【2021.9.21 ゆるむ、ほどける、くつろぐ編】
✾昨夜は愛媛でも美しいお月様が出ていました。
夕方にぱんぱんに張っていた首から肩にかけてでしたが、ヨガ終了後にはお陰様ですっかりとれて、清々しい気持ちでお月様を見上げることができました。
特に上半身をほぐすことに重点があったわけではなく、骨盤をいっぱい揺らして、全体をバランスよく伸ばしたことだけが印象に残っているのですが、それでこんなに楽になれるなんて!と嬉しかったです。
いつもしてくださるお話は、あまり頭でとらえようとせず、感性で…と心がけているのですが、目に見える奥にあるものの深さやロマンを感じてワクワクしたり、私たちの体を通して、宇宙まで広がる大きな可能性に希望が見えて嬉しくなります。何よりハリマンさんご自身のワクワク感が伝わってきています。
ありがとうございました。
最後に質問です。
舌を上の歯茎の裏に付ける件ですが、口を閉じて舌を前の方に持っていったら、自然に舌全体が上顎に収まって舌が歯茎に触れていると思うのですが、口を閉じていても意識して力を入れて「舌先」を歯茎につけるようにした方が良いのでしょうか??ベロが上顎全体にくっついているのなら楽にできます。
✾ハリマン返信
>舌を上の歯茎の裏に付ける件ですが、口を閉じて舌を前の方に持っていったら、自然に舌全体が上顎に収まって舌が歯茎に触れていると思うのですが…
はい。それだ大丈夫です。
本来はOさんのように上口蓋に舌がぴったりくっついて納まっているのが自然(といか理想的)です。
(わからない人は、つばを飲み込むときの舌の位置を感じてみてください。舌が上口蓋にぴったりとくっついているはずです。それが理想の位置です)
今の時代は、柔らかいものや食べやすいものばかりを食べる傾向があり、それらにつられて咀嚼不足で奥歯でたくさん噛む習慣がありません。
そうなると、顎の力や舌の力が衰え、舌の位置が下がり、口を閉じても舌が上歯茎にくっついてない人も多いです。
そういう人たちにフォーカスしての昨夜の言い様でした。
★昨日参加されてない方のために書きますと、舌位が下がり、上の歯茎に舌が触れていないと、触れているときに比べ身体の氣の流れが低下します。
また、わずかな重さと思われるかも知れません、舌がきちんと納まってないと舌の重さを支えるために首に負担がかかります。
ちなみに私も二年前まで舌位が下がってました。
自分では生まれてからそれまで、舌位のことなんて考えたこともありませんでした。
ある時、整体の先達から指摘され、また歯科医師からは「生まれるつき上口蓋が狭くそのまま成長したので、舌が上口蓋に納まりにくくなっています」と言われました。
そのような人は少なくないそうです。
舌位が下がっていると、氣の循環の流れが低下する・口呼吸になりやすい・虫歯になりやす・首が凝る・姿勢が乱れるなどにつながりやすいです。
私は舌位を上げるために、毎朝、洗面台で舌はがし・あによべ口腔体操(あいうべ体操)を一年間やったところ、舌位上がりました。
よく咀嚼する習慣も、顎を鍛え、舌を鍛えることにもつながります。
そして、舌位が上がると鼻呼吸がしやすくなります。
●違う話ですが昨夜の話に関連する追伸
私たちは2021年の社会・世界を生きている「いのち」であります。
でも、このいのちの中には人類誕生してからの20万年生き抜いてきた遺伝子が遺っています。
もっと大きく言えば138億年前、宇宙が始まって以来の宇宙遺伝子の集まりで、最先端のいのちとも言えます。
生命の元をたどっていくと地球(木火土金水)から誕生し、星と地球の関係から誕生し、その星の始まりも始りを辿っていけば…「オウム」という宇宙に最初に生まれた「音=振動=波」だとヨガの世界は言っています。
ちなみに、古事記では「う」という音(振動・波)が初めに現れ、そこから「あ」の渦と「わ」の渦が生まれ、今もなお世界(宇宙)は新しく創造されていると。
超、話が大きくなりました(笑)が、
自分たちの「いのちのスケール」を、どれくらいのスケールで持つことができるかということは、これからの時代、とても大切なことだと思います。
『人間』というスケールをどう持つか、『いのち』というスケールをどれくらいのスケールで捉えられるか。
私たちは「2020年代の社会枠内の人間いのち」でもあるけれど、「宇宙的スケールを持った存在という人間いのち」でもあります。
【2021.9.14 瞑想・意識編】
✾朝から雨音がすごい愛媛です。
昨夜もあっという間の楽しい時間でした。
ありがとうございました!
心の内なる声に耳を澄ますこと。
昨夜の解説に加え、身体を触りながら「ただ感じる、その感覚でさえ言葉に変換しない」というような(?)ハリマンさんのひとことに、「耳を澄ます」の奥深さ、繊細さをいつもより深く感じました。
つい言葉に変換してしまっている自分を客観視でき、意識することでどんどんワークにシンプルに向き合えたように思えます。
普段、自己流身体ほぐしの時だけでなく、生活の中で何かを決めなくてはならないシーンでも、できるだけ頭で考えるよりも「今どう感じてる?どうしたい?」と身体に聴こうとする、これまでとは違った自分の姿勢にも喜びを感じていましたが、ワークを重ねることで、まだまだ進化できそうなワクワク感が生まれています。
面白かったのはジベリング(でしたっけ??)。
3分間も!?と思いましたが、やってみたら「まだまだ行けそう!」という楽しさが!終わった後のスカッと爽快感には驚かされました。
そのままの楽しい気持ちでの母音のワークも、音の振動がいつもより素直に体に響く感じがし、頭のスッキリ感は、今朝も続いています。
日々丹田を意識することでの、身体や行動の変化も味わいながら、ハリマンヨガのお蔭で、日常が変わっていくことを実感しています。
昨日は茶道でコロナで着る機会がなかったため、久しぶりに着物を着てのお点前をしましたが、胸を帯でしめつけられたうえで、丹田を意識することの難しさ!着付けの工夫やまだまだ足りないタンデリング修行など、道は長いことを実感です。
✾ハリマン返信
>ただ感じる、その感覚でさえ言葉に変換しない…
「耳を澄ます」。そっと、ピアニシモに、意識を向けるだけ。
「心を澄ます」。なんにもしない、ただ 在る。
「自分」を澄ます。
「ほんとうに起きていること」「ほんとうに生まれていること」に意味垢をつけずにふれる。
ふれる と ふれられる は常に一緒です。
ひいつのいのちです。
ほんとうにふれるとき、ふれるとふれられるの「別(境・分離)がほどかれます。
ひとつのいのちにほどかれます。
