“ていねいな暮らし”やってそう🤭
って言われることがある

お味噌を仕込んでみたり
梅をつけてみたり
お弁当に冷凍食品を使わなかったり

エピソードとしては丁寧なことがあれこれあって
勝手なイメージでそうかもやけど


実際、仕事と犬と家事全てを
丁寧を積み重ねたら
やることが多過ぎて
生活がままならないので

習慣化する事柄って日々
選抜で入れ替わるから
そうなると習慣化では無いのか??🤭



毎朝、朝日を見るための散歩とお祈り
帰り道に氏神様にお詣り

節分から続くこの習慣も
日の出の時間が変わることで変わったり
忙しくなればできなくなっていって

じゃあ今度は
“コロコロと習慣を変える適当な人”と
私を捉える人もいるだろう



私が思うに
人それぞれに心根はどんな形でも芯があって
こだわりがあって
自分が納得できることに“快”を感じて
自分に誠実に生きてるんじゃないかな


損得勘定も嘘を重ねる人も
俺はいいけどおまえばダメも
人を叩かず物に当たりまくる人すら

自分に素直に生きてると言う習慣
それを積み上げてるってこと


私のお客様はほんとに綺麗な人が多くて
とにかくお肌がうちゅくしい✨

皆さん忙しい中でも
あの手この手でご自身を丁寧に扱ってきたのが
とても伝わってくる


習慣って何をするかではなくて
きっと現在のその人自体なんだろな^ - ^



…にしても、だからこそ
しっかりと心に決めることって大切

3/20の宇宙元旦に
新しい自分に乗り込むのは
どんな自分にしておこうか?


心を決めて行動を変える
何をするかでは無くて
何を決めるか


伝えるのがむっず!!





あとは任せたっ!!
伝われーーーーー





3月岐阜
4月米子


今年は少しずつ県外にも出ていくよ^ - ^
健康に生きられる間は
ちゃんと自分のために生きる!



ほなまたねー^ - ^🤚



























わかりますよ!

心地いいんですよね??



は?何言ってんの?!

と、思う方は引き続き

愛の奴隷に生きてください。



「アタシが居ないとこの人はだめになるからっ!」

そんな自慰が気持ちよくて

なんなら存在価値にまでなっちゃって


自分の人生ではなくて

相手の人生を生きていることにも気付かない。



「ここまで共にやって来たんだから」

って、小さな箱庭を守る


外に出るのが怖いのはパートナーも同じこと

この世に存在しない永遠を信じて

そこに共に留まり繰り返す日々




もしも実際にそのパートナーが居なくなったら 

何が一番の恐怖になるでしょう?



色んな底が想像できます。


小さい頃からの虐待経験からわかることは

私を痛めつける人に全く愛が無ければ

本当の奴隷です。


しかし、そこに何かしらの関係性や

少しでも愛があることで

戸惑いながらも傷付けてくる相手に

いい時もあるから見限れないと言う葛藤


変に心に残ってしまったりするのも厄介。




私は厄年や大殺界が来るのが楽しみな

ちょいと変態さんタイプです。


そうでもしないと

色んなものをぶっ壊せないチキンでもあります。

自力で違う道を選べないチキンです。


にっちもさっちもの底に行ってこそ

浮上するためのキックができるなら

どうか運命でボロボロにしてくれ🙏😏

他力本願とも言えるのでかっこ良くはない笑



DVやモラハラの王道は

ぬるく痛めつけられて

ぬるく掬い上げてられて

濁った水の中でふわふわと絡み合う…

なんかあの不健全な閉塞的な愛が

エロ情緒シネマみたくていいんですけども🤭




でもね、この世はもっと広くて自由ですよ🤫




自分の意思をしっかりと持ってこそ

いつでも澄んだ水の中を生きられます


相手なんかは変える必要も

理解してもらう必要もなく



ただ自分の在り方を決めるだけで

環境は必ず変わるのは当たり前のこと^ - ^




2026年は、大変革の年

自分を大切に生きるのですぞ!


モラハラしちゃってる方のあなたもですぞ!!




てか、ほんまに

モラハラ設定すらただの思い込みなのでな🤚







早朝、駅からの帰り道。
久しぶりにドリカムの
“うれしはずかし朝帰り”を聴いた。

過去の出来事を思い出したというより、
あの頃の“気持ちの軽さ”が
身体に戻ってきた感じがしてね^ - ^


“朝帰り”って少しイケナイことのはずやのに、
それよりも
一緒に過ごした時間の余韻の方が甘くて
思い出してニヤけてしまうあの感じ。


音楽は記憶より先に感情を連れてくる。


それって、絵やタロットも同じで
見えないはずの気持ちを
形にできるから
人の中に残るんやと思う。



私は触れる仕事をしてるけど
目指しているのは
「上手な施術」よりも
触れられたあとに身体の奥に何かが残ること。


お客様からはよく
「手が魔法みたい」
「おばあちゃんの手ってこんなんやった」
「安心する」って言われる。

たぶん私がやっているのは
何かを良くしてあげることじゃなくて、
よく聞く言い回しかもやけど
その人が心の鎧を脱いでいられる場所。


人の悩みは
ほとんどが人間関係とか立場とか評価とか
“相手がいる世界”の中で生まれるもの。

そこから少し離れて
誰にも何も求められない状態になるって
とても静かで居心地がいいと思う^ - ^


子供の頃みたいに、
まだ何者でもなくて
背負うものも少なかった頃の軽さに近い感覚。
  

私は何かを教えたいわけでも
無理に前向きにしたいわけでもなくて、

ただ、
安心できる状態の中で
その人が本来持ってる感覚が戻ってくるのを
静かに見守っていたいと思ってる。



触れられたあとは
景色の見え方が少しだけ変わる。

そんな時間を作っています^ - ^