実を言うと、その後関心を失った。特別な理由はないが、まずプログラムを把握していないし、一日中画面の前にかじりついていなくてはならないのが、無理だった。

 でも、このカテゴリーを設立してしまっているから、もう少しなんか書き足さなくては思うんだけど、失った関心を呼び起こすのは無理だった。

 

 もう何も書けない。

 

 それならばと渦中のパリに行ってみよう、もしかしたら石川佳純さんに会えるかもしれない、そういう思いで出かけてみた。

 

 石川佳純さんには会えなかった。

 

 会える訳がなかった。オリンピック会場の情報を全く把握してないし、元々人混みが大嫌いで、なるべく人気のないところを、行動していたからである。

 正直なところ本来の目的は、Bellevilleの中華街に醬油と豆腐と油揚げと冷麦を買いに行くためだった。

 だけど、買い物の前に勇気を出してオリンピックに関わりのある場所だけは寄ってみようと思った。

 

 それはチュイルリー公園にある気球型聖火台。

 どれだけ高くそびえ立っているのかと思いきや、「うーんなるほど」と言う感想しかおきませんでした。

 詰まり、オープニングセレモニーの時のカメラワークが良かったのですね。

 

 徒歩途中こんな物も見つけた。

 

 本来ここは証券取引所のはずなんだけど、USAチームの本拠地になっていた。

 USAチームは選手村で過ごさないのだろうか?

 それとも、ここは参謀本部なのだろうか?

 そもそも、今回のオリンピックに選手村ってあるのか? なんか阿部一二三さん街中で泥酔してたし。


 

ここ数日、少し根を詰めアトリエに引きこもって悶々と、無意味かもしれないと思う制作をしていた。発想が消えてなくならないうちに仕上げてしまいたいからだった。

今後の結果はどうあれデーターの送信を午前2時に済ませ一段落した。

 

比較的早くに目が覚めた。とは言っても、もう8時半。

寒暖計が16℃を示していた。でも晴天だ。

なので農具一式を抱え庭に出た。

出ては見たものの農作業をはじめる気が起こらない。木陰に設置されてるガーデンチェアーに座り、背もたれを倒し、ボーっと空を眺めた。

 

..........

 ここまでがスマホで打たれた文章。

 で、これからが一日の農作業を終え、日が沈もうとし、蚊の活動が活発になり、もうそろそろ室内に非難しよう、それで久しぶりに酒でも飲もう、と言う環境下でパソコンで打ち始める文章。

 なので、ろれつが回らないような文章がつづくかも知れませんがご容赦ください。

..........

 

 本来、時系列を順序だてて結論を最後に述べるのが適切なのでしょうが、もうだいぶ酔いが回って忍耐力を失っているから、結論を先に言ってしまうと、「諦めていた三つ葉が発芽した。」です。

 

 ドストエフスキーの素晴らしいところは、あの「罪と罰」で犯人は最初から分かっているのに最後まで読まされてしまうとこです。内容はもうすっかり忘れてしまいましたが、少年時代に完読し感動した記憶があります。

 ヴィクトル・ユーゴは文豪なのでしょうが、「ラ・ミゼラブル」は最後まで読み進むことができませんでした。何故かと言うと、あれは歴史書の類です。歴史に興味がないわけではありませんが、「さあさあ、ジャンバルジャンこれからどうなる?」と読者(ぼく)は次の展開に期待に胸を膨らませている矢先に、さてこの時代背景はと展開が切り替わりフランス史が永遠と語られるのです。ジャンバルジャンの物語が10ページだとすると歴史背景的内容はその数倍に上るのです。大阪の友人の表現を借りると多分「知らんがな。」です。

 読み終えられなかったもう一つの作品があります。多くのフランス知識人が賞賛するマルセル・プルーストの代表作「失われた時を求めて」です。確かに出だしのカフェでクロワッサンとコーヒーで物思いに耽る雰囲気、あのよくある当たり前の情景描写からの展開には魅了されました。でもぼくの持つ感受性には限界があったようです。大阪の友人の表現をまた借りると多分「どうでもいいがな」でしょう。

 あっ、ごめんなさい。ぼくごときが文豪の批評などしてしまって。

 そして話が反れてしまいました。

 

 三つ葉の事でした。

 三つ葉は多分、多年草です。

 

...(調べてみます)...