丸ごとの(WHOLEの)ひとつのいのちに還ります。
>身体を触りながら「ただ感じる、その感覚でさえ言葉に変換しない」というような(?)ハリマンさんのひとことに、「耳を澄ます」の奥深さ、繊細さをいつもより深く感じました。
つい言葉に変換してしまっている自分を客観視でき、意識することでどんどんワークにシンプルに向き合えたように思えます…
(^-^)はい。
ハリマンヨガのモットーは、易しいシンプルなことを ほんとうにやる です。
「ほんとうのこと」は、当たり前すぎて、容易くて、シンプルです。
幸せの青い鳥のようです。
その、誰も気に留めないような「やさしい、シンプル」なことの中に、壮大ないのち(宇宙)の力(ハタラキ)があります。
それに氣づけた人は、よりいのちの力が発露されます。
「いのち」のスケールをどう設定するか。
今の令和の社会に収まる小さなスケールのいのちか、宇宙が始まって以来、その力の中で遥かに綿々とつながっているいのちととるか。
どちらも自分です。小さな自分と遥かな自分。
それらが互いにまぐわい、交わりながら、影響しあいながら、ひとつの宇宙といういのちがつねに新しく変化している。そんな気がしてなりません。
小さな社会(世界)も、遥かなスケールの宇宙も。
内が外になり
外が内になり
小宇宙が大宇宙を通り
大宇宙が小宇宙を通り
いのちにいのちがとおる
いのちがいのちをとおる。
追・ジベリッシュ。
身体だけでなく、言葉や呼吸や頭も、膠着・鬱滞しないように時にはほどいてみる(^-^)
言葉も呼吸も身体も頭も心もぜんぶ一つ緒の、丸ごとWHOLEの「からだ」です。
「自分」が「澄んだ(清んだ」とき、空となり、「からだ は 空だ」になります。
空っぽになって、「宇宙いのちの 器」になります。
✾先日のヨガ教室、楽しかったなぁと思い出してます。
「感覚そのものになる」ことについて、先生が話していたと思うのですが、それまでのいろんな動きで、ほぐれてほどかれて、最後のチャクラの発声で、「あ。わたし、音だった。」と、音そのものになっている感覚で広がっていました。
わたしは、本当は「音(周波数)」なのに、触覚や感覚や、あたかもそれが実在かのように感じることができる。それってすごいなぁ、と。
はじめに言葉ありき。確かに、と実感しました。
また、ジベリッシュは本当面白かったです。
私、出来るのかな?と思って始めたら、つるつる出てくる!終わったときに、ほっぺたが子供みたいに持ち上がってる感覚で、それも楽しかったです。
ありがとうございました。
追伸
思い出したので、もう一つ感想を。
先日のヨガ教室では、自由にからだに任せてみる、というワークが続きました。
「自由に」って言っても、どこかで頭が働いてしまうから難しいな、と思っていましたが、なぜかこれまたするすると、からだがうごきました。
そのワークの前に、ただ身体に触っていくだけのワークがあり、不思議なことに、ただ触ってるだけなのに、解放、浄化のあくびや涙、げっぷがどんどん出ました。
不思議だけど、きっと「ほんとうに」「触れる」ことができていたんだと思います。
そうした流れがあって、自由に動くこともできたし、音の感覚にも繋がっていったんだなぁ、なんかすごいなぁ、と思いました。
ご一緒できる皆さんにも、感謝です。
✾ハリマン返信
>私、出来るのかな?と思って始めたら、つるつる出てくる!終わったときに、ほっぺたが子供みたいに持ち上がってる感覚で…
>自由にからだに任せてみる、というワークが続きました。
「自由に」って言っても、どこかで頭が働いてしまうから難しいな、と思っていましたが、なぜかこれまたするすると、からだがうごきました。
(^-^)
とにかく、こころを空っぽにしてためしにやってみることですね。
子どものように、無邪気に。
そうすると、ほどかれます。
「頭」を外し、「意味」を外し、強い「念」(笑)を外し、ただやってみる。
無邪気なこどものように。
…ほっぺたが子供みたいに持ち上がってる… よくわかります。この言葉だけでも「からだ」に喜びが湧いてきました(^^)
…「ほんとうに」「触れる」ことができた時、別なく(境なく・分離なく・時差なく・即)「ほんとう」から「触れられて」います。
天才サックス奏者:阿部薫が言った「僕はだれよりも速くなりたい。寒さよりも、アンドロメダよりも」という言葉も、このことが含まれていると思います。
ほとんどの人はヨガであれ、何であれ、「ほんとうに」はやってないんですね。
言い換えれば「いま」にいない。
「この効果は?」「段取りを覚えておこう」「何のためにこんなことやるのかしら?」「あ、これは知ってる」「今の感情のイライラが収まったらやります」って思いながらやったりしてます。
それじゃ「いま」にはいられないです。
(先ほど「念」と書きましたが、一般的には「念」とは強く願うこととされているように思いますが、次元を上げて言えば、「念」とは「今にある心」のことです。
そこに「自我」はありません。心が今にあるとき、無心です)
「効果は?」「覚えておこう」「何のため?」「知ってる」「後でちゃんとやる」と心に浮かぶのは自然なことで良いも悪いもないのですが、
その心を引きずらず、やる時はただシンプルにほんとうにやる だけ って無心無我でやると つるつる、するすると Aさんのように「ほんとう」にほどけてゆきます(^-^)
『ただ身体に触っていくだけのワーク』。私も大好きです。
【2021.8.29 日常に役立つ~覚えておいてもらいたいハリマンヨガの基本編】
✾毎回???だったことが、精神的にも体的にもそうなんだ!!と理解できたことで、改めて自分のこれからの意識の置き場所や力の入れ具合が変わってきそうです。
文字の音が示す意味なども、本当に噛みしめて、楽しく学ばせていただきました。
神門ぴっぴっぴっも、母にも再度伝えたいと思いますし、私も習慣にしたいと思います!
何よりも、これからもっと精神が軽やかに自由になれそう!!みたいな希望に満ち溢れ、幸せな気分で一杯です!
ハリマンさんがおっしゃるように、思い込みという重たい衣装を少しづつでも脱げていければいいな~と思いました。
ひとつ質問があります。
身体をゆるめていくということと、丹田に力をいれるということのバランスはどのようにとったらよいでしょうか?
ゆるめていると、肛門も閉まらずぜーんぶがユルユルとなってしまっています。
一方、肛門にぐっと力を入れて、丹田を意識することも大切だと思うのですが、それは「ゆるめる」の時とはまた別?と考えるのか、バランスと取りながら?なのか??
