少し前に書いていた旧旧女王群について、私の内検がキッカケで無王になったとまでは言い切れないが内検日に旧旧女王が姿を消している。それは後日におこなった内検にて巣内に存在する蜂児の日齢から読み取れた。そのためここへ小柄な蜂群同士を合同した際に余った旧女王を移入しておいた。うまく移入できていたはずなのだが10日後に見ると再び女王不在に。仕方がないので他群から蜂児巣盤を1枚引き抜いてきて、変性王台を作らせるべく挿入しておいた。

 

挿入した蜂児巣盤に複数できているであろう変成王台を整理・選別しようと内検すると、女王不在になってから10日ほど経過しているのにもかかわらず、何やらわずかに産卵が見える。丁寧に巣内を探したところ、交尾を終えたばかりの新女王が産卵を開始したところだった。巣内の蜂児巣盤のどこにも王台は無かったはずなのだが、この新女王はいったいどこから生まれてきたのであろうか。おそらく旧旧女王が姿を消した時に、そのタイミングで旧旧女王更新のため小さな未知の王台から未交尾新女王が羽化出房しており、それを知らずに私が旧女王を移入したものだから後日に旧女王が殺されてしまったのか・・・

 

どう考えても私が旧女王移入などの施術した日と新女王産卵開始日、変性王台養成のための蜂児巣盤挿入日との計算がまったく合わない。いったいどこから生まれてきた新女王なのか全く不明だが、とにかく交尾を終えて産卵を始めたばかりの新女王がいてとても助かった。

現在の時点で、本日午後に少々強い地震が2度ほどあった。1回目の地震は 13時20分頃。日本蜜蜂の見回りに行こうと自宅を出てすぐの信号機で赤信号停車していると、横から素早く強く揺られた。直後にスマートホンから緊急地震速報が。M5ほどで震源の深さが10km、長野県北部の大町市あたりが震源だったようだ。

 

赤信号停車していた対向車などは、スマートホンからの緊急地震速報を聞いて停車したままだったが、私は気にせずに待ち箱見回りに出かけて行った。10分後には1つ目の待ち箱に到着した。すると日本蜜蜂が大騒ぎしており、卓球ボールほどの蜂球が巣門扉の下端にできていた。そう、入居である。しかもまだ入居の行為中であり、逆算すると震度5弱の地震の最中に分蜂群が飛行してきたらしい。分蜂群が空中を飛行している間は強い地震が起きても飛行中ゆえに日本蜜蜂たちには無関係なわけだ。

 

写真はその入居してきた日本蜜蜂。私は一旦帰宅し、日本蜜蜂が落ち着いた3時間後に巣枠を挿入に出かけて行った。昨年などは入居直後に巣枠を挿入して、即、自動車に積み込み運んでいくなど乱暴な扱いをしてしまったので2群ほどに逃去されている。やはり日本蜜蜂は低刺激で扱う必要がある。今分蜂期は逃去行動を起こさないように丁寧に日本蜜蜂分蜂群を扱うようにしている。

 

挿入した巣枠は昨年に日本蜜蜂飼育に使用した巣枠で、スムシに食われてボロボロであちこちスムシの糸がぶら下がっているが、私は意図的にこの巣枠を使用してみた。そしたら何の影響もなく日本蜜蜂は受け入れ、巣枠挿入の直後から巣枠についているボロボロの巣盤の修正と掃除を始めていた。巣門を見ていると次々にスムシの糸くずを含む蝋片を運び出し始めたのでその旨を理解できた。

 

昨年の分蜂期のように乱暴に扱って逃去行動が起きないように丁寧に飼育してゆく予定だ。この蜂群は旧女王率いる蜂群なので、先ず間違いなく「5月末~6月上旬」には自然王台を作って再び分蜂しようとする。そのタイミングで人工分蜂して4群に分ける。よってこの1群の入居は「4群の捕獲」と同等の価値がある。これ以上に小分けにする事も可能だが、あまりに小分けに人工分蜂してしまうとスムシ耐性が大幅に低下して都合が悪い。せいぜい4群に人工分蜂するのが無難・安全なところであろう。

