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年毛神社の由緒書きにあった「名児山」
三韓征伐から戻ってきて、登ったとある。
加都羅(かつら)とのたまいて、後世其山を名づけて加都羅岳と言い、里を勝浦、島を勝島、一帯を勝浦潟という。
地名の由緒になる。
三韓征伐から戻って。
それが史実なら、身重だったはず。
もう臨月超えてて(石で遅らせた!)、お腹は大きい。
そんな状態では山には登れない。
彼女は身重ではなかったのだ。
年毛神社の方から、東にある名児山。
一番高い山。
右側のくぼんでる辺りが「大阪越え(峠)」
そこを通って、東側の宗像神社方面に抜ける車道がある。
車は大阪越えの車道脇の広くなった場所に停めた。
いざ、出発。
しばらく藪漕ぎ。
そんなに酷くはなく、たまに人が来るかも?という感じだった。
尾根に乗った。
倒竹。
かいくぐって、少し行くと
名児山山頂。
眺望無し。
昔(1800年前)は見えたのかな。
側に石碑があった。
経一字一石塔、であろう。
(参照、weblio国語)
小石に経文の一時ずつを写経して、地中に埋め、上に石塔を建てたもの。
宗像大社へ。
月次祭の真っ最中。
宗像大社の駐車場から。
名児山は一番高い山。
山の向こう側に年毛神社がある。
神は山に祀られる。
ゆえに、名児山で神事をしたのかもしれない。
ゆっくり登っても1時間ほどのお山。
行ったのは4月。
夏は藪で酷いかも。
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小分けなので分かりやすいかもです
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