そのあたりを教えていただければと思います。
✾ハリマン返信
まずは、からだ(以後、身体と心を含めて「からだ」と表現しています)がゆるめほどかれることが大切。
からだの力みや緊張、捩じれがほどけて、ようやく出発点に立てます。
からだが捻じれ、力み、緊張がほどけてない状態で何かを始めても、余計に捻じれや力みを強めることになります。
ですので、まず、ゆるめほどかれます。
自然本来でいえば、ただゆるめるほどかれると自然としてのからだ、いのちとしてのからだが目覚めて、整います。
丹田や肛門のことで言ったら、活動するときは丹田が決まり=キュッと締まり(肛門は引き締まり)、休息の時は丹田も緩みます(肛門も少し緩みます)。
しかし、本来のからだ(いのち)の自然とかけ離れて長く生きていると、丹田が決まらなくなったり(弛緩しっぱなし)、逆に丹田がキュッとしまったままでいつも緊張しているからだになったりもします。
丹田は活動の時や生命の危険のある時は締まり、お休みしているときはゆるむ、自然に締まったりゆるんだりが起こるのが理想です。
野生動物なんかそうだと思います。
命の危険が迫ったときや他の動物を狩り捕食するときの姿(在りよう)と、草原なんかでリラックスしている姿は全然違いますよね。
でも、現代の人間は不自然な生き方をしているので、それらが起こりにくくなっている場合も多いです。
現代は「頭」を使うことが多いので、いつも「頭」に氣(エネルギー・意識)が上っていて=意識の座が頭にあることも一因です。
意識の座が丹田に下りてくるには、まずは。からだがゆるめほどかれること。
そうすると頭の緊張もほどけます。
(眠れない人・リラックスが苦手な人は、「頭の緊張がほどけない」とも言えます)
そして、「からだ」が丹田という意識の座を思い出し、目を醒ましていくように刺激・意識を向けること=「肛門を締め引き上げる」ことも必要です。
自然としてのからだ(いのちとしてのからだ)が目覚めれば、肛門は適度にいつも閉まっています。
そういうからだを身体自身が思い出すよう、また育んでいくように、時に肛門を引き締めたることも有効です。
…「身体をゆるめていくということと、丹田に力をいれるということのバランスはどのようにとったらよいでしょうか?」
今のところは、からだをゆるめるときは丹田のことは忘れてゆるめほどかれて、別な時に時々肛門を締め引き上げて身体に丹田を思い出してもらう。
休息の時はすべてを忘れてただリラックス、活動時・日常の作業などでは丹田を意識して丹田から動く。
こんな感じでいいのではと思います。
追伸
…「思い込みという重たい衣装を少しづつでも脱げていければいいな~」。
(^-^)
今まで纏っていた衣服をひとつひとつ脱いでいくのは、小さな復活だと思っています。
イエスが言ったことを一言でいえば、「あなた方が今纏っているものを脱いでみなさい、そうしたら気づきます」なような気がします。
✾ハリマンさん、ご一緒させていただいた皆さん昨日はありがとうございました。
なぜか始まってすぐから眠くて、眠くて時々寝そうになりながらやっていました。
でも、私の身体に必要があって起こっていることなんだと争わずに続けました。
息を吐く、ゆらすと我が解けてゆるむ。
動きと呼吸が一緒になると心が静かになる。
と改めて教えていただき、だからこういうワークなんだと納得できました。
今まで理屈抜きで、言われたようにやってみるとなんだか緩んでる、心が静か。よくわからないけど、身体が心地よい方に反応しているからきっとこれがいいんだと思っていたことに説明がついた気がしています(これまでのワークでも説明があったのかもしれませんが😅)。
✾ハリマン返信
「なぜか、眠くて眠くて」。
これ、実は自分たちの意識に登らなくても、参加者の深いところで「共振共鳴」が起きているからでもあります。
「眠くなる」「眠い」。
ハリマンヨガの参加者からよく聞かれる言葉。
「始まった途端に」眠くなるってケースは多いです。
ハリマでいえば、始まると瞑想状態になって言葉がしゃべれなくなるのと、同じなのかもしれません。
眠くなって表層の意識の活動がお休みし、より深いところの癒しや調整が行われます。
深いところで「ふれる:ふれられる=共振共鳴」が起こるには、表層の活動はお休みしなければ起こりませんから。
…「息を吐く、ゆらすと我が解けてゆるむ。動きと呼吸が一緒になると心が静かになる」。
(^-^)まさにそうです。
そして「我」とは、力み」のことなんです。
「我」「力み」とは、体や心の こり・しこり・痞え・鬱滞・滞り、緊張・頑張りのことなんです。
それがあると、いのちの流れが分断されちゃうんですね。
(ただ、その分断の在りようが三次元的な個性だったりもするわけですが)
息を吐いて、からだをゆらゆらゆらしながら「我」がゆるめほどかれると、「無心無身」「無我」に還ります。
「無心無身」「無我」に還ると、三次元的(この世的)な制約を持った固有名詞のいのちの在りようが消え、宇宙が始まって以来続きつながっている「宇宙としてのいのち」に還ります。
「全体 WHOLEな宇宙に還る」と言い換えてもいいです。
WHOLEからHolly(神聖さ)、Heal(癒し、調整)、Health(健康)が自然と起こってきます、生まれます。
実は究極、WHOLE(いのち宇宙)との共振共鳴はいつも起きています。
またまた、話が大きくなった(笑)。
✾昨日はありがとうございましたm(_ )m
最初の母音の発声から、ずっと途切れることのない静寂でした。
起こることが起こり、何とも満ちたりた空でした。
ありがとうございましたm( )m
基本なので、日々実践が起こるのでしょう✨
触れる者も触れられるボディーも無く、ただ知覚だけが起こり、消え します。
至福でした。
✾ハリマン返信
(^-^) はい 。
【2021.8.24 瞑想・意識編】
✾昨夜はありがとうございました。
始まったら意識が朦朧としてきました。
眠いのとはちがいました。
きっとおっしゃっていた表面がゆるんで深い何かに何かが触れたのか‥
自分で一番ビックリするのはハリマンヨガでは、マイクをオンにして行うので、日常凄く気を使って緊張してしまう咳などを、私らしくなく😅躊躇なく出せてしまうことです。
ゲップもため息もあくびも鼻水も、自由に排出できることを赦してもらえるってなんて楽で心地よいんだろうと心底驚き、反対に日常での緊張感を改めて感じてしまいました。
緩むってこんなに自分とひとつになれるんだ✨✨
ああ、心地いい〜って久しぶりの感覚💖
呼吸を意識したりカウントすると、途端に心身が緊張します。
あっ、それ、出来ない😢苦しい
って。
息を止めるのも2、3秒しか我慢できない
急に自分がしぼんで自信がなくなります。
これ、今のわたしの最大のテーマです。
昨夜は不思議な夜でした。まだ、眠剤が必要な日も多いのですが、コテンと寝入りました。
そして1時間おきに汗びっしょりで目覚めては着替えました。
この4、5日、37度前半の熱がちょくちょくでて体調不安定だったのですが、こもった熱が排出されたのかなあとも思いました。
今日も咳痰終日盛んです。
身体が変わっていく最中なんですね〜✨✨
✾ハリマン返信
ほとんどの日常では、「からだという自然」を不自然に我慢させているので、
