折紙に書かれていて、此処から、
折り紙つきという言葉が出来た
満徳寺離縁状と呼ばれ、仏教用語が用いられた離別一札之事
一、深厚宿縁浅薄之事
不有私 後日雖他え
嫁 一言違乱無之
仍如件
弘化四年 国治郎 爪印
八月 日
常五郎殿姉
きくどの
深厚宿縁浅薄之事、不有私 後日雖他え嫁
一言違乱無之
深く厚い前世の宿縁であったが、残念ながら
浅く薄かった為離縁となった。
これは、私の恨みとかの私怨ではなく、縁がなく
離縁する事は、何れにも責任は無いのだよ。
そういう意味です。
これが、周辺に普及し、離婚理由の最大となった。
仍如件 「よってくだんのごとし」
この言葉はよく出てきますね。
晴れて解放されます。
結構厳しい生活です。
3年間の滞在費?も必要です。
ただ飯を食わせる訳にはいきません。
食費や生活費が5,6両掛かるという事です。
ちなみに下女の給与は年に3両ですから、
2年分という事です。
若し、和解が成立しない時のことである。
今度は御用宿の亭主が、女達が寺で3年間の
勤めをするに際して、保証人となる。
その際は、女は寺へ入る為にお金が必要になる。
一定額の冥加金・扶持金である。
御用宿は、女が勤めの間の金銭の届けや
家族の面会、
病気の時の宿下がりの世話を御用宿が
引き受ける。
面会は、8歳以上の男子の場合は煩い許可が
必要でした。
大奥と同じですね。
寺の勤めの内容は、
有髪の尼であり、毎日読経する。
一番肝心な事は、冥加金の額に依り、
待遇が違うのである。
いわゆる、今の松・竹・梅の3つのコースがあります。
未だ、時価でないだけいいのかもしれない。
地獄の沙汰も金次第です。
一番上は上臈衆です。
勤めは、仏殿の御供え、住持の身の回りの世話、
来客の世話。
次に、御茶の間
仏殿の掃除、食事の世話、来客の給仕。
一番下の御半下。
飯炊き、水汲み、洗濯、草取りなどの雑用。
そして、厳しい精進生活に耐えかねて、
脱走を図った場合は、
厳しい処置が待っている。
寺法により、素裸にされ、丸坊主で門外へ追い出される。
仮に脱走が成功しても、人別から除外されるので無宿人
となっていくのです。
「出雲にて結び、鎌倉にてほどき」
渡し船
東慶寺だけでも、江戸時代後半の150年間だけでも
2千人を越える女性が駆け込んだという。
「二度目に 娘で通る 渡し船」
離縁状というと、忠臣蔵の大石内蔵助のように、
連座を避ける為に、前以て離縁して
難を避けた例もあります。
武士の場合は、連座制ですから、罪を犯すと
華族は勿論親類まで及びます。
以前、紹介したように将軍御殿医の娘・みねの桂川家も
叔父が逼塞を命じられると、同時に、閉門を喰らい
数か月門を閉ざされた。
町人の離縁状で有名なのが有ります。
荒神山の決闘で映画などで有名な吉良の仁吉の話。
縄張りを巡っての果し合いで命を落としますが。
その前に彫れた女房に離縁状を渡し、その離縁状の
文字の上に「シミ」がある
これは、涙の後だという。
縁を無理やり切られた女房が、
泣く泣く受け取ったもので
それが、シミとなって残った離縁状でした。
ちなみに慰謝料(趣意金)の事です。
幕府の法律では、趣意金は、嫁が離婚を請求した時は、
持参金を放棄し、反対に、夫の方から、切り出した時は
持参金を返さなければなりません。
そこで「逃げてきて 詰まるものかと 里の母」
自分で逃げてては駄目だと、母は言うのです。
夫から切り出すように仕向けて来なさいと、知恵つける。
それでも、どうしても金は放棄するから別れたいというと
これは、妻から夫に趣意金)慰謝料を払います。
安政5年(1858)に今の群馬県であった例だが、
宿場女郎であった女を落籍させて女房にした。
ところが結婚したが、
女は嫌で嫌でしょうがなかったのでしょう。
離婚を決意した。
そこで、趣意金が発生した。
でも、金は無い。
やむなく、金を作るために、元の仕事である宿場女郎に
戻って金を作った。
22両の大金です。
これは、恐らく、女を落籍させる費用であったに違いない。
女郎から足を洗えたのですから、
勿論、大喜びであったでしょう。
大体、年季奉公で年数を決めて、契約金を貰うが
10両から30両くらいが相場であったようです。
普通は、足抜け出来て喜ぶが、それでも、
亭主が嫌いであったのか、身売りしてまでの事ですから、
どうしても別れたかったのでしょう。

