BIRDMAN HOUSE 伊賀が最高にイカしていた件について | 1971年からの地図

1971年からの地図

見たもの聞いたもの感じたものについて、とりあえずざっくりと説明するブログです。守備範囲はやや広め。

子供の頃から夏の終わりの楽しみと言えば鳥人間コンテストだ。


あやふやな記憶だけでいうと多分1回目か2回目からずっと見ている。年イチの番組としては紅白よりきっと多いはずだ。


それの何が楽しいかというと人力飛行機の進化を目の当たりにすることができる、ということだと思う。


最初の頃は滑空機だけしかなく100mも飛べば優勝できていたのが200、300と記録が伸びそれも途中から登場してきたプロペラ機があっという間に追い越していった。


そのプロペラ機にしても最初はほとんどまともに飛べたものではなく、飛んではドボンを繰り返す内に1km2km、5km10kmとみるみる記録を伸ばして行くのを見るのは本当に楽しかった。


最初のうちはほとんどネタだった「目標 琵琶湖の対岸!」というのがやがて現実になり、条件がそろえば優勝候補ならば30kmを超えてくるのが当たり前のようになってくると結果の出せる機体設計の最適解はある程度固まるようになり、どの機体も大体似た外観になりつつある、というのがこの10年ほどの傾向だ。


そんな状況の鳥人間コンテストに、7年前からBIRDMAN HOUSE 伊賀が登場してきたのだが、初出場の時からもうこれが凄かった。


世界的工作機器メーカーである森精機の社員であるパイロット渡邊氏が中心となって作り上げたその機体は、他チームの機体が学生主体であるが故にどこか手作り工芸品といった雰囲気を残しているのに対し、もうはっきりと工業製品と言えるほどの組み立て精度が外観から見て取れるほどの完成度を持っていたからだ。


当初は東大出身の渡邊氏が学生時代に叶えられなかった鳥人間コンテスト出場を社会人になって叶えたという、テレビが好きそうな触れ込みであったのが、初出場で3位、2回目で史上初の琵琶湖往復40km達成、その結果、新たに導入された2方向往復60kmも達成、という圧倒的なな成績を残すとその完璧な出来に対して企業が本気出して大人気ない、という声も聞こえてきたほどだった。


確かにあの精度の高さは森精機の設備あってこそなのかもしれないが、それを鳥人間のために使えるようにするというのはまた別の話だ。


ちょっと考えてみてほしい。


業務時間外の時間で会社の設備を使い、とある競技会に参加する機体を作成する、その為には会社のお偉方を説得するだけメリットの提示とその承認、決裁が必要に違いないし、何より無様な結果で終わるわけにいかない。そういった目に見えない制限がある中で機体の設計、製作をこなし、自らはパイロットとして2時間以上の高負荷連続ペダリングに耐えうるトレーニングを継続し続ける、ということが社会人にとってどれほど困難なことであるかを。


少なくとも私は大人気ない、といった言葉でその努力と過程を揶揄する気持ちにはなれない。

とにかく、尊敬に値する。それだけの事を成し得てきていると私は考えている。


2回の優勝によってレギュレーションを変更するほどのインパクトを残したBIRDMAN HOUSE 伊賀だが、本当に驚いたのはその後だ。


鳥人間コンテストの定石として一度好成績を残した機体は、その後大きく設計を変更する事はまずない。好成績を残すという事は絶妙な機体バランスのアタリを引いた、という事になるからだ。一度キマりさえすれば、その後は条件次第、エンジン性能次第でもっと記録が伸ばせる、という事になるからだ。


なのでBIRDMAN HOUSE 伊賀が2連覇の後に大きく機体を変更してきた事にはとても驚いた。


その機体は一回り小さく、前にあった牽引式プロペラは後ろの推進式に変更されていた。

更に記録を伸ばすために浮力より速力を重視した作りだというのは一目で分かった。


初回は残念ながら失格となったが、その実力のほどは伺いしれたその機体を今回、さらにグレードアップして望んできたのだ。パイロット渡邊氏も今回が最後と明言する中で。


これが最後と持ち込んできたその機体は、今まで見てきたどの人力飛行機より、スマートでカッコ良かった。空力についてわからない人でもこれは間違い無く飛ぶ機体だ、と思えるほどの格好良さだ。


鳥人間コンテストの機体進化の針を一気に10年くらい進めたのではないか、そう思えるほど洗練されたデザインをしていた。



プラットフォームを飛び出したその機体はとても速く、そして安定していた。下を追いかけるモーターボートと比較しても相当な速さが出ている事が見てとれた。今回の目標である70kmはほぼ達成できるだろうとその時は思った。


だが、早々に駆動系でトラブルが発生、パワーロスが発生した上に、当日の想定以上の暑さが渡邊氏の体力を容赦無く削っていく。おまけにラスト15kmあたりで飲料水が尽きるというアクシデントが発生する。


ちなみに渡邊氏は出勤前に自転車で90km、3時間のトレーニングを積んでいると番組で紹介されていたが、これは想像以上にキツかったことだろう。


それでもゴールのプラットフォームから見える距離まで戻ってきたのだ。


だが最後の最後、向かい風で著しく推進力を削がれた機体はゴール直前で着水する。目標まであと18mというところだった。


18mというのは本来であれば2秒ほどで通過できる距離だ。駆動系トラブルがなければ、逆風があと少しだけ弱ければ、あるいは当日の気温が1℃でも低ければ。


競技としてはぶっちぎりの優勝。だが目標には18mだけ届かないという結末は、人と競うよりも自分の目指す高みにどれだけ近づけるか、ということを指針にしている人にとっては、どれだけの重みがあるのか。


ただ、やるだけの事はやり尽くし、常にベストを尽くし、最後の障害にもひたすら抗ったうえで、全て出し切った消耗戦の末に届かなかった18mでもあるのだ。


フライトの直後は爽やかに振る舞っていた渡邊氏であったが、終了後関係者だけとなった時にチーム員であり、おそらく上司でもある方にひたすら「ありがとうございました。」と泣きながら感謝の気持ちを伝えていた。


こういった時、人はどんな言葉をかければ良いのか。

渡邊氏のこの「ありがとうございました。」に釣り合う言葉なんて世界中どこを探しても見つからないだろう。


渡邊氏のその言葉に対し、上司の方はまたやりたくなったら言いなよ、また支えるよ、と返していた。これもまた薄っぺらではない重く深みのある言葉だった。


心から感動的な場面だと感じた。あまりにも高尚すぎてこれは逆に放送すべきではないとさえ思ったほどに。


心の汚れている私にはこの感動をうまく伝えることができない。だが、とにかくBIRDMAN HOUSE 伊賀は最初から最後まで最高にイカしていた、本当に格好いいとはこういう事なんだと。


それだけは伝えておきたいと思った。