ハリマンヨガの時くらいはからだという自然に起きることは起こさせてあげましょうってことですね。
からだの必要があってあくびでも、げっぷでも起きるのですから、自然に起こることは起こさせてあげる(^-^)
「出来ない」たって、「苦しい」たって、別にいいじゃないですか(^-^)
緊張したり、「出来ない」「苦しい」って思ったりするのも特別なことでなく自然なことですよ。
だから、それにしばられないで大丈夫。
自分にとって、易しい、シンプルなことを、ひとつひとつ。
まずは、ここちよく 、安身安心 。
✾昨夜の瞑想編から一夜、今朝もパッチリ目覚めることができました。
瞑想編のワークショップの後は、いつもそのまま寝たい!と思うのですが、昨夜はめずらしく力がみなぎり、このまま寝てはもったいないぞ、という感じでした。
それでもちゃんと時間が経つと眠くなったので、ハリマンさんからひと言ご説明があった目がさえることは無かったです。
難しい、というか力が要ったのは、肛門を閉めるワークです。
立っていると簡単にできますが、座っているときに肛門を閉めることを意識したことが無い自分にも気づきましたし、力をいれるのが難しく感じました。
両手を感じたり、おしゃべりを始める意識を見つけるワークでは、そうそう、この感覚!という2週間ぶりにハリマンヨガを受講している実感がありました。
解説でハリマンさんが「この意識になれることで、元気に、健康になりますよ!」みたいな言葉をおっしゃったことで「そういえば今幸せな気持ちだ!」と気づかされ、
また前述のハリマンさんの言葉が、未来への希望に繋がり、更に幸せな気持ちになれました。
ハリマンヨガとの出会いや受講できることに、改めて感謝の気持ちで一杯でした。
あささんが歌いたくなる、とおっしゃった気持にも共感できました。
母音を唱えるワークでは、最初は頑張って声を出そうとして、息切れしていたのですが、息を続けるように、なるべく自分の体を楽器のように、吐息をもらす感覚に変えると、楽に
楽しくできました。
✾ハリマン返信
いちばん大切なものは、大体において当たり前すぎて気づかれていないもので、例えば、空気。
例えば、心臓や肺や腸などの内臓がいのちを生かすために働いていること。
足があること、手があること、言葉をしゃべってること…当たり前すぎて、気が付かない。
いのちに起こっていることは気づかれやすいけれど、いのちそのものにはフォーカスが向かない。
「行」「形」「象」は気づきやすいけれど、それは現れた時点でもう「過去」「結果」です。
いのちそのものであるとき、調和がおきます。
その調和が結果的に癒しや健康につながっていきます。
いのちとは宇宙の丸ごと一個 = WHOLE です。
WHOLEである時、瞬時に調和がおきます。
体のことにせよ、意識のことにせよ、ハリマンヨガのワークは「いのちそのもの」である瞬間を体験するように向けられています。
だから、頭では何も意図していないのに力が漲ったり、歌を歌いたくなったり、理由もないのに幸せを感じたり が起こります。
なんだか話が大きくなりすぎたかしらん(^-^)
【2021.8.12 ゆるむ、ほどける、くつろぐ編】
✾昨日8月12日のヨガ教室、ありがとうございました。
丹田の光で、骨盤の感情、記憶を昇華させていく瞑想のとき、
「あ❗」と、一瞬。
そこに宇宙がひろがっていました。
ここに宇宙があった
わたしが宇宙だった と。
そんな感覚でひろがってました。
そして、それに対して「あ‼️」とこっちの意識で驚いたとたん、
こっちに戻ってきた(笑)。
一瞬でしたが、
確かに、ここにある(ずっとあった)。
その感覚は失われても、今もずっとあり続けている。
昨夜、はからずも、参加者のかたが、中村天風の言葉「過去現在未来が同時にある」を紹介してくださっていました。
同時にある、そのことに一瞬でも触れられた、この豊かさ。
ありがとうございます。
✾ハリマン返信
私が初めてヨガに出会い、三年間教わった望月勇さん。
その夏の合宿に参加した際、「なぜ瞑想をするのでしょうか?」という言う質問に対して以下のように答えられました。
「自分の神性と、霊的本質を、思い出すために。私たち皆が、霊的な存在であるという真実に、気がつくために。
瞑想は、私たちの魂の記憶を呼び起こし、自分が、今、ここに、存在する理由を思い出す一つの方法であって、その目的は、私たちが再び目覚めるためにあるのです」
また、「リラックス」についてこうおっしゃってます(望月勇著『いのちのヨーガ』平凡社 より引用)
「そもそもリラックス(RELAX)とは、どういうことでしょう?
リ(RE)は再び、ラックス(LAX)はラテン語で「ゆるんだ」の意で、リラックス は 再びゆるめる という意味です。
では、何を再びゆるめるのでしょうか?
私たちは言語を覚えて世界を見た時から、時間を感じ始め、時間を意識することで緊張が生まれるといいます。
したがって、時間のない意識状態になることができて、はじめてほんとうのリラックスができるというわけです。
時間のない意識状態とは、言葉を覚える以前の赤ん坊の頃や、アニミズムの意識に相当します。
そう考えると「リラックス」の リ は、再び時間のない原初の意識へ帰る、つまり再び宇宙へと帰ることを指し、リラックスは宇宙と一体になることを意味しているのです」。
ゆるむと、ほどけて、宇宙に還ります。
「我」がゆるみほどけると、無心無我となり、宇宙に還ります。
私たちは名前という固有名詞を持った「個人」や「社会人」でもあるけれど、「地球人」であり、「宇宙人」「宇宙存在」「宇宙そのもの」でもあります。
世間一般に言われるところの「豊かさ」は、「私・我」が生まれてから手に入れた量や数で表されるものであったりしますが、
「裕(ゆたか)」であらわされる ゆたかさ は美しい「谷」に「神」氣が立ち込めているさまを言います。
(漢字の「示」編、「衣」編は 元は「神」を現しています:漢字学者の白川静)
それは、頑張って手に入れるものでなく、もともとただ宇宙に広がってある「神氣」「いのちそのもの」のことです。
「私・我」がゆるみほどかれたとき、神氣ゆたかな宇宙へ還っています。
それを幾度も体験するうちに、自ずと奥の意識がひらかれはじめ、自らの神性(宇宙性)に目覚めはじめます。
そして、少しずつ、次第に、心身ともに健康になっていきます。
2021.8.10(火) 瞑想・意識編
✾昨夜は、刺激を与える側の自分から、与えられる側の体を意識することの大切さをじっくり味わった感じです。
与えられる側を意識しているつもりなのに、またいつの間にか与える側に戻ってまた意識を変える…の繰り返しをしているうちに、他のことを考える暇が無く自分の体に意識が寄り添っていたことと、与えられる側に意識を向けると、限りなく小さな刺激で伝わることを知りました。
母音を唱える時から眠気が凄かったのですが、身体の中心はしっかりしていました。
このときも、何かを確かめようとして目をあけて画面を見ようとしたときに、聴覚から意識が離れた時がありました。
視覚と聴覚との意識の行き来を感じた自分に驚きましたし、普段視覚に頼りがちの自分を知りました。
今日もすっきり、良き日になりそうです!
