写真は以前、瀬戸の畑で育てた枝豆です
今日も機嫌よく過ごせましたか?
地味~~にですけど、今年も小さな畑をしています。
採りたて枝豆の美味しさが忘れられなかったんですよね~。
以前はホームセンターで枝豆の苗を買ってきて植えたのですが、今年は種から初めてみました。
種を蒔いたのは6月末で、正直、種をまく時期としては遅かったので芽が出てくるカビ微妙だったんですけど、あっという間に芽が出てきて、びっくりするくらいのスピードで成長しています。
以前、瀬戸で畑を借りていたころにも書いた気がしますが、なりわいとして野菜を育てるというのは別ですが、個人で食べてみたいものを育てるなら、それほど深刻に考えなくてもいいと思うんですよね。
「枝豆とはいえ命でしょ!」
と言いたい方もいるかもしれないですけど、
そもそも命を粗末に考える人が野菜を育てようなんて考えないですよね。
それより、自分で野菜を育てると、取れた野菜の葉に多少の虫食いがあっても愛おしいし、美味しくいただこうと思えるんですよ。
そうすると、スーパーで売っている野菜を育てた農家さんの苦労を感じられる一方で、見た目も大きさもキレイにそろいすぎる野菜の不自然さに考えさせられるものがあるんですよ。
それって、子どものころに感じるのが一番いいとは思うんですけど、たとえ40代になっても、いや、60代になってからでも、育てた野菜から得られる感情や知識はほんとうにバカにできない貴重なものです。
あと、野菜の世話をしているときの精神状態って、瞑想をしているときにすごく似ていると感じています。
畑と育っている野菜を観察して、草を脱いたり、芽を間引いたりしているのが、自分を見つめているのに似ているんですよね。
とくに、作物をちゃんと実らせるためには、芽や枝を間引く作業が大切ですが、当たり前ですけど適当に思いつくまま抜けばいいというわけではないですよね。
これは脱いたほうがいいかな?
この枝は切ったほうがいいかな?
と野菜の苗に向かいながら考えている作業は、瞑想しながら自分の中のいらない感情や記憶の中で捨てようと思うものを決める作業に似ているんですよ。
それってまさに、野菜を育てる瞑想でしょう?
だから、ボクは野菜の世話をしていると、むしろ野菜から教えられながら自分を育てている気がするんですよね。
もしあなたが現在悩んでいるなら、食べて見たい野菜を育ててみるのをお勧めしますよ。
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今日は、いつもの週末にやっているリラクゼーションの手順を音声で残したいと思います。
リラクゼーションの姿勢ですが、
座禅のように座ってもいいですし、
ベッドや布団の上で寝転んでいただいてもいいですよ。
姿勢を作ったら、目を軽く閉じてください。
そして、私が声をかけますのでその手順でゆっくり体を緩めていってください。