これは一体何なんだろう?

と調べてみた結果、あらためて文化の違いに気が付いた出来事。

 

緑色なので「苔」類だろうと画像検索してみた。

該当する事物は見当たらなかったが、「...さざれ石のいわおとなりて苔のむすまで」 と国家の歌詞に扱われるれるくらい日常感覚で大切にされているのだろう、様々な苔の販売までしている事が分かった。

 

きっと日本にはない種類なのだろうと「mousse」で検索してみた。

検索結果に現れるのはmousse au chocolatばかりであった。

ムース・オ・ショコラはフランスではポピュラーな代表的なデザートである。

午前9時、気温摂氏9℃。

晴れ。

 

中庭にそびえ立つ大木の太い幹を切り落としたのが昨日。

来年の焚付け用にその小枝を更に細かく切り分けてまとめる。

晴れているんだからと溜まっていた洗濯を済ませ、干し終わった後、そうだもうそろそろと昼食の用意をして13時。

 

昭和の表現を使えば恥を忍んで憚りながら『ひも』である。平成になっては主夫である。令和になっては良く知らないが、ようやく同権を勝ち得たかもしれない。

 

「美味しかった。ご馳走様。」

この一言は救われる。

今日、奥さんは上機嫌である。

 

気温は摂氏17℃に上昇中。

これぞ、春。

ジャスト春分に、春。

 

 

 

記事の見出しには、インパクトのある表現で人を釣ったり、直接的な表現を避け曖昧さで推測させ興味を刺激させたりする効果を求められる。
でもぼくは見出しだけ見て大体は飛ばす。

 

にもかかわらず、『自民党青年局の会合に露出の多い衣装の女性ダンサーを招いていた問題 』についてを言えば、直接的な表現を避け、曖昧さで推測させ、興味をひいたりさせてる記事なんだろうなと思って、「ああ、それはマズイでしょ。政治資金を使って政治会合にストリッパーなんて呼んだら。なにやってんだ、もう。」と興味が沸いたので、読んでみると、なんだ単に肌の露出の多い衣装の女性ダンサーを招いていただけだった、とがっかりした。

 

制作中の妻のアトリエからYouTube配信で日本の報道番組が流れていた。台所でコーヒーを飲んでいると耳に入ってくるから、聞き耳を立てた。
「...、ダイバーシティをこう言う捉え方をしているなんて、相変わらず昭和感覚が抜けきっていないお粗末な政治家だ。」みたいな事を言って政治評論家が非難していた。

この問題の記事を知ったのは数日前だったので、なんか騒動になっていて、まだ続いているみたいで驚いた。
でも確かに、肌の露出の多い衣装の女性に興奮するのは昭和感覚なのかもしれないな、と己の性を恥じた。

 

でも、待てよ。
『今の人は肌の露出の多い衣装の女性に興奮しないのだろうか?』
と言う疑問も生じた。

 

そもそも、『ダイバーシティ』って何なんだろう?

 

最近の日本の記事だったり発言は、やたらと横文字が多くて、一応英語の基礎教育6年は受けたんだけど、ついていけない。

コンプライアンスとかハラスメントとかインフラとか、例えばだけど。

 

「制作中邪魔して悪いんだけど、『ダイバーシティ』って何? 『都市に飛び込む』って、前後の脈絡からしても全く意味不明なんだけど。」と妻に問いかけると、
「あ、それ違う。」と妻。「多様化って事。フランス語では『divers』、『diversité』と書きます。」

 

ああ、そのディベー、ディベーシテね。
やったやった、商品管理している時。カテゴリー化できない商品の区分けでその他に分類される、要するにバラエティーものね。
で、だからといって、いま問題にされている事とはなんなんだろう?