✾ハリマン返信
感想の内容からはズレるかも知れませんが、「視覚と聴覚との意識の行き来を感じた自分に驚きました」…「意識の行き来」に気づいている『意識』こそが本来の自分とも言えます。
無意識に起こっている自動反応に気づき始めると、より奥の『意識』が目覚め始めます。
でも、「頭」で追ったりする必要はありません(^^)/
足首を回したり、タッピングをしたり、ポーズをとったりの時に
「語りかけられる方」に立ち位置を移すと、自ずと在り方が変わります。
支配:被支配=コントロールする側:コントロールされる側といった関係から、調和とか共調とかいった感じに。
「わ」「和」「和らぐ」が生まれます、起こります。
✾昨夜もすばらしいハリマンヨガをありがとうございました。
浮かぶままに 感想を申します。
音楽に合わせてのシェイキング・・の後の静寂・・あふれるエネルギーと静寂が共にある・素敵な体験、
音によるチャクラレゾナンス・・各チャクラの振動がはっきりとわかる・色がちらちらっと(見えた?)、
最後は倍音でひとつになり、まるで宇宙に拡がるようような感覚、
ピアニッシモのタッチ、はかない・・と表現されたハリマンさんの感性に 呼応するように はかないタッチが起こる・・微細であればあるほど意識が覚める・・そのものになる・・静寂の湖に 波紋が広がるように はかないタッチが 拡がり浸透していく・・するもの、されるものを超えて 波動そのもの・・静寂は微動だにせず・・最後の場面さえも超えて・・空!
以上です。
ありがとうございました。
静寂の臨在に感謝を、ご縁に、恩寵に感謝しております。m(__)m
✾ハリマン返信
「静」と「動」、「充、実」と「虚、空っぽ」が一緒にあるというか、別なるものになる前の世界があるのでしょうね。
ぼくらの日常的な世界(感覚)には 時間という距離 があるので どうしても静と動は別なものになりがちですが。
「行」は「行間」を現す(顕わす)ためにある 。
ほんとうのことは「行」をほどいてみなけりゃわからない 。
文字、言葉、形、歌、踊り…「行」になる前、「形」「象」として現れる前に ごくじょうのやわらかな
いのちそのものがあるような氣がしてます 。
2021.8.7 日常に役立つ、覚えておいてほしいハリマンヨガの基本編
✾「ただ、ただ、気持ちいい…」
そんな感覚を長く味わっていたくて、終わった後も、ぼーっと横たわっていました。
日々、できることを気持ちよく、やっていきたいと思います☺️
また、日程が合えば、参加させてくださいね☺️🙏
✾ハリマン返信
なんの意味もなく、はからうこともなく、「ただ、ただ、気持ちいい…」。
「日々、できることを気持ちよく」やっているうちに、しだいに自分のからだのここちに気づくようになっていきます。
そうやってからだや繊細な感性や、意識が目を醒ましはじめ、育まれていきます。
「ここち」とは他の誰でも何者でもない「いま、ここにある あなたの いのちの感じ」のことです。
からだのここち、いのちの感じにこころ(意識)がフォーカスされると いのちの力が目覚めはじめます。
はい、またよろしくお願いします。
感想ありがとうございました🌸
✾ハリマンヨガ基本編に参加させてもらいました。
感想。
何回でも出たい。
府に落ちるまで、身体に沁みるまで。
終わったら肩が緩んで開いていた。
肩は巻き込んでいません…と思ってました。
だから、もっと開くとは驚き。呼吸が楽な感じ。ドーンと来い(何が?😆)という感じ。
神門と仙骨が繋がっていることも体感。そうなんですね。
ありがとうございました。
✾ハリマン返信
姿勢や表情が変わると、呼吸の深さや気分も変わります。
姿勢・表情・呼吸・気分、全部つながってるんですね。
まるごと一つのからだです(^-^)
「ドーンと来い(何が?)」 その感じわかります(^-^)
からだまるごと、いのちまるごとになったとき、そんな感じなるのかも。
2021.8.3 瞑想・意識に気づく編
✾おはようございます!昨日の感想を書かせていただきます。
いつもの私なら、筋道を理解して、自分のものにしてやろう、とか、覚えておいて後で役立てようとか、そんな風に考えて臨むのですが、いつも謎の(笑)ワークが多く、昨日はいつもの脳幹に対してのワークの時から「意味を考えるのをやめよう」と手放しました。
途中でやった背骨を一本ずつ意識しながらねじるワークの時には、これまであまり背骨さんのことを可愛がってあげられなかったな…ごめんね、と思えるくらい、背骨が意思をもって太く温かくしっかりした存在をアピールしてきているような、そんな感じがしました。
母音を唱えていくときは、ハリマンさんの導く声だけに集中して、目もつぶっていました。
自然にゆらゆら身体が揺れるのにまかせて、口の開け方もわざと大げさにしていると、子供みたいに楽しくて、とにかく体に任せていました。
時折、これで順番あっていたっけ?とか考えが浮かぼうとするときもありましたが、音だけを追いかけていると、他のことを考えている暇があまりありませんでした。
声のハーモニーがまるでお寺のお経のようにも聞こえて、なんだか心が落ち着くなあと思っていると、
皆さんとの声との絡み合いが、離れているのに触れているような不思議な感覚で、あら?肉体はどこに?という不思議な感じの瞬間もありました。
最後にチャクラとの呼応のお話があり、その時にやっと自分の体の中心が筒のように縦に一本太く通って、すっぽりと空洞になっているようなすっきりした軽くなった感覚を意識しました。
あまり深く考えるのをやめていて、どのチャクラにどの音が呼応しているとか、覚えようともせずでしたので、今思うとあまり内容が思い出せませんし、瞑想したぞー!という実感もあまりないのですが、すっきりしつつ何か満たされたような、上手く説明はできませんが楽しかったなあ~とそんな感じです。
ハリマンさん、あささん、ありがとうございました。
ご一緒してくださったみなさんも、ありがとうございました!