 

 ミツバ (三葉) セリ科ミツバ属の多年草で、学名は Cryptotaenia japonica。

 

 確かに多年草でした。

 ここ数年の経験で話しますが、霜が降り始める直前に室内に避難させれば、プランターでも生育を続けられます。

正月の雑煮には三つ葉は必要不可欠でありますよね。

 フランスにいても雑煮がないと年を越した気がしません。ちなみに、ぼくは東京出なので、醤油を数滴たらした澄まし汁の中に焼いた切り餅を落とす雑煮が究極の雑煮と感じています。具はネギと三つ葉程度が最高です。鶏肉とか蒲鉾とかを加える家庭もあるようですが、我が家が貧しかったのか、母が鶏肉を嫌いだったせいなのか、の判断は既に他界してしまっているので真実は確かめようがありません。

 なので大事に管理していました。

 が、

 今年も無難に冬を越し、春先に新芽が現れ、日の光を当てようと屋外に出すと、憎っきナメクジの被害にあって全滅してしまいました。一晩でやられました。

 

 さてこの頃、フランス政治情勢は不穏な空気が立ち込めていた。

 ヨーロッパ議会選挙を間近にマックロン大統領率いる与党チョット右寄り中道政権に国民からの批判は高まり、それに便乗した極右政党党首マリー・ルペンは支持を強力にし、政権交代をもくろんでいた…

 

 みたいに話の展開を変えちゃうと、やっぱりいそりや嫌ですよね。

 第一ぼくは無関心で全然知らなかったし。

 

...疲れたので寝ます。

 

 明日、勇気があったら、書くことを覚えていれば、またつづきを書きます。

 

 じゃ、


 

テレビを捨てたのはもうずっと前の事で、まだブラウン管の時代だった。

視聴税みたいなものを払わなくてはならなかったし、古いアンテナでは受信できなくなったし、自己申告制だったので「ない」と申告しても、それでもまだアンテナんがあるじゃないかと税務局から支払いの催促で、「そんなに疑うんだったら、家の中に入って確認してくれ。」と苦情を言ってその問題はなんとか解決した。あの当時はホントめんどくさかった。

古い錆びたアンテナはまだ4~5メートルの高さに無用にそびえ立っている。

マックロン大統領政権が数年前視聴税を廃止した。それでもテレビのない生活に慣れたら必要性を感じなくなって、再び持とうと思わなかった。

 

パリオリンピックが始まった。

妻と「オープニングセレモニーだけは見てみたいね。」と言っていた。

しかし、オリンピックはFrance télévisionの独占放送だった。仕方がないので慌ててアカウント(無料)を作り、リアルタイムで視聴できる環境にした。

(前述が長くなってごめんなさい。)

 

さて、折角オリンピックが視聴できる環境を整えたのだから、なにか観戦してみようと思いました。

こういう時、私自身も忘れていたナショナリズム精神が沸き起こってきます。

不思議ですね。

知らない他国選手と知らない日本人選手を目の前にどちらを応援したくなるかと言うと、やはり知らない日本人選手なのです。

 

で、日本人が出場している種目は何かと思い浮かべると、今日28日は柔道とか水泳でした。

早速プログラムを調べてみて実況生中継にアクセスしますが、せっかく阿部一二三選手が決勝進出しているのに、フランス人選手出場の三位決定戦が終わると画面はフランス人選手出場のカヌーに移行してしまい見られずじまいでした。

さっきからワクワクしていたのに残念です。

当たり前の事なのでしょうが、フランスで行われているオリンピックなので自国出場選手中心の放送なのでした。

 

競泳男子400m個人メドレー決勝は日本人二人を控え見事に松下知之さんが銀を獲得するという快挙を得まして、観客としても手に汗握る見ごたえがあったのです。つづく女子100mバタフライ決勝には平井瑞希さんが出場しています。

さあ彼女はどうなるかと期待が盛り上がった途端、男子400m個人メドレー優勝者がフランス人であるため画面はスタジオに切り替わり、彼に賞賛する声や感激する観客や彼の身内の感動や、それを今流す必要あるのかというような報道ばかりが続き、結局観戦できませんでした。

 

はらわたが煮えくり返える思いでした。

 

フランスで日本人の活躍する姿を観戦できる条件はそこにフランスが関わっているか否かなのですね。

結局、知らない日本人選手と知らないフランス人選手が頑張ってくれればと、改めて納得しました。

 

で、フランスの国技ともいえるフェンシング。エペ種目。加納虹輝さんがフランス人ヤニック・ボレルさんを抑え見事金を獲得しました。

わたしは両者とも初見で、最初にこの対戦を見た時あの巨人相手に「大丈夫か?」と言う不安を感じましたが、わたしの不安を物ともせず、あれよあれよと言う間にポイントを重ね見事勝利を勝ち取ったのは、ヤニック・ボレルさんにはホント申し訳ありませんが、今日のフランステレヴィジョンの自国中心主義的な放映のあり方に対してのモヤモヤを解消する意味でも、溜飲が下がる思いでしたね。

 

アラン(隣人)が柵越しにゲラゲラ笑らい転げて言った。

 

「君んとこの畑、草ぼうぼうじゃないか !」

 

確かに、彼が指摘する通りですが、ぼくにはPermaculture*(1)と言う理念があります。

(以下、知ったかぶり。)

 

調べていただければお分かりになると思いますが、あえてウイキペディアを引用させてもらえば、

 