 

( 写真は昨年に撮影したものを流用 )

 

昨年から1群を越冬させており、今春には全滅したと思いつつも保持していたが、本日に巣箱の蓋を開けて内検すると、握りこぶし2個分ほどの蜂球になっており、中心部では育児がおこなわれて羽化出房している若蜂もいた。しかしながらアカリンダニの影響を強く受けている様子で、アカリンダニの寄生・増殖速度を上回る建勢ができれば健全群に復帰できるが、下回れば全滅する事になる。アカリンダニ対策についてはメントール投薬をしない自然任せゆえ事実上の放置をしているこの蜂群は、はたしてどちらへ向かうのだろうか?

写真は私が日本蜜蜂を大量に飼育してみようとして、巣箱と巣枠を自身で作った時のもの。巣枠はキットで購入して自身で釘を打って組み立てた。巣箱については友人の大工さんがカットをしてキットにしてくれたものを自身で組み立てたもの。

 

沢山の新たな巣箱を用意する前年までに、私は3群程度の日本蜜蜂を興味本位で自宅にて飼い始めている。

 

初めて捕獲しようと待った日本蜜蜂はビデオカメラを設置して分蜂群の飛来を待っていたが入居せず、飛来した分蜂群は私の頭と巣箱の上を通り越してその 20m ほど先にあったすぐ目の前の杉の樹洞に入居してしまった。その翌日又は数日後、同様にして自然巣から30mほどの所で金稜辺花付きの待ち箱を設置して入居を待ったのだが、入居してくる前に自然巣から分蜂が起きてリンゴの幹へ蜂球になった。それがこの写真である。これを器(うつわ)ですくい取るようにして巣箱へ入れ、初めて日本蜜蜂の飼育を開始した。

 

( 使用している金稜辺は「月章」。箱の蓋の上にある新聞紙は、木漏れ日が当たっていたので日除けのため一時的に設置。 )

 

金稜辺に付着しないようにするため、分蜂群本隊がやってきた時には金稜辺を自動車内へ片付け撮影した )

 

写真のように、金稜辺付きで撮影しながら分蜂群を誘引したり、その下の写真のように入居が決定したと思われる100匹近い偵察蜂の巣箱内における行動の様子を撮影したりと様々な観察をしてきた。このあたりももしかしたら鉄腕DASHにて参考にしていただいたのかな? と思う。

 

飛来入居してきた日本蜜蜂はすぐにこのような小さな巣盤を通り始め、少しでも内検しようものならば大騒ぎする日本蜜蜂について、

「触れるだけで大騒ぎする日本蜜蜂をどうやって扱い、どうやって内検したらよいものか」

と随分と悩んだが、悩みながらも内検を繰り返すうちに「低刺激内検法」の概念・基礎ができあがった。もっとも、既にテレビにて私は鷲谷いずみ先生が日本蜜蜂を扱う様子を見ており、

「そうかぁ、日本蜜蜂も巣枠で飼育して内検できるのかぁ・・・」

とは知っていた。

 

そして何とか捕獲した日本蜜蜂の飼育を始めたのだが、巣箱は西洋蜜蜂用のものしか手元になかったので「西洋蜜蜂用巣箱を使用した巣枠式(ラ式巣枠)」で日本蜜蜂を飼い始めた。偶然にしてこれが奏功して日本蜜蜂を自由自在に飼いならせるようになったのである。

 

( 巣落ち防止棒の有無の差はあるが自然巣を作らせる樹洞型巣箱や角形巣箱を使う人の中には「巣枠式で飼うにはお金がかかる」という思いを持っている人がいるらしい。確かにその通りだが、自身で組み立てる「キット巣枠(西洋蜜蜂用)なら1巣枠あたり 100円」ほどするし、ここへ西洋蜜蜂用の(パラフィン入り)蜜蝋巣礎を使用すると5等分ほどして使うので1巣枠当たり「巣礎代 40円」ほどかかる。蜜蝋巣礎の代わりにに薄いベニヤ板などを使用するなら巣枠1枚当たり「20円」くらいだろうか。「合計 巣枠1枚当たり150円」ほど。これを入れる巣箱が幾らか高いのだが、自身で組み立てる「西洋蜜蜂用のキット巣箱でなら6000円」ほどからある。 )

