じっくりお読みください・・・って、私も後でじっくりと読もう。

 

 

障害者に対して、「生きている価値がない」かのように主張する者たちの大半も、こそこそと身元を隠して暗闇のなかから声を上げることしかできない。
 たまに勘違いして、麻生太郎のように「老人は無駄金を使って、お国のためにならないから早く死ね」と公然と言ってしまうと、世界中から非難を浴びることになる。
 (麻生はドワンゴの経営者なので、あらゆる動画を消してしまった)
 
https://ameblo.jp/iketora2736/entry-11454406996.html

 だが、働けない障害者、老人、子供たちは、社会にとって無益、無駄な存在かというと、決してそうではない。
 こうした「社会的弱者」が一緒に生活していることで、人々は「優しい心」を持つことができるようになり、社会が優しさを必要とするときに、それが大きな意味を持ってくる。

 もしも、弱者を「社会のため」という理由で否定するなら、それは自分の子供たちと、弱者になった自分の老後、事故や病気で障害者になったときの自分をも否定することになり、自分で自分を社会から追放することになる。
 弱者になった自分を許せなくなるのだ。

 

 

自分の周りに障碍者の方はいらっしゃらなかったのかなぁと思いますよね、そんな意見を読むと。

障碍者になりたくてなったわけではない。

まぁ、自分で今世を選んで生まれてきたという説を信じるなら、あえて障害を持って生まれることもあるのだと思います。

 

今は健常者でも、何かの拍子に障害を持ってしまうことがある。

で、老人は、み~~~んな老人になる。

 

今の世の中を見ていて、接していると、実に優しくない。

若者が考えたであろういろいろな便利なことも、老人には実に不便に感じることがある。

 

JRの切符がわかりやすい。

今までは窓口で買えていたものが、販売機の上のテレビ画面にスタッフの方を呼び出して買う。

新宿までの切符ならいいが、ちょっと遠出の関西までの切符は煩雑で、テレビ画面の方の話が分からないと、職員の方を呼んでお聞きする。

で、後ろを見ると長蛇の列。

すみませんねぇと恐縮しながらだから、余計にアップアップしてしまう。

 

まぁ、アナログ人間の私だけなのかも知らんが。

で、年寄りは家でじっとしていろ・・・ってことなんだとしたら、ある意味、役立っているかもしれないね。

 

しかし、いつか突然電気が使えない時が必ず来ると思っているワタクシには、ちと恐怖である。

そうなったら、どうするんだろうね。

 

 

「働かざる者、食うべからず」という思想の行き着く先には、T4作戦と障害者断種=優生保護法があると、この十数年書き続けている。
 私のブログも、みんなが常識的に理解できるものではないのだが、T4作戦が存在した事実を、少しでも多くの人が知っていただけるだけで私は達成感がある。
 
https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5828744.html


 T4作戦とは、1940年前後、ナチスが、「障害者は国にとって有害無益の存在」と決めつけて、40万人の遺伝障害者、らい結核患者、身体障害者、精神障害者らをガス室に送り込んで殺戮した事件だ。
 
https://archive.md/4sbXO

 これは、同時並行で、ユダヤ人600万人のホロコーストがあったので、その影に隠れて、まだ世界に大きく知られていない。
 自分の甥が殺された事実を知ったヒトラーが、これを停止したといわれる。
 
 ファッシズムと優生保護 2017年02月25日
 
https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5828401.html


 日本のT4作戦 2018年09月28日
 
https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5828186.html

 

T4作戦なんてあったのですね。

 

 もう資本主義が人類の生殺与奪を握る社会が終わりに近づいている。
 人々は「金を儲けて他人を見下す」という価値観から自由になる。最低限、生きるだけで必死になり、生きていることの本当の意味は、「他人の笑顔を見ること」だと知るようになる。

 そんな時代が、かつて日本にもあった。1945年の敗戦後だ。それから20年間の日本社会は、生活はひどく貧しかったが、心は極楽だったかもしれない。
 みんなが、他人の笑顔を心の拠りどころにして生きていたからだ。

 我々は肉体を失うかもしれないが、心配しなくてもいい。心=魂は、いくらでも再生する。再び新しい肉体を得て、究極の真理を獲得するための人生を始めるのだ。
 これが輪廻転生の本質であり、それは因果応報の原理によって定められる。
 死を恐れる必要はない。次の人生が待っているからだ。
 それは、人生のカルマを少しずつ還してゆく人生だ。私自身も恥ずかしい、この人生での失敗を、次の人生で回復したいと熱望している。

 

 

え~~~っと。

次の人生は、しばしお休みしたいと思っとります。

肉体はなくなっても、魂は永遠に・・・

何度も生まれ変わって自分のカルマをゼロにしてゆき、いずれは神と一体になるってのもある意味わかるのですが、ちとお休みしたいです。

なんか、前世の一つが戦中(第二次世界大戦)だった記憶があるからでしょうかね。

わからんけど、これも死ぬときにわかると深追いはしませんが。

生まれ変わりが近すぎた感じで、少々疲れているのかも。

 

今生も、結構面白い人生だったけれど、ちと疲れています。