正確に確定できませんから。
中高生のボクとそておきましょう。
そのころ、ボクはこれからどうなるのか、
どうしたいのか、よく分からないことがありました。
そういう時、ボクは未来に聞きに行きました。
ボクは今どうしたらいいの。
いま何をしたらいいの。
するとボクの将来はボクにこう伝えてきました。
今はとにかく勉強して、嫌になるまで勉強して、
それを徹底的に極めなさいよ!
そこから出てくる答えを聞きなさい。
ボクは信越線の線路に耳を近づけてそれを聞きました。
そして徹底的に勉強しました。
ボクの悩みを吹き飛ばすにはこれしかない。
でもレベルは低かった。
ボクは低いなりに東京へ出てきました。
そこからさらに勉強しました。ボクにはこれしかない。
うちは貧しいし。いつしか投資系の新聞社に入り、
なおかつさらに勉強した。日経の投資に関する文献を徹底的に読み込んだ。
幸い、ライバルは少なかったと思います。
さらに得意分野の開拓。ヘルスバイオ、エレクトロニクスーー腕を磨いた。
沖電気など当時新設されたパーソナルコンピュータの拠点を見て歩き、
勉強した。だから、書く記事はおのずとマーケットに近い、
より投資家にアピールする内容だった。
さらにうちの母親ががんに罹った。
ボクは徹底的に大腸がんを学んだ。
毎回癌学会に通い、がんを究めようと思った。
だから、ほかの記者に比べれば、大きな差を開けたのだと思う。
こうしてエレクトロニクスとバイオの先端技術を比較的よく知っている記者
としてすぐに読者に知られていった。
興味のある先端技術は徹底的に究明しました。
そのころ米国のあるバイオメーカーと提携して、
ボクは社長として、先端バイオ技術の提携を進めました。
この話はここいらへんにしておきましょう。