虹色スタジアム
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 釜本邦茂さんのこと①「初めまして」 

 

8月10日、賀川さんが生涯をとおして敬愛したストライカー

釜本邦茂さんがお亡くなりになった。

 

若いサッカーファンにとっては

「世界の釜本」「メキシコ五輪得点王」と言われても

「ああ、なんか、むかしの選手?」ぐらいの感覚だろうけれど

(正直に言うと、賀川さんのところに通い出した頃の自分もそうだった)

日本代表歴代最多75得点(※)は

まぎれもなく“不世出のストライカー”の記録。

※2位 三浦知良(カズ) 55得点、3位 岡崎慎司 50得点

 

年齢、性別、洋の東西を問わず

傑出したストライカー、点取り屋が現れると

賀川さんは必ず「釜本」を引き合いに出していたから、

たとえばロナウドやルーニー、メッシ、

カズや岡崎慎司、大久保嘉人の話を聞きに来たのに

気づけばストライカー・釜本の話を延々と聞いていた――

そんな記者さんやサッカー関係者も少なくないはず。

そう、賀川さんはずっとずっと、“第二の釜本”を待ち続けていた。

 

 

わたしが初めて釜本さんにお会いしたのは20年前の11月、

「日本におけるドイツ年」の一環で

神戸で開催された「日独サッカー交流展」のとき。

賀川さん、釜本さん、デットマール・クラマーさんが登壇したシンポジウムで

撮影やら録音やら何やら仰せつかり、

賀川さんから幾度となく話を聞いてきた、その

“不世出のストライカー”に堂々とカメラを向け、

ファインダー越しに観察する好機に恵まれた。

 

第一印象は「大きっ! 実物、やっぱり大きい!」だった。

賀川さんとクラマーさんが小柄なせいもあったけれど、

何かこう、オーラというのか、

181cmとも182cmとも言われた実際の身長よりさらに大きく感じた。

サッカー選手にそうした感覚を覚えたのはあのときと、

FIFAバロンドール表彰式で突然目の前に現れた

クリスチアーノ・ロナウドの背中、の2回だけ。

 

(そういえば、とある大御所ライターさんは追悼記事の中で

 「けっして大型とは言えない」と記してらっしゃったが

 このイベントの頃、20年位前の日本代表FW

 柳沢敦、鈴木隆行、久保竜彦らと比較してもほぼ同じサイズ。

 釜本さんの時代の日本人の体格でみれば

 「大型」と言っても差し支えないのではと思う)

 

シンポジウムが終わったタイミングで偶然、

控え室で2人きりになってしまったときのド緊張は

今なお鮮明に覚えている。

心臓バクバクの若きアシスタント(まだ20代半ばだった)の

心の内を察してか、

ご自身でポットのお茶をいれ腰かけると、

つい先ほど終わったシンポジウムのこと、

これから始まる懇親会のこと、

それ以前に視覚障害者サッカーのイベントでお会いしていた

釜本さんのお姉さまのことなどおそらく2~3分、

他の方々が戻られるまで気さくにお話をしてくださった。

 

厚かましさを備えた現在のわたしなら

もっともっとグイグイお話を聞けたろうなぁ……

いまとなっては少々口惜しくもある「初めまして」の記憶。

思いの重み。『スペランツァのために』


facebookの「過去のこの日」(思い出)機能から、2015年4月28日の投稿を一つシェア。
まもなく他の業界でリスタートを切るからか、サッカー/スポーツ界での出来事や、手探りで奮闘していた日々がひどく懐かしく感じられます。

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【思いの重み。『スペランツァのために』】

夕方、クラブ事務所に若いお譲さんがやってきた。
チケットでも買いに来てくださったのかなと思い「こんにちは」と声をかけると、茶封筒を渡された。
「父がいつも、『スペランツァのために』って貯金箱に貯めてるんです。小銭で、重いだけで申し訳ないんですけど……受け取ってもらえますか?」。
お名前を聞くと、「いいんです」と言い、「応援してます!」と笑顔でお帰りになった。

ズッシリ重い、二重の茶封筒。
ATMに行けば機械がジャラジャラあっという間にカウントしてくれる。でも、それではいけない気がして手で数えた。

100円玉=36枚
50円玉=31枚
10円玉=144枚
5円玉=66枚
1円玉=170枚
計7,090円。

数えている間、仕事や買い物から帰った男性が「スペランツァのために」とポケットの中の小銭を貯金箱に入れている姿が目に浮かび、目頭が熱くなった。本当に有り難い。

クラブチームでの日常は、決して楽しいことばかりでなく、時に放り出したくなるような雑事や厄介ごとも舞い込んでくる。
だけど。
こういう方たちの支えを受けて、想いを背負って、クラブは存在している。それは絶対に忘れてはいけないし、それさえ忘れなければ、成長の歩みが止まることはないハズ。

この方のこと、試合日のボランティアスタッフのみなさんのこと、そしてスポンサーやサポーター、地域のみなさんのこと。選手たちにもきちんと伝えていかなければと思う。
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恩人

2015年初秋、萩原利幸という高槻出身のサッカー人が手を差し伸べてくださったおかげで、風前の灯火だった女子クラブが生き残りました。

利幸さん、わたしもクラブは離れましたが、生きている限り忘れませんよ。


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