続きです。
その後、波折神社へ
福岡県福津市津屋崎
楯崎神社がある渡半島から車で5分。
ここには、瀬織津姫と住吉大神の伝承があった。
ご祭神は、瀬織津大神、住吉大神、志賀大神。
神功皇后の新羅を遠征して凱陣した時、この三神が当浦渡村鼓島に現れた。
皇后はこの浦の岡分、河原崎の宮之本という地字に神垣を造り祭祀した。
後に漁民が嵐に遭った時、三神が現れ助けた。
鼓島に漂着した後、再び三神現れ飲食を与え給う。
(上記の縁起より要約)
彼らが夷の類と戦った。
後に神功皇后
場所は楯崎神社の地
< 波折神社 >
瀬織津姫、住吉大神、志賀大神
邂逅した場所は鼓島
高良神(安曇磯良神)、神功皇后
高良神は住吉神であり、志賀大神と同神(他のは省略)
高良神と神功皇后は夫婦。
☆神功皇后は饒速日命の后、御炊屋姫。
彼女は瀬織津姫。
戦った「夷の類」とは、高良大社の伝承の「異類」。
< 祓いの神 >
住吉神、瀬織津姫は、祓いの神四柱の中にある。
「祓いの神」とは、まさしく彼らが戦った「夷の類」「異類」を退治したことに他ならないのだ。
ならば神功皇后の伝承にある、「三韓」は異類。
そうすると、記紀の記述が分かる。
神功皇后が香椎宮で神がかった時の神の言葉。
「内陸にいる(熊襲)羽白熊鷲を倒す前に、新羅を攻めろ。新羅には金銀がある」
一見、全く繋がりがないようなこの言葉。
それに引っかかっていた。
神が金銀を求めるか。
だが、「三韓」と記載されてるものが実はイルヰなら。
内陸の「羽白熊鷲(イルヰ)」を倒すより前に、北の海からくるイルヰを倒せ
ではないのか。
異類。
それは人ではあない。
各地にある神事が物語っている。
二枚目の写真を見ても8mあるか微妙。
当時も海から出ていたのかな。
触ってみたい。
チャンスは年に二日ほど!
最大ここまで潮が引くらしい。
今度は反対から回ってみようか~。
後に行ってきました!
☆このシリーズのまとめ
*記事内の考察や写真、イラストなどは管理人に著作権がありますので、無断使用はご遠慮ください。