 

これは日本蜜蜂捕獲群が成長してきたものを内検しているところ。

 

この頃はまだ筋力トレーニングをしていないが、もともと握力が強いので筋張った筋肉質の腕をしている。その後に腰痛をきっけに筋トレを開始して11年5カ月を過ぎたあたりであろうか、最近は筋トレをさぼり気味・・・

 

日本蜜蜂の飼育開始の翌年からは、自宅にてこのようにして日本蜜蜂の人工分蜂も普通におこなう事ができた。だが、しばらくすると地球温暖化が著しくなり、高気温になるようになってしまって日本蜜蜂を自宅で飼育する事は不可能な時代に入っていった。

 

このように巣箱を配置して隣り合った巣箱同士の女王を入れ替えたり、ドミノ倒しのごとく次々に隣りの蜂群との女王同士を入れ替えたり、変性王台を養成したり、西洋蜜蜂の王乳で育てた日本蜜蜂女王を養成したり、無王群を復活させるなど、様々な事が日本蜜蜂でも可能になった。

 

 

地球温暖化による自宅付近の高気温化のほか、飼育群数が増えてくると自宅での飼育では糞害がすごくて近所に迷惑がかかるので、里山に蜂場を設け、やがて私は写真のようにして日本蜜蜂を山林で飼い、軽トラックを利用して西洋蜜蜂のように日本蜜蜂を転飼する移動養蜂をするようになった。

 

しかしながら現在、まだアカリンダニ禍から脱し切れておらず安定した日本蜜蜂養蜂はおこなえない。アカリンダニの寄生によって蜂群が全滅する蜂群が多いからである。よって春に新たに日本蜜蜂を捕獲する必要がある。当時は自身の日本蜜蜂飼育群の中のみで造群して希望者へ蜂群を用意できたが、現在ではそれは不可能に近い。もっとも、当時であっても写真に写っている日本蜜蜂蜂群の半数を依頼により毎秋に研究施設へ持って行っていたので、不足する数群数分は春の分蜂期に捕獲していた。

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やはり

「日本蜜蜂へのアカリンダニ寄生によって安定した日本蜜蜂養蜂ができなくなった」

という影響は大きなものだった。それまで高密度で生息して豊富にいた日本蜜蜂だったが、野生群の数が大幅に減少してしまい、加えて飼育群も安定営巣をしてくれなくなったため、様々な実験事ができなくなってしまったのである。その分の手間を私は西洋蜜蜂へ向けることができたので、現在の「西洋蜜蜂におけるミツバチヘギイタダニ防除」について、養蜂産業振興会 会報第4号にて取り上げていただけるだけのものは構築できた。

 

現在は「西洋蜜蜂の防疫」について観察をしているが、「アカリンダニが寄生している日本蜜蜂健全群の生態」についても観察を深め始めている。はたして今後どのような結果が得られてくるのであろうか。乞うご期待!

りくりゅうが今シーズン限りで引退との発表をした。シングルではなかなか頂点に立てず、フィギュアスケートが大人気な日本にあってもなかか注目される事が無かったペアスケートにて、様々な事で苦労し引退も脳裏をよぎる中でペアを再結成した木原運送こと、木原龍一さん。そしてペア結成を木原さんへ積極的に申し込んだ三浦璃来さん。最高の結果を出して、最高の引き際を見せてくれた。

 

おそらくスポーツの世界では、今回のりくりゅうの引退の仕方を皆さんが目指していると思われる。とくに相撲の世界などはその傾向が強いだろうか。

 

これまでのりくりゅうそれぞれが歩んできた道をお聞きしたり、ミラノ・コルティナ五輪にて金メダルを獲得した時のフリー演技をみると涙が浮かんでくる。素晴らしいものを残していただき感謝・感激・祝福するばかりだ。