「パーマカルチャーはもともと、生態系と自然のサイクルを注意深く観察し、模倣することに基づいた持続可能な農業と園芸の概念である。
持続可能な農業は、1970年代にオーストラリアの生物学者ビル・モリソンとその弟子デビッド・ホルムグレンによって提唱された。1981年、モリソンはその功績によりライト・ライブリフッド賞を受賞した。
パーマカルチャーの概念は次第に拡大され、環境に関する体系的な概念や、社会における望ましい生き方や機能を定義する規範的な倫理観を含むようになった。
ヨーロッパでは、中規模の農場だけでなく、個人の庭でもパーマカルチャーが実践されている。」

(DeepL.で翻訳。)

 

Symbiose と言う概念がこの農法には含まれていると思います。

補足しますと、サンビオーズ :共生と訳される文字のごとく共に生きる・共に生かすかすと言う概念でしょう。複数種の生物が相互関係を持ちながら同所的に生活する現象だそうです。

 

ちなみに、三好学(植物学者・理学博士)の1888年(明治21年)の論文によると以下のパターンがあるそうです。

  • 相利共生(そうりきょうせい、mutualism)  双方が利益を得る共生。
  • 片利共生(へんりきょうせい、commensalism)  片方のみが利益を得る共生。
  • 中立(ちゅうりつ、neutrarlism)  双方が利益を得ず、害も被らない共生。
  • 寄生(きせい、parasitism)、捕食・被食関係(ほしょく-ひしょくかんけい)  片方のみが利益を得、片方が害を被る共生。
  • 片害共生(へんがいきょうせい、amensalism)  片方のみが害を被る共生。
  • 競争(きょうそう、competition)  双方が害を被る共生。

 

一例を我が家のイチゴ畑に取ってみます。

イチゴ畑は雑草と共存しています。そして一部ニラ畑と被っています。

雑草によって朝露で地面は湿り、日中も直射から庇護され水やりはほとんどしなくていいという点は便利です。果実も日焼けしません。

ナメクジの被害は出ます。

しかしニラ畑と一部被ってい区域では被害が少ないのでナメクジに対してはニラとイチゴは相利共生と推測されそうですが、ニラにとってのイチゴの存在価値はなんら認められないので、片利共生とも言えるかもしれませんね。

雑草の中には非常に形態の似通ったのが現れます。ぼくはこれを「疑似草」と勝手に名付けていますが、イチゴの隣にちゃっかり同じ様な葉っぱで現れるのです。この雑草は人間の意図を認識しているとしか思えません。保護形態共生または疑似共生です。

年々果実の質が落ちてきていると感じていまして、きっと雑草に土壌の栄養を吸い取られていると判断し、3年に一度くらいは畑の手入れをし雑草を排除し土壌に適度な栄養を加えます。

 

相互関係を十分に理解しないと求める成果は得られないかもしれません。結構難しいです。

そして、十把一絡げ*(2)に雑草と言い切ってしまいますが、雑草の生命力は強いです。求める作物と雑草との共存は意外と難しい課題です。

 

つづく。

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*(1)Permaculture 造語・複合語 Permanent + Culture

culture(カルチャー)とは本来、(耕作・栽培・培養)などを意味する名詞。転じて(育成・文化)の意味に用られている。

 

*(2)じっぱひとからげ

言い回し・意味はおおよそ掴んでいたのに、どう書くのか知らなかった。「十羽一唐揚げ」だと思っていた。種類の違うとり肉をごっちゃまぜにして一皿の唐揚げにするみたいな。


 


 

植物を観察して、人間の感覚を基準に想像すると、植物にも競争があるように感じます。種を一粒だけ蒔いても発芽しない事がよくあります。

特に小さな種の場合それが顕著です。パセリ、トマト、三つ葉、唐辛子などはその類ですね。

意思をもってかどうかは定かではありませんが、彼らは一様に勢いよく発芽し始め、我も我もと成長も目覚ましいのです。

トマトを一例に挙げますが、培養ポットで成長した彼らを畑に移植させるのですが、必要な苗は、私の畑では12株で十分なのです。

選出して間引きをしなければなりません。

 

その執行権を私に委ねられているというのが、とても気が重く、憂鬱になることの一つなのです。

 

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来週末はオランダはウルフト(Ulft)と言う町で開催される国際的な現代美術イベントらしい、フンテンクンスト(Huntenkunst)に妻が出展しますので、設置などの手伝いに行きます。

お近くにお住まいの方で興味がありましたら、是非ご来訪ください。

 

「... アートフェアやアートフェスティバルとして、 さまざまなアーティストが作品を展示し、観客と交流する場を提供しています。このイベントは、さまざまなメディアやスタイルのアート作品を見る機会を提供し、アートの多様性を称賛する人々にとって魅力的な場となっています。...」らしいですよ。

 

日本人は妻しか参加しませんので、どれがぼくかはすぐわかると思いますよ。

ぼくの「ブログを読んで来てみました。」と声をかけていただければ、嬉しいです。