒメコソ神」は、神功皇后であり、御炊屋姫となる。

 

 

 

< ひめこそ神社 >

 

小郡市に別名を七夕神社と言われる媛社(ひめこそ)神社がある。

祭神が磐船神と棚織神(たなばたかみ)であり、饒速日と、栲幡千千媛命(たくはたちぢひめ)。

 

彼女は饒速日命の母とされるが、七夕の伝承は親子では成り立たない。

 

彼女は后の御炊屋姫。

=市杵島姫命(弁財天)=女神天照=瀬織津姫。

 

彼は住吉であり、「祓いの神」としての相方は瀬織津姫。

内宮の荒魂宮に祀られているのは彼女だ。


☆天河弁財天は、内宮の女神を勧請している。
弁財天=市杵島姫命=御炊屋姫=女神の天照=瀬織津姫(女神の天照)=棚織神。

 

 

 

では、現人神社の「ひめこそ神」は、饒速日命の后の御炊屋姫。

配祀のツヌガアラシトは、饒速日になる。

 

つまり、神の名を替えた同神。

☆「祓いの神」は彼らの異類退治からであった。

 

 

< 祇園の神 >

 

ツヌガアラシトとは、角がある人を意味する。

敦賀の気比神宮の祭神であり、応神天皇と名を変えている。

☆伝承の「名を変える」は、同神を示唆するもの。

 

ツヌガアラシト=応神天皇となる。

 

 

また、牛頭天王=祇園の神のことであり、須佐之男命と同神。

 

高良大社の下社は「祇園さん」と呼ばれていた。

高良神が祇園さん=ツヌガアラシトなのだ。

 

 

< 天日矛・アメノヒボコ >

 

wikiのアメノヒボコの項にはこのようにある。

 

「古事記」には比売碁曽社・ひめこそしゃ(比売許曾神社)の由来が天日槍(アメノヒボコ)と阿加流比売神(アカルヒメ)の伝承として記述されるが、「日本書記」では垂仁天皇2年条の注において都怒我阿羅斯等命とその妻として記述されている。

 

ヒメコソ社の祭神は、

古事記では、天日槍とアカル姫。

日本書紀では、ツヌガアラシトとその妻。

 

実際の祭神は、磐船神(饒速日)と棚織神。

 

 

すべて、名を変えられた彼ら。

記紀、神社の矛盾は同神であるゆえ。

 

伝承と記紀と様々なものを突き合わせて、答えが出る。

暗号なようなものなのだ。

 

 

「垂仁天皇の時代」は、神功皇后以外の、彼らの伝承でよく目にする。

宮若市の饒速日命を祀る天照宮にも、彼が笠置山に天降ったのは「垂仁天皇の時代」とあった。

 

 

 

 

それは彼らの存在した時代を、創られた「歴史」に取り込んだ結果。

 

 

 

 

 

何かしがみついている。


 

 

 

では、高良峰(香春岳)から繋がる、以下の神は同神となる。

 

ツヌガアラシト

饒速日

磐船神

高良神

 

ヒメコソ神

辛国息長大姫大目命

棚幡神

御炊屋姫

神功皇后

 

 

< もう一つの現人神社 >

 

那珂川には住吉の元宮、現人神社があった。

住吉神、神功皇后が祭神。

 

同じ名である香春町の「現人神社」の神は、同神であった。

 

その地には「日吉神社」もある。

最澄さんが日吉大社に勧請した、元宮の一つとされる。

大社には二つの宮があり、同神としている。

もう一つが大己貴神。

 

三輪の神、饒速日だ。

 

この現人神社が、お申様と呼ばれるのは、

彼が猿田彦でもあるからだ。

  

 

 

 


 


( つづく )

 

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