「アマチュア無線」・・・というとすぐに「盗聴」とイメージする人がとても多い。私もアマチュア無線の免許取得前にはそのようなイメージだった。そして実際の話、盗聴もしくはそれに近い方向からアマチュア無線の世界に入る人が少なくない事も事実だ。

 

私が第4級アマチュア無線技士国家試験を受けたのは「1992年(平成4年)4月7日」。当時は既に携帯電話が存在していたが、その利用料等がまだ高額だった時代であり、トラック運転手やヤンキー系の若者の自動車にはCB無線やパーソナル無線が車載されていた。もちろんアマチュア無線も車載している人が多かったが、当時はまだ電子部品それぞれが低性能のため大きく、そのためアマチュア無線機の筐体(ボディ)までも大きく車載には難儀する時代だった。

 

(日本マランツ社製 C-520)

 

ところが1992年直後あたりからは電子部品等の高性能化・小型化・低電圧化が進み出し、そのため無線機の小型化が始まった。加えて車載用アマチュア無線機(通称 モービル機)などは操作パネルと本体が分離できるようになり、

「無線機本体は座席の下へ置き、操作パネルをダッシュボード付近に設置する」

というような無線機の車内設置にかかわる自由度が一気に増した時代である。ハンディ機は超小型の方向性へ進み、あまりに小さくなり過ぎたのにもかかわらず、使用している半導体の性能が追いついておらず強く発熱するものだから、私はハンディ機(日本マランツ社製 C-520)に放熱板(フィン)を取り付けて使用していた。

 

私がアマチュア無線機を手にしたのは免許を取得する前であり、先輩らが自動車を連ねて走る際に自動車間で連絡を取り合う姿を見て

「無線機と言うものは、なんて便利なのだろう」

と感じたのがそのキッカケだった。ちょうどハンディ機を購入してアマチュア無線を始めた先輩らが6カ月ほど経過し、今度は新たな車載用アマチュア無線機(モービル機)に買い替えるというので、この時に先輩から2台のハンディ機 (日本マランツ社製 C-520)を安価に購入させてもらい、見よう見まねで使用を開始した。もちろん「後にアマチュア無線免許を取得する」というのが条件だった。

 

ところが毎日のように第4級アマチュア無線技士国家試験を受けられる現在とは異なり、当時は年に2回ほどしか試験日が存在していなかった。それ以外の日に受験したい場合には、他の都道府県まで出かけてゆく必要があったのである。それゆえに私の4アマ国家試験を受けたのはアマチュア無線機を入手してから6カ月後だった。

 

もっとも、以前にもブログ内にて紹介している通り、私は無線工学の知識が無かったので、電気工学にかかわる部分を除き、無線工学の用語に至るまですべて最初から勉強する必要があった。そのため無線工学の専門書を購入してきて勉強したものだから、結果的に一通り理解できるようになるまでに「3カ月間~4カ月間」ほどはかかっただろうか。受験日が少なかった事と、無線工学を学ぶ時間が必要だったことから4アマ国家試験を受ける日が先延ばしになっていたのである。その後に受験日が1カ月前まで迫ってきた頃に4アマ国家試験問題集に目を通したところ、「あれっ!?」と衝撃を受けた。4アマ用無線工学試験問題では無線工学の専門書を勉強する必要性があるところまでは求めていなかったのである。ただ、有難い事にこの時に無線工学を徹底して勉強していた事から、1アマを受験した時にはその無線工学試験がとても楽に感じた。

 

やがて4アマ無線従事者免許状が届き、その1か月半後には無線局免許状が届いただろうか。幾らか無線家のまね事をしてみたが、私にはアマチュア無線は趣味の領域には入るものではなく、「複数の自動車で動く時の自動車間の連絡手段」や「自然観察時の山奥での連絡手段」としての利用がその主たる目的になった。

 

このような具合なので、現在では無線局は開局したままで再免許を受け更新し続けているが、使用する頻度は年に2回か3回程度。「自動車には無線機が搭載されているもの」という漠然とした私的なイメージと、大災害時の手助けになればとの思いもあってアマチュア無線局を維持している。