ここに4つの書物蔵がある

紅葉山文庫ともいわれるが、単に「御文庫」といわれた。

ここには、図書館につきものの蔵書印はなく、

明治になって「秘閣図書之章」として蔵書印が

作られ捺印された。

将軍だけが見る文庫ですから、わざわざ捺印する

必要など無かったということです。


内閣文庫


初代家康の稀にみる本好きが招いたものが膨大な量の

在庫となり、それが現代の内閣文庫に引き継がれてる

その本の管理を、家康をこよなく敬愛した

3代家光によって書物奉行が置かれ、

代々厳密な管理が行われ、今も名前を変えてある。


その管理は実に丁寧なるもので貴重な書物を

後世にきちんと伝えてくれたのです。


江戸城紅葉山文庫に役所があり、

そこに勤務する御家人が書物同心といわれる。

御書物奉行が書き記した勤務日誌がある。

150年分あり、実に255冊になるという。




御書物奉行とは、「御」が付くが別に奉行が

偉いのではなく、

将軍が見る物を管理するから「御」が付いていた。


「御」というと平安時代になると、従来米を甑という容器を

使用して蒸して食べていたが、このころになると炊いて

米を食べるようになっていた。


甑(こしき)

以前、文化財の研究所でバイトしたことあるが、

実際にこの器を手に持った時は、何かしみじみとしたものを

感じました。

この器で飯を作って食べたんだなと。


実に華奢な感じで、強く持ったりすると壊れそうな、

年代を経てるので強度が弱いのでしょう。

実際にへりなどは脆いので割れます。

割れたのをを修復するが、元来不器用(仏教)な

小生にとって難関の行でした。


米が九州に伝来して僅か100年くらいで青森に米が



普及したが、しかし、だからといって米を毎日

食べるだけの余裕も生産も無かったでしょうから、

米を食べる時は、お祝いの日であったのでしょうね。



この伝播速度というのはすさまじく速いですね。

今まで、栗などを練って食べていたのが、

こんなに柔らかく美味しいものがあるのかと

驚喜した事でしょう。


平安時代では、炊いて食べるのを「姫飯(ひめいい)、

蒸して食べるのを「強飯(こわいい)」と呼ばれ、

公式な宴会では、強飯が出されたが、

貴族でも家では姫飯であった




現代でも、御目出度いことがあると、

もち米に小豆を混ぜて蒸した「御赤飯」を食べ、

蒸した飯(おこわ)を食べるのは

「お」をつけて公式な場での食事が、

強飯であった名残であるという

元寇


因みに、平安時代は、米を蒸して食べたが、

鎌倉時代になると

武士は玄米を蒸して食べたといいますから、


あごは強くなるし、歯も強くなるので力も強い。

之だけでも肉体的にどっちが強いかが

わかるというものです。


確かに、家康や秀忠などは強靭な顎をしてます

小柄だが、大きな鎧を付けて楽に動けるほどの

筋肉が付いてたと調査で判明してます

それが後になると急速に顎が細くなり

硬いものを食べませんから、顎の力が弱くなって

鼻が高くなる。

いわゆる殿様顔になっていくのです

14台家茂


成人になると普通は消滅してる歯が残存してた。

そして、家茂は虫歯だらけだった。

大の甘党でしたから余計でしたね。

その代わり朱に埋もれた状態でしたが、

まるで生きているかのようだったといいます。

家茂・和宮の墓  改葬前

将軍の棺には必ず朱を入れました。

将軍が無くなると江戸では朱の在庫が払底した

中に納められていた金時計