前回の続き。

 

 

 

身重であったはずの神功皇后。

その体で幾つもの山に登っている。

そんなことはあり得るのだろうか。

 

それを否定すれば、お腹の子はいなかったことになる。

彼女は応神天皇を宿していたのか。

 

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伝承や記紀により違いがあるが、彼女が身ごもったのを知ったのは香椎宮。

神がかりの中で神から告げられていた。

 

ではその後、三韓征伐の凱旋まで、下記の山(これでも一部)では彼女は身重であったことになる。
(9の浮嶽から、7の目配山まで、今の道なりで73キロ)

 

(図1 地図はGooglemap)

 

羽白熊鷲退治は、主に朝倉の秋月の話であった。

(7の横のオレンジの☆一帯)

 

前回の「遠見山(地図1)」「大根地山(地図5)」「砥上岳(地図6)」「目配山(地図7)」。

この四座はなんとか登れるかもしれない山。

 

しかし、羽白熊鷲退治に関連する山が、西にもあった。

9の「浮嶽」、8の「雷山」。

 

 

< 浮嶽と雷山 >

 

*それぞれの山の詳細はリンク先へ

 

9「浮嶽

山中にある「白龍稲荷神社」。

神功皇后は、白龍と人の子の龍起を軍に誘い、朝倉の羽白熊鷲を倒した。

 

(浮嶽)

 

では、朝倉の前にここを訪れている。

 

浮嶽は滑りやすく、急登が続く。
トラロープを頼って登るか、這って登るかの斜面であった。
下山では、砂地の斜面で滑りやすいから、ロープを掴んでさえ何度か尻持ちをついた。
身重でなど、全くの問題外。

山に慣れた人でも「ここは心が折れる」というほど。

 

 

8「雷山

 

三韓征伐の勝利を神に祈った。

中腹の層々岐野(そそきの)で兵を集めた。

 

(雷山)

 

雷山の中腹の草原へ向かう道は細く、片足分も道幅がない場所が続く。

一部、鎖道もあるし、這っていくほど。

他にも道はあるが、急登。

 

この二座は、輿や馬などでも登れない。

身重は無理。

 

後に記載するが、雷山に登ったのは三韓征伐ではなく、羽白熊鷲退治の為であった。

浮嶽も、龍起を羽白熊鷲退治に誘う為。

ならば、秋月に向かう前に登っている。

 

 

以下の山は、三韓征伐の勝利を祈る為に登ったとされる山。

 

 


10の「叶岳」は、西区にある山。
三韓進出のみぎり、この峰に願い、願いが叶ったから叶岳と名付けた

ここも身重では無理。

 

 

3の「宝満山
共に福岡市の東に壁の様にそびえる、太宰府市と筑紫野の境にある山。

若杉山とは、三郡山系の南と北に位置している。

 

「宝満山」では、神功皇后が山頂付近でサイカチの木を植え、三韓征伐から戻った後に再会できるようにと祈った。

 

(宝満宮竈門神社 上宮)

 

今でこそ、正面登山道はよく整備されているが、829mの標高があり、下から上までほぼ石段で、かなり辛く大変。

 

他の登山道は正面よりも荒れていて、ゴロ石だらけの道も続く。
”その当時”は、正面も今よりももっと登りにくかったと思わる。
身重で登るなどあり得ない。

 

                        
1の「若杉山


彼女が三韓征伐の前に訪れ、この山の綾杉の枝を持って出陣。

戻ってきた時に枝がまだ元気だったので、香椎宮とこの山に分けて植えたとの伝承。

 

 
綾杉
 
 
 しかし、彼女は臨月で訪れたとある。
そんな状態で、一歩も山へは登れない。
 
あからさまに、真実ではないと告げているのだ。
彼女は身重では無かった。
 

 

 

若杉山 太祖宮

 

 

 

 神功皇后像

 

11「脊振山
神功皇后が三韓征伐の折、山頂に社を建て、市杵島姫命を祀ったという伝承。



(背振神社 上宮)
 

彼女は北の福岡側から登ったよう。

上宮があるのは今の脊振山。

 

神功皇后はおそらく、那珂川から上がり、肥前筑前街道のようなコースを辿り、坂本峠へ。

そこから脊振へと上がるコースかと思われる。

 

その後に那珂川(北)へ下っている。

 


図2 地図はYAMAP

 

上のコース(右と左)のどちらかだが、脊振の北側は急なので当時は無かったと思われる。

 

上のコースで、距離38キロ。標高差2137m。

11時間かかってる。

五ケ山ダムと書いてある辺りに集落があり、坂本峠を越えて肥前方面に行く人はそこで一泊したかも。

 

これを身重で行くのは到底無理。

 

参考記事。

 

 

「遠見岳」

遠見岳(図1の2)

山頂で神事をしたとの伝承。

山頂まででもゆるやか。

 

 

 

「名児山」

宗像大社の側。

宮地山より北に10キロ。

自分は楽に登れたが、山友さんはかなり急と言われた。

 

 

 

 

「喰那尾山」

羽白熊鷲退治の時に登った山。

秋月方面からならば、ゆるやか。

 

 

 

主な山でもこんなにある。

 

 



( つづく )

 

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