脳腫瘍が分かって1ヶ月目、結婚記念日 | 脳腫瘍と闘うパパと家族

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記録用✍︎闘病日記
2024.3~
脳幹グリオーマ(びまん性橋神経膠腫)と闘うパパと家族(パパ・ママ41歳
子供3人)
病気と闘うため情報がほしくて始めました。

2024.4.6


パパの頭に腫瘍があるのがわかって1ヶ月が過ぎました。 

目眩を自覚して1ヶ月半が経ちました。  

今は放射線宿酔も加わり、目眩は増強しているようです。 

ふらつきもありますが、駐車場から病院まで歩く、院内を歩くのは大丈夫そうです。 

それ以外は、腫瘍からくると思われる症状は今のところありません。 

放射線、テモゾロミドによる副作用は吐き気や倦怠感に疲労感。皮膚症状は今のところなく、心配していた便秘もありません。 

食欲は吐き気のない隙を見計らって食べているのでまずまず1人前は何とか食べられています。 

小鉢を何皿か新調したので少量ずつでいいから口に合うものを食べてくれたらと思っています。 

土日は放射線がお休みなので調子がいいといいな。 



病気がわかってからの1ヶ月は本当に色んなことがありました。振り返ってみると、やっぱり二度と経験したくないことばかり。 

散々泣き喚いて絶望して気が狂いそうになって、そして、今はやっと治療に全力を注ぐ方に気持ちが向きはじめました。 

ただ、それはパパが普通に会話もできるし手足も動くから、なんかずっとこのままでいられるんじゃないかって、希望と期待があるからかもしれません。 

そう信じる気持ちが、苦しい、辛い、信じたくないを今は上回っているから、治療に向かっている理由かもしれません。 

最近、夢でもパパがよくなっている未来をよくみます。 

正夢になるように、信じていくしかありません。 


あとは、一時の私の弱気というか上手く色んなことを回せず落ち込んでいた気持ちは(3/28の投稿あたりが落ち込み絶頂。)パパや子供に私の独りよがりな押しつけを辞めるように心がけたら、この1週間は割と気持ちが穏やかに過ごすことができました。 

治療が始まってパパが寝こむことが増えて、私自身焦ってしまった事と通院治療を望んたくせに勝手にプレッシャーを感じてしまっていたのかもしれません。 


放射線3週目は更にゆったりした気持ちで挑めたらいいなと思います! 



そして、昨日4月5日でパパと結婚して16年になりました。 付き合った年数をいれると22年。 

付き合った日、結婚式を挙げた日が4月5日でした。 

10代の終わりから41歳までずっと一緒にいます。 

私にとってパパは戦友であり、私の1番の理解者です。とにかくパパは昔から私に甘くて、私がやりたいことを、好きなことをしたらいいんだよといつも言ってくれました。 

前世は私の親だったんじゃないかと思うくらいに私を大事にしてくれました。 

家事も子育てもたくさんしてくれて、私が友達と出かける時は子供達をみてくれたし、夜勤以外毎晩お酒を飲んでも嫌な顔した事しないし、本当に優しくて、でも私が間違ってる時はちゃんと叱ってくれて、パパは私にとってベストパートナーだと思ってた。 

沢山くだらない喧嘩して、ぶつかるか事も数え切れくらいあって、酷いことも色々言ってしまったけど、いつもパパの方が大人で私を許してくれた。 


私のどこが好きか聞くと、昔から何故か必ず顔って言って、この歳になってもかわいいねと言ってくれていました。私にはそれが歳を重ねるごとに照れくさくて素直にありがとうとは言えなかったけど、嬉しかったです。 

パパが病気になって、あれ?私は今までしてもらうことばっかりで、パパに一体今まで何をしてあげられてたんだろう?って考えてみても、全然思いつかなくて。 

頼りきって依存して、支えてもらって。 

このまま当たり前におじいちゃんやおばあちゃんになっていくものだと思っていた。 

そう⁡。パパは私にとって一緒にいるのが当たり前で、失うわけの無い存在でした。 

なんなら勝手に私を看取るのはパパだと思っていました。 

パパが居なくなるかもしれないと思って私が1番感じたのは恐怖。怖いという感情です。私の道標、居場所が無くなる、生きる場所を失う、そう思いました。 


皮肉だけど、病気になってこの1ヶ月ほとんど離れることなく一緒にいました。⁡

⁡寝る時も隣で寝るようになりました。 

普段言わないような、お互いに大切な存在であることを伝え合いました。

病気になって私達夫婦の絆は更に強くなったように思います。  

これから、病気に精一杯抗って、諦め悪くいろんなことに挑戦して、2人で生き抜いてやろうと思います。結婚17年目も必ずお祝いしてみせる!⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