《 和也 》
パーティから一月後、11月の水曜日。
「はぁ…」
幾度めかの溜息をついて、デスクに突っ伏せば、
乾いた音が和也の頭上で響いて、直後、結構な痛みが追いかけてきた。
「痛ってぇ…」
「おい、サボってんじゃねぇぞ」
持ち上げた視線の先に丸めた雑誌を手にした国分がいた。
どうやらあの武器で叩かれたらしいと気づく。
手加減知らずの一撃に、後頭部がジンジンする。
頭を手で擦りながら体を起こす和也に、
「こないだは、”良くやった。これで我が社は安泰だー”って、散々褒めてくれたのに…」
「まさか、一度に3店舗も発注来るとは思ってなかったんだよ。同日リニューアルオープンを目指してるとかさ、そんなの聞いてねぇよって話だよ」
「櫻井氏、鬼だな。超男前の爽やか笑顔で、無理難題を押し付けやがる」
「ふふ、自分だって断り切れなかったくせに」
国分は打ち合わせの席で、「お任せくださいっ!」と大見得を切ったらしい。同席していたデザイナーがため息交じりに零していた。
「んなこと、言えるワケ無ぇじゃん。あの目で迫られたらさ」
(うん、確かに逆らえないないよね...)
和也は心で頷いた。
生まれながらに持っている、上に立つ者としての資質というか支配力というか、
つい、従ってしまうのだ。
「さぁ、頑張りましょ。国分さんの腕の見せ所ですよ!」
「はいはい、ってか、お前もだろっ!」
― 国分さーん ―
「ほら、呼ばれてる。行って行って」
「お前、ちゃんとやれよ? 俺の顔潰すなよ?」
「分かってますって」
国分の背中を見送って和也もパソコンに向かった。
現段階での作業としては、クライアントの希望とそれに沿ったデザイナーの構想をすり合わせたアイディアを何となく形にしてランダムに保存する程度だ。
はっきりとした方向性が定まらないと、こちらとしてはどうにも動けない。
だが、こうやって何気なく作り溜めた物の中から実際にピックアップして応用することも少なくない。
なので、比較的のんびりと、でも色々と試行錯誤しつつマウスをカタカタやっている。
それにしても…
フリーダムな脳内作業の中、思考が翔に飛ぶのは仕方がないと思う。
仕事は別にして、かなりの割合で和也の意識に翔が居座ってしまっているのだから。
なぜだか翔と付き合うことになったあの夜から3週間ほどが過ぎている。
その間に二人で逢ったのは3回。
和也の休日に合わせて、金曜か土曜、夜の8時に待ち合わせて食事をする。
もちろん、食事だけで終わるわけではなく場所を変えて酒を飲み、それほど強くない和也が先に酔って、タクシーで自分のマンションまで送ってもらう。
3回ともそのパターンだった。
付き合うというからには、いずれその先もあるのだろうと思ってはいるが、二人でいてもなぜか甘い雰囲気などにはならず、部活の先輩後輩の飲み会のように害のない会話をするだけだ。
それはそれでとても楽しくて、和也は結構満足していた。
なのに先週の金曜の夜、いつものように送ってもらったタクシーから降りる寸前、翔が和也の腕を掴んでグイと引いた。
倒れこむ和也を抱き寄せ、ドライバーの死角に入ったところで翔が顔を寄せてきた。
唇が、ほんの一瞬触れるだけの羽のように軽いキス。
「…え?」
思わず固まってしまい、淡いライトの中、鼻先が触れ合うほどの距離で見上げれば、
「…おやすみ」
翔は切なげな表情で呟き、和也の目尻にもう一度キスを落としてから、身を引きはがすように体を離し、シートに座り直した。
「おやすみなさい…」
そして、前を向いたままで和也の声を受け取った。
ぽうっと突っ立ってタクシーのテールランプを見送り、和也は首を捻った。
翔はどういうつもり?
あの切ない顔は何?
和也は、エレベーターに向かいながら考えた、が、もちろん、酔った頭では答えなど出るはずも無かった。
そして、差し入れのコーヒーを飲みつつまた考えている。
酔ってはいないが相変わらず答えは出ていない。
一緒に居て安心できて、何も取り繕うことをしなくてもいい。
隠すことも何もない。もちろんこの性癖さえも。
潤と同じくらいパーフェクトな翔がいれば、潤から卒業できる、
潤が居なくなった心の隙間を埋めてもらえる、
…と。
でもそれは、翔も承知のはず。
男同士の恋愛に、男女間のそれのような駆け引きなんてものは存在しないと思っている。
欲しければ欲しい。シたいならシたい。
それだけだ。
もちろん愛は最重要事項だ。
好きじゃなければ抱かれたいとも抱きたいとも思わない。
それは男女の区別などない決まりごと。
グルグルの思考の渦の中、一つの考えが浮かび上がる。
それなら、自分は翔さんを愛せる?
抱かれたいと思うほどに?
苦しくて夜も眠れぬほどに?
「あーー、もぉっ!!」
「うるせぇぞっ、仕事しろっ!」
すかさず飛んでくる国分の声。
「はーい」
混乱する頭を抱えながらイライラとマウスを弄っていたら、何をクリックしたのか、不意にディスプレイに南国の画像が現れた。
輝く太陽、青い海、濃い緑、色鮮やかな魚たち。
そしていかにも南の国らしいどこまでもひろがる明るい空。
……脳裏に少年の横顔が浮かぶ。
同じような南の国のはずなのに、音のない静かな砂浜。
優しい夕日のオレンジを受けて輝いていた瞳、泣くのを堪えているような口元、小さな膝を抱えていた華奢な腕。
『郷愁』と名付けられていた、あの絵。
もう一度、見たい…
和也は立ち上がった。
「国分さん、ちょっと出てきます」
「どこに?」
「情報収集」
「なんの?」
「うーん、メンタル的な?」
「は?何だそれ?」
「行ってきまーす」
「仕事し…」
和也は、追いかける国分の声を振り切ってドアを閉めた。
何かが変わるような、何かが分かるような、なぜか、そんな気がして。
続く。