第20番札所 霊鷲山 宝珠院 鶴林寺(りゅうじゅざん ほうじゅいん かくりんじ)へ 遍路7日目

みかんの宿を6:30からの朝食を食べて7:15出発。

みかんの宿の朝食

昨日まで痛かった腿の付け根の痛みがなくなっていた。これなら楽に登れそうです。

鶴林寺へのへんろ道

鶴林寺までの距離は3kmだがほとんどが登りになります。

鶴林寺の標高

第20番札所 霊鷲山 宝珠院 鶴林寺

だいぶ登った。

第20番札所へのへんろ道

鶴林寺へのヘンロ道

鶴林寺へのヘンロ道

仁王門が見えた

第20番札所 霊鷲山 宝珠院 鶴林寺

鶴林寺の仁王門

 

鶴林寺の仁王門

第20番札所 霊鷲山 宝珠院 鶴林寺の仁王門

境内には大師の像を納めた六角堂(地蔵 堂)と6体の地蔵尊のほか、忠霊殿、護摩堂 などがある。本堂の向かって右には三重塔 がそびえ建ち、荘厳な趣を添えている。また、 仁王門の仁王像は、運慶の作と伝えられて いる。本堂の両脇にはお堂を守るように佇ん でいる一対の鶴の像があり、本尊が白鶴に 守護されながら降臨されたとされる杉の木 は、今でも本堂の向かって左にある。(文化庁)

六角堂

鶴林寺

階段を登ると本堂

第20番札所

本堂

第20番札所 霊鷲山 宝珠院 鶴林寺

「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」といわれる ほど、急勾配な坂を上らねばたどり着けない、 八十八ヶ所巡礼の難所として知られる。伝説によれば、弘法大師が この地を訪れて修法をしていると、雌雄二羽の 白鶴が代わる代わる翼をかざし、金色の地蔵 菩薩を守護しながら杉の梢に舞い降りてきた。 それを見た大師はすぐに三尺の地蔵菩薩を彫 刻し、その胸の部分に、白鶴が運んできた一寸 八分の金色に輝く地蔵菩薩を納めて本尊とし、 寺号を鶴林寺と命名された。(文化庁)

鶴林寺の鶴

 

鶴林寺

三重塔 本堂を正面に左手には杉の 木、そして、右手上段にあるの が文政6年(1823)、江戸末期 に建てられた三重塔だ。この塔 は、各層が和様、唐様などそれ ぞれ異なった建築手法を駆使 して造られており、当時の文化 をうかがい知る上でも貴重な 手がかりとなる重層建築だ。(文化庁)

霊鷲山 宝珠院 鶴林寺

 

鶴林寺

次は山を下って再度登りの太龍寺

 

第21番札所 舎心山 常住院 太龍寺(しゃしんざん じょうしゅういん たいりゅうじ)へ 20番鶴林寺から 下って登って6.7km

 

 

第21番札所 舎心山 常住院 太龍寺

太龍寺の標高

水井橋を渡りました

水井橋

標識があるので安心

第21番札所 舎心山 常住院 太龍寺

若杉谷川休憩所で一休み

若杉谷川休憩所

あと400mの標識

へんろ標識

仁王門

第21番札所 舎心山 常住院 太龍寺

弘法大師の修行時代を偲ばせる迫力あ る境内。本堂の横から御廟の橋、大師の拝 殿、その裏手に御廟があり、高野山奥の院と 同じ配列になっている。「西の高野」と呼ば れる所以の一つだ。(文化庁)

鐘楼門

太龍寺

「一に焼山、二にお鶴、 三に太龍」といわれる阿波三大難所の一つと しても知られていたが、現在はロープウェイが あるためアクセスしやすい。(文化庁)

第21番札所

大師堂

舎心山 常住院 太龍寺

多宝塔

太龍寺の多宝塔

 

太龍寺

 

21番札所

龍の天井画(書院廊下)

次は下って平等寺

 

第22番札所 白水山 医王院 平等寺(はくすいざん いおういん びょうどうじ)へ 21番太龍寺から10.9km

第22番札所 白水山 医王院 平等寺

第22番札所 白水山 医王院 平等寺

舎心ヶ嶽へ寄りました。

舎心ヶ嶽

大師の後ろ姿が

舎心ヶ嶽

大師の隣に座って自撮り

舎心ヶ嶽

 

平等寺への道

舎心ヶ嶽から下り

遍路小屋47号 大根

大根休憩所

宿へ到着

民宿パンダ屋

民泊パンダヤ

民宿パンダヤ

宿へ荷物を置いて平等寺へ

 

第22番札所 白水山 医王院 平等寺(はくすいざん いおういん びょうどうじ)

 

仁王門

第22番札所 白水山 医王院 平等寺

 

平等寺

 

本堂

第22番札所

 

 

平等寺

大師堂

第22番札所 白水山 医王院 平等寺

 

 

宿に戻り夕食です。

宿の隣の神社、楠の木が立派

パンダヤとなりの神社

パンダヤの部屋

パンダヤ

夕食は量が多く食べきれない

パンダヤの夕食

食事のテーブルに着いて驚いた!

ナナとシアトルがいた。アメリカの銀行退職も

今日の泊り客は5人。再会を祝い同窓会のような雰囲気の夕食です。

パンダヤの夕食

みかんの宿→鶴林寺→太龍寺→平等寺→パンダヤ

今日は24.2km36,899歩でした。