「仕事の話はもういいよ。それよりもさ…」
翔は体を捻り、上半身を和也にグッと近づけた。
「俺と付き合わない?」
「…は?」
鳩に豆鉄砲。
「君、ゲイでしょ?」
「!…っえ、えっ、ええ!?」
鳩にマグナム。
「俺がなぜ15年以上も前に一度会ったきりの君を覚えてたか分かる?」
和也は丸い目のまま、首を小さく横に振った。
「印象的だったんだ。君が潤を見つめる時の目が」
「…目?」
一体何を言い出すのかと、訝し気に睨んでくる目。
そんなキツイ表情もいいと、翔は思う。
「6年生だった君は、潤に恋をしていた」
「……!」
翔のストレートな言葉にピクリとのけ反る体。
ガタン!
反動で不安定なカウンターチェアが揺れる。
「危ない! 落ちるよ」
思わず差し出した翔の手を、和也は払いのけた。
「なっ、何をバカな!」
和也は体勢を立て直してグラスを手に取ると、薄まった水割りをグイと一気に飲み干した。
そして、空いたグラスを手に助けを求めるようにマスターを探すが、その姿は見えない。
確かにさっきまではすぐ近くに立っていたはずだが。
「彼は、人の恋路を邪魔するほど無粋な男じゃないんだよ」
翔がニコリと微笑めば、
「何か勘違いしてるんじゃないですか?僕はそんなんじゃ…」
と、和也はプイと横を向く。
「違う?」
「違います!」
「おかしいな?」
「…帰ります」
和也は、顔を背けたままチェアから降りると、上着とバッグを掴んで頭を下げた。
「今日はありがとうございました。また改めてご連絡いたしますので」
立ち去ろうとする背中に翔が言葉を投げる。
「分かるんだよ。俺も同じ人種だから」
和也の足が止まった。
「あの頃、俺も好きなヤツがいたから」
そろりと振り返る華奢な顎。
「もちろん、同性だ」
「…あなた、も?」
『も』 ね。ふふ、認めたな。
「君が潤を好きなことなんてすぐに伝わった。だから記憶に残ったんだ」
翔は、戻って、と和也が座っていた場所を手の平で示す。
「可愛いくて幼い君はキラキラのハート型の瞳で潤を見つめていた。無意識だったんだろうけど真っ直ぐに潤だけをね。俺のことなど全然見てなかった。君の記憶に俺がいないのは当然だよ。だって最初から視界に入ってなかったんだから」
立ったままの和也が小さく呟く。
「…もしかして、翔さんも、潤のこと…」
「はあ?」
的外れな言葉に今度は翔がのけ反る。
「アハハ、無い、無い。アイツは昔っから大の女好きだったよ。おまけにあんなに遊びまくってたくせに仲間内のマドンナとさっさと結婚しやがってさ」
笑い飛ばす翔の言葉に、和也の表情がスッと翳る。
「あ…(ヤベ)」
唇を、その淡いピンクが無くなるほどに噛みしめて、ジッと翔を見ている。
その切ない視線を受けて、翔はキリリと胸が締め付けられた。
あの頃から十数年、和也は辛い思いをしてきたに違いない。
報われるはずのない恋をして、何度も何度も諦めて、距離を取ろうにも従兄弟同志という血の繋がりがあればそうもいかない。
そして、親戚として結婚を祝福し、来年には潤に子供が生まれるという。
今でも、潤を…?
「…ふっ、うっ…」
みるみるうちに、紅茶の眼球が膨らんだ。
「わ、わわわ…」
「翔さん、ひどい…」
ハラハラと滑らかな頬を涙がつたう。
「せっ、せっかく忘れようと、諦めようと、自立しようと思ってんのに…」
和也は俯き、はぁ…と息を吐いて肩を小さく震わせた。足元にポタポタと水滴が落ちて、磨いてきたであろう靴の爪先を濡らす。
思いがけない場所で、思いがけない相手から、思いがけない刃(やいば)を向けられ、その鋭い切っ先はようやく塞がりかけた傷を抉るほどのキツイ痛みを与えて。
翔はチェアから降りて、震える和也の体を抱き寄せた。
「ごめん、君を泣かせるつもりなんか無かったんだ」
「………」
「ね、俺と付き合おう? ただの気晴らしでもいいからさ」
「離してください…」
「離さない」
和也の両手がグッと胸を押してくる。
「帰ります」
「でもさ…、いいの?」
「なにがですか?」
キツイ目、いいね。ゾクゾクする。
「国分さんへの報告はどうする?」
腕の中の和也が硬直するのが翔に伝わった。
「万全の準備をしてくれて、言葉の一つ一つを吟味して送り出してくれたんだろ?このままじゃ、なんの成果も…」
「…汚い」
「ん?」
「翔さん、汚いです」
「そお?利用できるものは何でも利用する、使える手はどんな手でも使う、ビジネスのセオリーじゃね?」
「ビジネス?」
「ふふ、違う、違う。それは恋にも通ずるってことさ」
抱き合う格好で翔を見上げいる瞳。
そこに涙はもう無かったが、代わりに軽蔑の色に染まっていた。
ゾクゾクするな…。
でも、その奥、ほんの僅かだけども安堵の色を見た気がしたのは、自分の思い上がりだろうか。
翔は、当初の目的を忘れかけていた。
智の意識を逸らしたくて、何かが始まる前に阻止したくて、その視線の先を辿ったはずなのに、
今、この腕の中の温もりを欲しいと思った。
表情一つでこんなにも自分を惑わす不思議な魅力を持ったオトコを、もっと知りたいと
ただ思った。
「な、付き合おう」
「…はい」
和也は翔を見上げたまま小さく頷いた。
「…仕事、うちに全部委ねていただけるのならば」
「…ズルくね?」
「セオリーですから」
二人は小さく微笑み合った。
確かに、
翔は智を、和也は潤を、この瞬間忘れていた。
続く。