【消防雑学】消防ヘリコプター 世界的には珍しい消防ヘリ
【消防雑学】消防ヘリコプター 世界的には珍しい消防ヘリ
日本の消防は、市町村が管理運営する公設の「自治体消防」だ。
ところが世界は広い!
海外には消火や救助・救急活動を行うユニークな民間企業がある。
それが ファルク(FALCK)だ。
日本では馴染みのない・・・「ファルク(はやぶさ)」
実は世界最大の民間消防会社だ。
「ファルク」はデンマークで生まれた。
ファルク発祥の地であるデンマークでは、ファルクが国土の約70%の
消防業務を担当している。
公設消防隊が設置されているのは、首都のコペンハーゲンなど限られた
都市や町だけである。
デンマーク国内には、ファルク社の私設消防隊と公設消防隊が共存している。
多くの地方自治体はファルク社と協定を結び消防・救急活動などを委託している。
ファルク社の消防業務は、自治体の消防監督官の指揮を受けており
活動上の問題はないという。
また、ファルク社は消防学校などを保有し職員の教育も公設消防隊と格差がない。
ファルク社の創設者ソーファス・ファルク(Sophus Halck)は、
デンマークのコペンハーゲンに生まれた。
1884年10月3日、19歳の時に彼はコペンハーゲンで
クリスチャンボルグ城の歴史的な大火を目撃した。
それから22年後の1906年(明治39年)10月3日に、
ファルクはコペンハーゲンに
最初の私設消防署(ファルクステーション)を開設した。
ファルクは、デンマークでは消防・救急活動のパイオニアであり、
常にその時代のニーズを取り込んで業務を拡大し成長してきた
ユニークな世界的企業だ。
ファルク社では、「アボネメンタ」という一種の安全・安心サービスがある。
その加入者には、家畜やペットも含めた検索・救助サービス等を提供する。
ネコが木から降りられない時には助けに来てくれる。
酪農王国のデンマークでは動物の救護活動のニーズも多い。
また運転中の車がエンコした時には、車ごと目的の場所まで運んでくれる。
ファルクは、消防活動の他に警備保障とJAFの様なレッカーサービス、
交通事故や海難事故、保健衛生、福祉分野など安全・安心に直結する
広範囲な仕事をしている。
もちろん、消火や救急活動等は「アポネメンタ」加入の有無とは
関係なく提供される。
ファルクは、全地球的な規模でその活動を展開している。
ヨーロッパ各国や南北アメリカ、オセアニアなど・・・
その活動は陸・海・空の全領域に及び、ファルクの業務範囲や
装備資機材、教育訓練は日本人の想像をはるかに超えている。
日本には単独で、ファルクに匹敵するような活動をしている組織は存在しない。
ファルク社は、営利的ではない世界で唯一の私設消防隊とも言われている。
だが、その多様で幅広い業務から・・・「消防会社」という呼び方は適切ではない、
なぜなら消防の仕事はファルクの業務の一部分であり全てでは無いからだ。
日本でいえば福祉行政や警察・海上保安庁のような分野のサービスも提供している。
ファルクは、事故や疾病、緊急事態の予防対策や教育訓練の機会を提供する。
また災害や事故、病気、ケガなどの緊急時には救援活動や支援を行い、
さらに傷病者の機能回復なども行う。
民間企業なので利益を上げることが求められるが、
デンマークの大手企業などからの投資があり、その業務や研究などを
通じて利益を還元するように努めているという。
(あとがき)
かつて、デンマークの首都コペンハーゲン市ゲントフテ区の
消防署長クリス・クリストファーセン氏が研修のため来日した。
その時にクリストファーセン署長から「デンマーク全土の
過半数の地域では、自治体消防ではなくファルクという
民間企業が消防業務を担当している。
そのためデンマーク全土の統一的な消防統計は存在しない」と言われた。
ファルクの名前はこの時に初めて聞いたが、
その後、日本では話題になることはなかった。
写真の出典:Wikipedia & Falck社HP
手軽な消火道具といえば、やっぱり「消火器」だろう。
この消火器、実は江戸時代後期にはもう誕生していた。
1813年に英国人のジョージ・ウイリアム・マンバイ
(George William Manby)が
噴射式の消火器(Fire Extinguisher)を発明し特許を取得した。
マンバイ大尉 出典:Wikiprdia
1813年といえば、なんと今から200年も前。
日本では江戸時代末期の文化10年、明治時代より55年も前だ。
その江戸時代の消火用具といえば手押しポンプ式の
「竜吐水(りゅうどすい)」や箱型水鉄砲などがある。
マンバイの消火器は、3ガロン(約13、6ℓ)入りの銅製容器本体に、
消火剤として炭酸カリウムを入れて、圧縮空気によって噴射する構造だった。
現在の噴射式消火器の原型(プロトタイプ)と言えるだろう。
出典:Wikipedia
消火器が日本に初登場したのは、1872年(明治5年)に
京都で開催された西京博覧会。この消火器はアメリカから
出品されたもので、「火災消防器械」と何やら難しそうな
ネーミングだった。価格も時価30ドルから50ドルと
非常に高価なものだった。
また1881年(明治14年)にはアメリカのアルモン・グランガー(
Almon Granger)が
二酸化炭素を小型の容器に詰めた消火器を発明した。
一方、日本で初めて消火器が製造販売されたのは1895年(明治28年)。
現在の丸山製作所の前進である丸山商会の丸山安治と内山信治の
兄弟によるものであった。
この二人の兄弟がドイツから輸入された硫層式消火器(硫酸と重曹水を化合させて放射する方式)の実験を目にしたことから、「自分たちで国産消火器の製造をしよう」と研究開発に着手したという。
日本初の国産消火器は、鋼鉄製の硫重式消火器で当時の販売価格は6円。
当時はお米10㎏が約1円12銭で買えというから、
お米なら50㎏以上も買えるお値段。
丸山商会は新潟県高田町で創業した。当初は外注工場で委託製造を
していた同商会が初めて開発した消火器は、硫層式消火器の中でも
「回転式」と呼ばれる独特のものだった。
1903年(明治36年)には、この回転式が「丸山式自働消火器」
として特許を取得、その6年後の明治42年には
新潟県から東京進出を果たした。
1921年(大正10年)には泡沫消火器の製造販売も開始している。
その2年後の大正12年の関東大震災の時には、
すでに消火器が市販されていたのだ。
東京の墨田区にある東京都復興記念館には、被災し変形した
消火器が展示されているが、その当時の消火器はまだまだ
設置本数も少なく希少価値であったようだ。
戦後の昭和25年、消防法の一部改正により「消火器検定制度」が誕生した。
戦後の復興期、日本製品は「安かろう 悪かろう」の代名詞だった
から、検定制度で
一定の品質や仕様の統一性を図る必要があったのだろう。
昭和40年には現在、普及している「ABC粉末消火器」が多くの
会社から製造・販売されるようになった。
日本全国に出回っている消火器の設置総数は、粉末消火器だけでも
約4千万本と見られている。(平成12年度 日本消防検定協会)
消火器が発明されてから200年余り・・・・今や、消火器はどこでも
目にするようになったが、相変わらず、みんなの関心は
低く使えない人も多い。
日用品のように「ふだん使い」しないモノは
なかなか意識にのぼり難いのだろうか。
誰もが、消火器に関心を持ちたくなるようなアイデアはないものだろうか?