消火器の歴史 1813年に英国のマンバイ大尉が発明 | 消防雑学の広場

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手軽な消火道具といえば、やっぱり「消火器」だろう。

 

この消火器、実は江戸時代後期にはもう誕生していた。

1813年に英国人のジョージ・ウイリアム・マンバイ

(George William Manby)が

噴射式の消火器(Fire Extinguisher)を発明し特許を取得した。

 

                  

                   マンバイ大尉 出典:Wikiprdia

 

1813年といえば、なんと今から200年も前。

日本では江戸時代末期の文化10年、明治時代より55年も前だ。

その江戸時代の消火用具といえば手押しポンプ式の

「竜吐水(りゅうどすい)」や箱型水鉄砲などがある。

 

マンバイの消火器は、3ガロン(約13、6)入りの銅製容器本体に、

消火剤として炭酸カリウムを入れて、圧縮空気によって噴射する構造だった。

 

現在の噴射式消火器の原型(プロトタイプ)と言えるだろう。

 

                                                  出典:Wikipedia

 

消火器が日本に初登場したのは、1872年(明治5年)に

京都で開催された西京博覧会。この消火器はアメリカから

出品されたもので、「火災消防器械」と何やら難しそうな

ネーミングだった。価格も時価30ドルから50ドルと

非常に高価なものだった。

 

また1881年(明治14年)にはアメリカのアルモン・グランガー(

Almon Granger)

二酸化炭素を小型の容器に詰めた消火器を発明した。

 

一方、日本で初めて消火器が製造販売されたのは1895年(明治28年)。

現在の丸山製作所の前進である丸山商会の丸山安治と内山信治の

兄弟によるものであった。

 

この二人の兄弟がドイツから輸入された硫層式消火器(硫酸と重曹水を化合させて放射する方式)の実験を目にしたことから、「自分たちで国産消火器の製造をしよう」と研究開発に着手したという。

 

日本初の国産消火器は、鋼鉄製の硫重式消火器で当時の販売価格は6円。

当時はお米10㎏が約1円12銭で買えというから、

お米なら50㎏以上も買えるお値段。

 

丸山商会は新潟県高田町で創業した。当初は外注工場で委託製造を

していた同商会が初めて開発した消火器は、硫層式消火器の中でも

「回転式」と呼ばれる独特のものだった。

 

1903年(明治36年)には、この回転式が「丸山式自働消火器」

として特許を取得、その6年後の明治42年には

新潟県から東京進出を果たした。

 

1921年(大正10年)には泡沫消火器の製造販売も開始している。

その2年後の大正12年の関東大震災の時には、

すでに消火器が市販されていたのだ。

 

東京の墨田区にある東京都復興記念館には、被災し変形した

消火器が展示されているが、その当時の消火器はまだまだ

設置本数も少なく希少価値であったようだ。

 

戦後の昭和25年、消防法の一部改正により「消火器検定制度」が誕生した。

戦後の復興期、日本製品は「安かろう 悪かろう」の代名詞だった

から、検定制度で

一定の品質や仕様の統一性を図る必要があったのだろう。

 

昭和40年には現在、普及している「ABC粉末消火器」が多くの

会社から製造・販売されるようになった。

 

日本全国に出回っている消火器の設置総数は、粉末消火器だけでも

約4千万本と見られている。(平成12年度 日本消防検定協会)

 

消火器が発明されてから200年余り・・・・今や、消火器はどこでも

目にするようになったが、相変わらず、みんなの関心は

低く使えない人も多い。

 

日用品のように「ふだん使い」しないモノは

なかなか意識にのぼり難いのだろうか。

 

誰もが、消火器に関心を持ちたくなるようなアイデアはないものだろうか?