やっと見られた海ガモ♫ | 山鯨

山鯨

身近な所の野鳥・蝶・野の花、風景などを撮って楽しんでいます。
分からない種類のものも多く詳しい方のアドバイスを何時でも大歓迎です(^^♪

昨日、青函トンネルの北海道側の出口の町まで走って

三陸でこの時期必ず見られる海ガモを探しました。

というのは結果でありまして高速道路の終点まで走ってしまった

というのが真相です😅

何故こんな失敗を・・・高速のICが終点のその町まで行かないと

国道に下りられなかったのであります😂

そこまで行かなくても途中にICがあるだろうと勝手に

思っていただけ!アハ😅

 

ということで副産物をゲットしたのでそれから載せます!

我がブロ友さんは皆、博識の塊のような御仁ばかりなので

この帆船の名前を言うとすぐに幕末の勝海舟という人の

名前が浮かぶでしょう(^^♪

その名は咸臨丸♫

こんなモニュメントがあった

 

 

博識の皆さんに咸臨丸のことを言うのは気恥ずかしいのですが

構成上の都合と受け取ってください😆

 

咸臨丸

1857年3月オランダの造船所で徳川幕府のオーダーにより

建造された総トン数620屯、全長48.8mの木造船で

3本マストのバーク型ですがボイラーを装備してプロペラを

回し推進していたといいます。帆装はプロペラの推力が

低かった(100馬力で速力6ノット)から補助的に帆も

使っていたのでしょう。

そしてこの船が歴史に大きく記録されたのは

1860年(万延元年)勝海舟を艦長として日米和親条約批准のために

日本人が目的を持って初めて太平洋を横断した

最初の船という栄誉を手にした。

これは皆さんも広く知る処です。

ただ、幕府の艦だったので勝海舟が艦長に座ったが

実際の運航は搭乗していたアメリカ海軍の測量船「フェニモア・クーパー」の船長ジョンブルック大尉以下11人のアメリカ人が運航!

その他オランダ海軍の85名も乗っていたと言うから

とんでもない人数だ!(食料や水の事を考えると・・)

日本人(幕府要人等95人)は浦賀を出てから連日の時化で

全員が船酔いに転げまわっていたという逸話もあります😣

この当時、日本人はまだ太平洋を渡る航海術を知らなかった

のですね!

 

しかし、その後の咸臨丸がどうなったかということは

あまり知られていないのではと思って取り上げました(^_^)v

艦としては幾多の危機をなんとか生き残って明治になり

明治政府の海軍(当時は兵武省)から民部省に移管され

更に民間に払い下げられ1871年9月20日、仙台藩の支藩

白石藩(片倉小十郎を祖とする)旧家臣団400人を乗せて

函館から小樽に向かう途中でこの岬に座礁して沈没した

(Wikipediaより)

という物語でした!ご清聴ありがとうございました🙏😅

 

 

ということでここから本題です♪😁

 

えっ( ゚Д゚)海にカワアイサがいるではありませんか\(◎o◎)/!

 

海なのに川とはこれ如何に🤪

 

 

 

やった~♪

遂に北海道の海でクロガモ発見👀

 

 

道路までクロガモの悲し気な鳴き声が聞こえてきました!

 

シノリガモが僅か3羽

 

もう一羽の♂はフレームの外

 

 

ヒドリガモ

 

サーフインマガモ(^^♪

 

 

まだ出会いがないのがコクガン!次はコクガンだな😅

 

ということでシマエナガに遇わないので

言い訳海ガモでした😂

 

番外編

 

 

車で7分ほどの場所にこの馬「どさんこ」の

牧場があります!

(Face Bookのような友人の友人の経営)

ホーストレッキングもしていて1時間1万円とか😆

貴方なら乗る!乗らない(^_^)v

 

これにてオシマイです!

某お大尽のように在庫を抱えてみたいものです😒