ひとつ前にアップしたブログが恥ずかしい。

まるでポエムなんだもの。

 

そのうえ、事実とかエピソードが何もないのだから、完全にひとり沁み沁みのポエム。45歳overには伝わるだろうが、在りし日の雑誌『マイバースディ』読者ページのポエムコーナーさながら。

 

いろいろ考えたけれど、ここは誰でもなく自分の越えどきのような気がする。だからポエムに至った内容を書いてみることにした。

兄からの電話

ポエムの前日、とっても大きなできごとがあった。

「これから会えるかな?」

夕方、とつぜん兄から連絡がきた。

すぐに予感がした。

「いいよ、だいじょうぶ」

1時間後、とある駅の改札で待ち合わせをした。

 

 

16時すぎ、兄は改札の向こう、人混みの終わりのほうに現れた。

手を振って挨拶をすると、駅からほど近い喫茶店へと向かう。さっきまでの雨が小さくなったことなど話しをしながら、なんとなくお互いに平穏を装った。それ、を感じながら。

 

 

喫茶店では、奥の丸いテーブルに通されると、ふかふかのイスに座った。

メニュー表を眺めながめる。

「お兄ちゃんはホットケーキとコーヒー。お前は?」

「私は・・・アールグレイ」

 

兄の身体を心配したけれど、このイスなら悪くない。

食べたくないというのに、無理やり何か注文しろというので、わたしはフレンチトーストを選んだ。昔からそういう兄だ。

 

 

店員さんに注文すると、兄はすぐに切り出した。

 

つづく

大人はどこで泣けばいいのかな・・・

泣きばしょがない。

子どものころみたいに、

声をだしてわんわんと泣きたいこともある。

いつかの利根川

 

分からずやになってバタバタして泣きたいことも、ありますよね。

 

大人なんだもん節度があるでしょう?

そうなんだけど・・・ってところです。

 

そんな時は相談です、とか

そういうことではなくて、

ぜんぶ投げ出すように泣きたい

 

大人は鈍感な生きものではないんだもの。

折り合いをつけ、落としどころを見つけ

ちょっとはコントロールできるようになった生きもの。

 

そんなものは取り外して

ジタバタして、わんわん泣きたくなっちゃった。

まるで聞き分けのない子どもみたいなこと、言ってるけれど。

 

そんなこともあるのです。

とり止めもなく。。。

続きです。

息子が20歳になったらお礼をしようと。

救い続けてくださったことに感謝し、

息子の近況をお伝えしたかったのです。

 

2019年8月

息子は20歳になりました。

7月くらいから手紙を書いて、

でも想いが溢れすぎ、

なかなかまとまらず、

便箋2冊ムダにしても書ききれず。

 

そうこうしているうちに、

女性が住む地域を強大な台風が襲い

未曽有の被害が出ていると報道されました。

 

 

お見舞いをお伝えしたかったけれど、

お返事を考える煩わしさを想像すると、

遠慮してしまいました。

ましてや、感謝のお手紙どころではない。

 

 

そんなところから、

よくある展開でズルズルと時間が過ぎていきました。

 

--

 

そして年末のお手紙です。

ハサミで封を切ると、

封筒の中には一枚のハガキと、

二つ折りの小さな白い便箋。

 

 

便箋には、

(父の喪中葉書をお送りした)

お悔やみの言葉と、

 

本当に全部終わりにします。

だから、投函するはずだった

最後の年賀状を同封します。

という短い文章。

 

たどたどしい文字…。

最後には感情が溢れる一言。

 

 

同封のハガキは、

来年届くはずの年賀状でした。

昔から恒例の可愛い絵柄に、

「諸事情により今年で全部終わります」

という手短な印刷。

 

角ばった、ところどころ二重になぞられた

おおらかさのない、小さくなった文字

少しつながらない文脈。

 

 

大病をなさったことを察しました。

 

 

あぁ・・・

感謝の言葉を綴っても、

恐らくもう、以前のように把握は

難しいでしょう。

 

 

時間を無駄にしてしまった。

時間のなかでできるはずのことを、

できないものにしてしまった。

もう遅い。

手遅れ、はあるのだ。

落胆と後悔。

 

 

あの時、ちゃんとお伝えすればよかった。

何を欲張ってしまったのだろうか。

 

 

時間は大切だとか言っても、

何もわかっていない。

肉体と心に感じてはいなかったのです。

こんな形で思い知らされるなんて。

 