 

三杯目のコーヒーを啜っている時、
「分かった ! 分かったよ、わかった。」
と、脳裏になにかひらめいた。それで、つい大きな声を出してしてしまった。
「なによもう、びっくりするじゃない。」
「だから、分かったんだって。」
集中を諦めた妻は一旦制作を中断し台所に入ってきて、コーヒーをカップに注ぎ、ぼくの発言を聞く姿勢になった。
「だから、露出の多い衣装の女性ダンサーだけを呼んだのがまずかったんだよ。露出の多い衣装の男性ダンサーも呼ばなくっちゃイケなかったんだ。股間モッコリ男性ダンサーも呼ばなくっちゃイケなかったんだ。ビレッジピープル系グループは必然だったかも。
全く自民党議員片手落ちだったよな。黒木香やチッチョリーナも呼んだらよかったのに...」とまだ言い続けるつもりでいたけど、妻はコーヒーを片手に無言で去っていった。

 

ん、地雷踏んだ?

 

 

 

 

 

 

 

 

生前、ぼくが母に「ギリシャに行ってくる。」と伝えると、母も父と一緒に色々回ったことがあるものだから、旅行写真を眺めたりガイドブックを読んだりして「一緒に旅行した気分になっているのよ。」と懐かしがったりしていた、と姉から聞いたことがあった。

 

親子なのでぼくも似たことをする。

 

娘が一年くらい戻ってこないと遠くの地に赴いた。

どこそこに居ると聞くと、その地の気象情報を仕入れたり、ライブカメラを検索したり、ストリートビューで「ああ、この道を歩いているのかな?」「このスーパーマーケットで夕飯のおかずを買ってるのかな?」みたいな事をして思いを馳せる。

 

すると、

「ホント、ヤメテ欲しい ! ストーカーみたいだから。」

と苦情を言われた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

タバコは何処にあったかなとカーディガンのポケットをまさぐっていると、チクッと刺すような痛みを覚えた。

トゲでも刺さったかなと思ったら、蜂がもぞもぞしていた。

冬なのに。

 

これが二度目なので、結構あせった。

20年前、友達に「つぎ刺されたら、死ぬぜ。」と警告されたからだ。

 

「蜂に刺されてアナフィラキシーショックになるまで何分かかりますか?」

とGoogleで検索してみたら15~30分くらいでショック症状が現れ、処置を怠ると死に至るみたいなことが書いてあるから、「あーァ、これでもうお仕舞なんだ。残り30分の人生、何が一体できるだろう。」と必死に考えた。

 

まず、トイレに入って、次いでコーヒーを一口飲んだ。

午後3時19分。

そうだ、確か調理用赤ワインが一本残っているはずだ。それでもいいから飲もうとコルクを抜き、トクトクトクトクとグラスに注ぎ、飲んだ。

 

音を聞きつけた妻が台所に来て、

「あらやだ。昼間っから酒飲んでる !」と蔑むような眼差しを向けてきた。

「うん、今日はチョッと思うとこあって...」とボトルを抱えショボショボとぼくは二階に上がる。

 

飲んで考えた。

そして、また飲んで考えた。

 

 

そして、またまた飲んで考えたら、なんかおつまみも欲しくなった。

 

台所にはサラミもチーズもオリーブも、何もなかった。鶏ハムはあったけど好きじゃないので、脇に避けた。

卵だけはあった。

なので卵焼きホットサンドイッチを作った。

 

その音を聞きつけた妻がまた台所に来て、

「晩御飯まで待てないの?」と再び蔑むような眼差しを向けた。

「うん、今日はチョッと思うとこあって...」と作ったサンドイッチを持って二階に上がる。

 

まあ良い人生だったんじゃないかな。

娘は立派に育って、自立しているし、妻は脳卒中から回復したし、もうぼくの役目は終わったよな。と、めそめそしていたら、「ごはんよー」と呼ばれた。

 

「いいよ、いいよ、もう十分飲んだし十分食べた。思い残すことなんて何にもない。」そう妻に伝えると。

「だから、言ったじゃない。ごはん前にそんなに食べるから。」

 

 

もう三日も経つので、多分症状は出なかったんだと思う。

ただ、3 x 4 cm楕円形のほっこりした腫れと、かなりの痒みを伴っている。