✾ハリマン返信
ハリマンヨガの最中において、皆さんに向ける留意事項(笑。お気楽にお読みください(^^))
・はからわない、計らいを捨てる
・「ただ ほんとうに やる」=覚えようとしない、うまくやろうとしない、分析しない、気づこうとしない、感じようとしない、わかろうとしない=ただ、あそぶ ただ、やってみる
・「覚えよう」も「感じよう」も「気づいていよう」も「今夜の晩御飯何にしよう」も、起こってくる・浮かんでくるのは自然なこと(^-^) でも、それに気づいたらゆっくりと「ただ、やる」に戻る。
・「○○しよう」とすると「頭の世界」「マインドの世界」に入っちゃっう。「我」のない無心無我のとき、いのち宇宙としてひらかれています
・はからいを手放したときに、初めて現れるいのち宇宙の美しさ、繊細さ、調和、「和」がある。
「意味を考えるのをやめて」「深く考えるのをやめて」「「覚えようともせず」「内容が思い出せないし」「実感もあまりなく」「上手く説明はできません」でも 大丈夫。
逆に、それだからこそ、いのちの奥に響いてます。
「頭」が いのちまるごと の在りようを 邪魔することがあります。
「頭」は必要な時以外脇に置いといて、からだまるごとであそんでください。
しだいに、意識(いのち)が目醒めてきます✾
✾Oさんの感想を読むと そうだ!昨日はそれをしたんだ!と思い出します。
Oさんありがとうございます。
音とチャクラ。
例えばn音が頭の上のチャクラと呼応 とハリマンさんがおっしゃると、自分でそう感じようと暗示かけてるのではないか?という疑いから他に響かせようと試みましたが無駄な努力でした。
beingとおっしゃっているのに、ついdoingして検証。😛
でも、昨晩はぼーっとしました。
最後は挨拶もできなかったし、目を開けたらとっくに終わってました という感じでした。
ハリマンさん何者?
✾ハリマン返信
doingも検証も、そうしていることに気づいていればOKです。
doingすることも、検証したくなることも、ごく自然なことですから、その時は楽しくやってください。
とらわれすぎなければ大丈夫(^-^)
2021.7.30(金)ゆるむ、ほどける、くつろぐ編
✾昨日は大変失礼しました。途中から記憶ありません。シバーサナで寝落ちたんですよね。自分でも信じられない。眠たいなぁと思って寝る事はあっても、あくびはしていたものの、まだ眠たいと思っていたわけじゃ無いのに急に深く寝て意識無くなるなんて、初めてでした。
12時まで寝てしまい。何が起きたか分からず焦りました😥
すみません。
おかげ様で朝もスッキリ目覚めました。板間で寝てしまった3時間で腰はまた固まっていたのですが、昨日のあれきもちよかったなぁまたやってって身体が言っているようで、布団の上で昨日のおさらいをしていると腰の張りもまた緩んできました。
体の声を聞きながら動く事は頭が入らないことを考えないで済むので心地良いことだなぁとまた改めて思いました。
またよろしくお願いします
✾ハリマン返信
「自分(自我)」の意図(つもり・思考)と違っていても、無心無我である時、必要なことが起こります。
昨夜のヨガでは、最後のシャバアーサナで眠って深く休むことが一番自然で、「自然としてのからだ」「いのちとしてのからだ」にとって自然な流れが起こっているということです。
この「自然としてのからだ」「自然ないのちの在りよう」を邪魔してるのは「自分」だけです。
ゆるんだら、「自分」がほどけて、自然なからだに還って、自然なこと(必要なこと)が起こるだけです(^-^) そして、どんどん元気になっていきます。
ちなみに、Yさんが眠って起きてこなかったのは最後のシャバアーサナです。
それまではリードに合わせて息をしたり体を動かされてましたよ。
シャバアーサナの前から無心無我が起こっていたのかもしれませんね。
✾ハリマン様✨
昨夜のヨガ不思議でした。
始まった時、少し身体が緩んだら、おそろしい勢いで引きつれや肩甲骨などの痛みが現れて💦
あ、今夜はもう無理〜って思うほどでした。
所が、ピアニッシモに身体のあらゆる場所にら語りかけている時に、ふっと、それらの痛みが消えたのです。
あれっ?!ない!
初めての体験でした✨✨
そして、その後も身体の奥の奥の方まで微振動のようなものが続いていました。
不思議で、とても新鮮な。
なんだか今まで、こうだよって決めてた何かが自分から離れた所にいっちゃったみたいです。
✾ハリマン返信
「自我」には「不思議」かも知れませんが、からだの自然・いのちの自然としてはしごく「自然」なことなのかもしれませんね。
「なんだか今まで、こうだよって決めてた何かが自分から離れた所にいっちゃったみたいです」
そうです。
すべて自分で決めています、自分で創造しています。
表層の自分ではなく、その奥にある自分(意識)です。
僕らは、自分たちが思おっているほどやわな存在じゃありません。
その100倍くらいたくましく、繊細で、パワフルです。
2021.7.23(金) ゆるむ、ほどく、くつろぐ編
✾感想です。23日のオンラインヨガは、ハリマンさんから説明があった「語りかけられている方が主体・主役として」という事にひたすらフォーカスして体を動かしていきました。
オンラインヨガをしている間、あくび・涙・鼻水・咳・排泄と出るものが出ていきました。
母音の発声。
すっと軸が丹田・会陰へと降りてグラウディングされる。
この状態から、語りかけられている肉体そのものとして起こることにひたすら集中する。
タッピング。
振動が波紋上に指の当たったところからどんどんと体の中へ奥へと拡がっていく。
タッピングしていくにしたがって、肉体という感覚がなくなり、そのまま手がすっと体の中へ入っていくような感じを体験しました。
手や足の重さだけで、肘から下・膝から下を回す。
肘から下・膝から下があるのに消えてしまったような感じがしました。
これは、無重力の状態なのかしら?と思いました。
痛氣もちよい・心地よいところまで体を伸ばし・緩める。
伸ばしているときには、その伸ばされている筋肉であったり・筋であったり・骨であったりとその都度、肉体の部分・部分そのものになっていました。
タッピングをしたり、伸ばして緩めたりしたところは、温かくなったり・軽くなったり・エネルギー(氣)が漲ったりしている事がとてもよく感じられました。
最後に我を抜いた自然な正座をした時には、頭頂から丹田・会陰に向かってすっと軸が通ってどっしりと安定した状態になり、長座の時にはハートが開いて、ハートからエネルギー(氣)が漲り外へと拡がっていく状態になりました。
この日の夜、お風呂に入ったときに足の疲れを取る動きを湯船の中でもやってみました。
お湯に浸かってリラックスしているのと血流がよくなっているのとで、氣もちよさとスッキリ感に大満足でした。
教えていただいてありがとうございました!