 

たくさん抱きしめお膝に抱っこした息子は

二十歳になりました。

いまわたしが生きていること、

生き抜いてこられたのは、

紛れもなく、あなたの思いやりの

おかげです。

 

 

そう。

あれこれと溢れてばかりいないで、

それでよかったんですね。

 

 

どうともいえない切なさが

胸から体中に充満してゆくようです。

 

 

時間は有限なんですね。

ありがとう、はすぐに伝えたほうがいい

会いたい人には会ったほうがいい

 

 

こちらに「想い」があっても、

何も知らない相手にとっては、

伝えない限り、何もない。

 

 

女性の封筒の文字を何度もなぞりながら、

そんなことを考えました。

 

 

そして、恐らくお身体が不自由なのに、

ご家族に委ねることなく、

二重になったりはみ出したりしながら

ご自身で文字を書いてくださったこと。

 

 

その真摯なお心と生きる切なさ。

 

 

また、大切なことを教えくださいました。

 

Fさん、ありがとうございます。

昨年末、ポストに一通のお手紙が届きました。

見覚えのある白い封筒。

見覚えがあるけど…どこか違和感のある文字。

裏に書かれた差出人には、浮かんだとおりの名前がありました。

 

尊敬する大先輩。

何かしら?

 

だって、尊敬するこの女性。

10年近く前かな

定年の年齢を迎えられ、

営む自由業をきっぱりと引退し、

「雲隠れしまーす」って感じで

田舎暮らしをなさったんです。

それはそれは、潔かった。

 

 

あらゆる連絡を断ち切るというので、

わたしもご遠慮して、

年賀状だけ一方的に送らせていただきました。

 

 

ただ、子どもが20歳になったら、

感謝の手紙を書く、と決めていました。

 

 

子どもを産んだとき、

便箋に何枚もお手紙をくれたんです。

 

 

そんな親密な間柄ではなく、

それどころか直接の関りはほぼ無し。

女性は雲の上の存在というお立場。

なのに、ある日、自宅に分厚い封筒が届いて。

 

 

お母さんだからって、

がんばりすぎないでください。

できないことがあっていい。

 

ただ、おひざにいっぱい抱っこして、

たくさんたくさん抱っこして、

抱きしめて、

 

絵本をおひざでたくさん読んであげたりして、

それで良い。

 

周りの親たちが我が子自慢や

子を介して競争をはじめても、

離れて、お膝に抱っこしてあげてください。

 

チビちゃんとほかの子を

比べなくって大丈夫。

チビちゃんはチビちゃんという宝です。

 

わたしの子はもう大きいけれど、

振り返って、それだけで良いんだと

これだけは確かなこと。

いっぱいお膝に抱っこしてあげてください。

 

 

言葉は正確ではないけれど、

そういうことが書かれていました。

 

 

おおきく膨らむ曲線と

ちょっと太めの堂々とした特徴ある文字。

優しくて優しくて。

 

産まれた瞬間から上手くいかない育児で、

息子の病気や性質のむずかしさ、

わたし自身の社会復帰できない鬱屈

そんなものでクタクタ・・・

お手紙が届いたのは、そんな時でした。

 

 

ぼろぼろと落涙して

温かさに大泣きしました。

 

 

その後、何通かお手紙を交換しました。

 

 

子育てでマイナス面に押し潰されると、

決まってあの手紙を読みました。

読んだり、思い出すたび、

包まれるのです。

包まれて救われる。

 

 

思いやりが放つ力は消えない。

間違えそうになると、止めてくれる。

 

(つづく)

ごぶさたになっちゃったな💧
きのうは息子の誕生日でした。
きょは後ほど、日記をアップします。
 
息子の誕生日前にアップしようと、
じつは年明けに書いて保存したままでした…。
大切なたいせつな人のことです。

一通の手紙。後悔しないために、いまを生きる

 

6月からじつは、

母や家族のガンの治療や手術があったり

息子もいろいろ計算外の展開があったりで

昼夜、事務や日常に追われていました。

 

 

仕事も急遽、

全面お休みせざるを得ず(´;ω;`)

そんなこんなでブログも進む力も

すっかり滞っていたけれど、ダメダメ!

 

 

わたしよ、活動を諦めるな!!!

 

 

そんな感じです。

はい!

 

これからも、よろしくお願いします。