今回も本当に充実したディープな時間でした。
ハリマンさんをはじめ、ご一緒した皆様 本当にありがとうございました❣️
2021.7.20「瞑想的な内容(意識への気づきを含む)編 感想
✾気分はニッコニコ。
先回は掴みたいものが掴めない、なんともハガユイ感じで終わった。
今回も身体がほぐれたあと、また右の手感じ、左の手感じ、最後に同時に右左感じるワーク。
頭で考えてる、それはもういいや と今日は手放した。
自分の身体の感じを感じてるものに思いを向けるワーク。
それも 思いを向けることの努力を手放した。
体幹からボワーっとした。外に向かってボワーっと溶けるように膨らんでいく感じ。
大変たいへん気持ちがいい。
これが、瞑想に近づいたのか、離れていってるのかわからない。
でも、なんだか充たされた感じ。
ありがとうございました。
✾ハリマン返信
いいですね「気分はニッコニコ」。健康の元、明るい発想の生まれてくる元です(^-^)
「努力を手放した」…。「努力」を「手放す」ことでしか現れてこない来ないこと・気づけないものがあります。
「努力」や「頑張り」は、「我」を張ることでもあったりしますから(^-^)
「我」をテバナシ、トキハナッタ時に「WHOLE」「全体」「いのち宇宙」に還るようです。
✾おはようございます!
昨日もありがとうございました。毎回、自分の身体との対話が深まるのが嬉しくて、この時間が楽しみです。
手を感じるワークでは、片手づつから両手になった途端に、手の表面から出てくるエネルギーが流れ出てくるのを強く感じます。
前回ちらっと思ったので、今回意識してみると、やはり意識すればするほどふわーっと熱いものが流れ出てくるのを感じました。
そのあとに体験した自分の雑念が出てくるのを見てみるワークは、とても面白くて、見張っているのに出てこない。
ハリマンさんがこのワークの解説をされた時に、そうだったんだーと大納得でした。
前回体験した知覚に気付いている意識に気づくワークは、今回は苦しくなりそうだったら自分のペースでいこう、
と最初から決めていたのが良かったのか、とても楽な気持ちで臨めました。
途中で「決して急がなくていいですよ」というハリマンさんの言葉にも安心できました。
最初にした雑念を見張るような気持ちでゲーム感覚で楽しみ、時折ふと集中が切れ、眠たくなったりすることがあっても、これも自分なんだなあ…とクスっと笑って見ていました。
今朝はとても目覚めが良いです!
また次回も楽しみにしています♪
✾ハリマン返信
「楽しみ」は人を生き生きさせますねぇ(^-^)
「片手ずつから両手になった途端」…意識の在りよう(階層?次元?)が変わると、エネルギーもよく流れるようになります。
日常の意識では感じられない精妙な感じや、何もしてないのに幸せのニュアンスが生まれたりします。
もともとの私たちが、そうだからです。
朝の目覚めがよいと、ステキな一日が始まりますね🌸
2021.7.16 「ゆるむ・ほどける・くつろぐ編」 感想
✾ありがとうございました!!股関節を緩めるところでは。。欠伸だけではなく。。涙がじゃあじゃあと出ておりましたよ~~いきなり!!幼子でございました!!!
骨盤をとんとんとしてあげておりましたねえ^^;
タッピングは本当に癒やされますねえ~~本日もどうもありがとうございました!!!!!ハリマンさん!!
皆さまどうもありがとうございましたあ
✾あったかいってこういう事だったんですね。
優しいってこういう事だったんですね。
✾タッピングされてるところを感じると、頭なのに足にも感じが…。
骨盤の中の血流を良くすることが自分でできて、良くなった!と 感じることができた…(*^ー^)ノ♪
毎回の衝撃!ありがとうございました。
2021.7.13「瞑想的な内容(意識への気づきを含む)編」 感想
✾13日は、ありがとうございました。
はじめから終始あくびのしっぱなしでした。
前半で、凝り固まっている肉体がほどかれ緩んでいき
動きたいように自由に心地よく肉体を動かし、静寂の中へ。
脳幹を活性化するワークでは、頭頂から下丹田・仙骨へエネルギーが
降りてみたされる状態と下丹田・仙骨からさらに下へ(ガイアのコアへ)と
グラウディングされる状態を感じました。
ワークをしながら面白いなあと思いました。
手を意識する。
右手だけ・左手だけ・両手。それそれに感じ方が違い、
右手だけの時には、エネルギー(氣)が集まっている・漲っているように感じ。
左手だけの時には、不要な不快なものがなくとても清涼な感じ。
両手の時には、何も無い。空。肉体という物質的な感覚がなく、エネルギー。
素粒子とか原子とか空気や空間と一体化しているというか同じような感じがしました。
音や感覚・思考に気づくワークでは、ただ今の感覚にひたすら集中し氣づく。
毎瞬・毎瞬の「今」という氣づきにフォーカスする連続。
これって、純粋に「今」を生きるを意識的に体験するアプローチだなあと。
日常で無意識的に何かをしながら別のことも考えている。
複数のことを考えながら生活することのほうが当たり前・優位になっているなあと。
それって、今に集中していないことだなあと。再認識できました。
過去にも未来にも生きられない。「今」にしか生きる事は出来ない。
分かっていることだけれど、出来ていないことが多い。
気づいている意識に気づく。それは、ひたすら今にフォーカスして生きること。
自分のことをしっかりと認識すること。自分軸がしっかりすること。などなど・・・
ほんとに深いなあとしみじみと感じているところです。
参加できて本当に良かったです。
ハリマンさんをはじめ、ご一緒した皆様、本当にありがとうございました。
✾おはようございます!
昨日もありがとうございました。
皆さんの自己紹介で、とても和やかな空気から始まって、途中シャバーサナや深く入ってしーんとしているときも時折皆さんと繋がっていることが嬉しくなりました。
いつもの体を感じたり動かしたりしながら、心も体も柔らかく優しくなって、心地よい時間でした。
片手づつを意識して、その次両手を意識する感覚は、両手を意識した瞬間に、自分の立ち位置がぐーっと上昇してそのあとすっと心に落ち着く感じでした。
そのあとの前後上下の空気を感じる時には、ひとつひとつの空間に引っ張られる感じから、全体を意識するとすっと安定して、磁石の中にいるようで、自然と姿勢が正されました。
意識を追いかけるワーク。
最後Mさんがおっしゃっていたご感想は、私もすごく共感できた部分がありました。
意識を追いかけて、また追いかけて、またその意識を追いかけて…とそればかりに集中していると、
呼吸することを忘れるくらいそちらの追いかけるのが必死で、また加速もするので、頭が言葉で一杯で忙しくなってきて、
途中で「これであっているのかなあ?」と考え、またその「あっているのか?」と考える私を追いかけ…。といった調子でした。
終了後にハリマンさんが「目が大きく開いたり」…もうひとつ、言葉を忘れてしまったのですが…私がこれで良かったかも?と思えるような意識状況をおっしゃった一言で、
「これで良かったんだなあ…でも、今度は呼吸を忘れないでおこう、まだ自分では要領がつかめていないかも…」と思いました。
意識を追いかけることは、私も子供のころから、痛みや悲しみを感じないようにしよう、とか何かしら無意識にやっていたことで、
結構卒業式にしろ誰かとのお別れの時にしろ、泣かない自分…というか泣けない自分がいて、私って冷たいなあ…と思っていました。
そして客観的に自分を眺めている自分を、逆に目の前のことに集中できていないダメな自分だと思っていました。
まだまだ意識を「意識して」追いかける(?)ことに慣れていなくて、その状況を自分でどう位置付けし安定させていけるか、これから楽しみなところです。
✾ハリマン返信
今回のいくつかの内容(ワーク?)は戸惑われた人も多かったみたいですね。
始め言ったように、これらのワークは普段の心(日常的な意識?)では「?」となったり、「何言ってるかわからない」「何やってるかわからない」などの声も上がるだろうと思っていました。
日常の表層の意識のさらに「奥の意識」に働きかけています。
わからなくても大丈夫です、「わかろう」としなくても大丈夫です。
からだをゆるめたり、ほどいたりとすることと相まって、そのうち(人によって時間差はありますが)自然と意識の奥の方が目覚めてきますから。
それから、言い方の違いだけかもしれませんが
「意識を追いかけるワーク」というより、「知覚(頭の中のおしゃべりや、体の感覚)に気づいている意識に気づく(ワーク?)」というニュアンスの方が近いかもしれません。
気楽に、あそんでください(^^)/
追・「…もうひとつ、言葉を忘れてしまったのですが…私がこれで良かったかも?と思えるような意識状況をおっしゃった」…
「漲ってる感じがありませんか、姿勢が勝手に整っちゃってる感じとか」。
✾ハリマンさん、そうです!
漲っている!という言葉でした。
瞑想なので、ふわーっと満たされる感じ、というのではなかったので、これで良いのかな?と思っていたのですが、漲っていて良いのだ!と思えました。
それから、お話の最初に出た昨日の参加者の共時性で、愛媛の石鎚山とポーランドのクラクフが出たのですが、丁度先週末に私の娘が友達と旅行に山形へ旅行中だよ~と写真を送ってきてくれていたのでした!!
✾ハリマン返信
「頭」(思考)は自分に起こったことを過去の経験に照らし合わせ、その枠内に収めようとします。
その枠内に収まり切れないと、「これでよいのかなと?」と戸惑ったり、イライラ落ち着かなくなったりします。
一方からだという「自然」は、ただ自然に、自然(からだ)の力(ハタラキ・摂理)のままに起こったことを反映します。
野口三千三先生が「からだに訊け」「いのちに訊け」と言ったのはこのことです。
「頭(思考・自我)」は過去の経験に照らし合わせ、現状(今までの自分)を安全に維持する役割があり、
「からだ」は、今起こっていることが いのちにとって快か不快か いのちのここち を感覚や生理(気分)で知らせてくれているように思います。
しかし、働かせる順番、本末を転倒させなければ、「頭」「思考」は素晴らしい働きを持っていて、とんでもない実力を発揮します。
「自然」「からだ」(間脳=神脳=宇宙脳=脳幹、松果体)に反映されたことを基盤に、「頭」「思考」(大脳・人間脳・三次元脳)が働くと、三次元に調和に満ちた素敵な世界が創造されると。
だから、シンプルで簡単ですけど「大脳優位から脳幹優位に目覚めるワーク」をやっているわけです(^-^)
✾右の手を意識、左の手を意識。はい、意識しました。両方を意識…えっ???となり、
前後ろ、上下の空間などになるにつれ疑問符及び違和感のようなものが出て、とても姿勢がただされるような状態にはなりませんでした。
また、目をつぶって意識しているその意識にベクトルを向けるという場面では、
なんだか心か何かがバラバラになるような、掴みたいものが掴めないイライラが募るようなそんな状況でした。
ここが出発点。
宜しくお願いいたします。
✾ハリマン返信
ありがとうございます🌸
(^-^)
「えっ???」。
「心がバラバラになるような、掴みたいものが掴めないイライラが募るような」という感想、よくわかります。
日常の意識(普段の意識)では、その奥の意識は掴めません。
「掴む・掴めない」というより、ただ、「そんなものがあるみたいだ」と気づけるだけです。
それだけで大丈夫です。
心が「え???」となることは最高の出発点ですよ(^-^)
2021.6.26 「咀嚼の話+腸活ワーク」
✾ハリマンヨガは緩むのよー💞って噂には聞いてたけど、中々しつこいわたし。
芯が緩みにくい(と思い込んでる)わたしが、いい感じで内側がポカポカして、おっしゃる通りいつのまにかしあわせ〜な気分になりました💞
長い間、肺の手術の後遺症で、心肺機能がすっかり落ちて、咳タンの発作で日常が辛い時が多いのですが、今日のケアでお腹がポカポカすると一度も呼吸が苦しくなかったのが不思議なくらいでした。 頭も緩んで、嬉しい時間でした。
ありがとうございます✨✨
これからの自分がちょっと楽しみになってきました💞
✾今回のヨガもすばらしかったです。ありがとうございました。
コロナ禍でマスク着用のせいか・・すっかり口不精?になっていたようで、さっそくカムカム意識しています。
唾液のこと 再認識。ありがたいです。咀嚼不足から胃腸不調で腰が痛くなったりすることもあるとか・・カムカム・唾液活性化・・習慣にしたいです。
腹部ヨガ?で、お腹をさわると 本当に全身がぽかぽかになって 温泉にでも入ったようです。
今朝、腹部 教わったように タッチしました。巡る感じがトータルで いい感じです。
貴重なレッスンをいただきありがとうございました。
次回 楽しみにしております。ご一緒の皆様 ありがとうございました。