最近人との「相性」より
「距離感」なんじゃないかと思う。
私はずっと、“近くにいたい人とは
同じだけ近い距離でいられること”を求めてきた。
体をくっつけて、
何も考えなくても安心できる。
あの「ゼロ距離」が、気持ちよかった
そんな経験が過去にはあったから。
だから私は、あの瞬間を今もずっと探してる。
「誰かの役に立ちたい」などと言いながら、
その先にある
「必要とされている私」という充実感も欲しがる。
大人になると、
誰にだって自分の人生がある。
仕事もある。
家族もある。
大切なものもある。
ずっとゼロ距離でいてくれる人なんて
たぶん奇跡。
先日10数年ぶりにひとりで実家に泊まった。
父が亡くなって以来、すっかり足が遠のいていた。
家族6人で暮らした家。
子どもの頃の私がいた家。
実家一人暮らしした時期があったり、
姉や兄が子どもを連れて帰ってきた家。
父がいろいろ用意してくれた家。
私なりにそこに居て、
私はちゃんと この家の子どもだった。
でもこの夜、建物は残っているのに、
私の知っている「家」は、もうなかった。
今は継母が現在の彼と住んでいて
すっかりとその仕様になっている。
私は実家に帰るのでは無くて
親戚の家でも無く、
血のつながっていない熟年カップルのお家に
突然泊まりに行ってしまった人になっていた。
その夜は、息苦しくて眠れなくて、
トイレにも行けず
外にも出れず車も出せず
ただひたすらに朝が来るのを待った。
そりゃ家を出て何年?!
私いくつ??
って言う、分かりきってたことを
なぜこんなに疲れた体でまた
確認しに来てしまったんだと言う、
いくら限界に疲れていたからとて
自分が馬鹿すぎて嫌になった。
何を勘違いしてるんだ?
私には実家なんかないんだってば!!!
だってさ、
夜遅いお稽古が週3であって、
(車で1時間の故郷で、
私は今年から獅子舞の団体に入って
秋祭りに向けてお稽古中)
いまだに実家に帰って
「この時ばかりは母親の顔見るのも目的やけど
母親がご飯作ってお風呂も沸かしてくれてるから
楽やねん」
とにこやかに話してくれたお友達の言葉に
“私もそうかも”と、なんで思ってしまったのか。
『昔から“大切にされて育っているお友達を
羨ましく思う気持ち”』がまた蘇って、
感情が逆撫でされてしまって、
「あー。私は違うんだった。
私にはそんな家無かったんだった。」
って苦しくなって悲しくなって。
昔から何回もこれも何回も本当に何回も
自分の期待とは違う生い立ちや家系なのに
何度も心が壊れてしまって、
これを書いている今もまだ苦しかったりする。
そんなとき、私はやっぱり
しっかりそばにいてくれる人がほしくなる。
「大丈夫」と身体で安心したい。
50歳になったって、
そういう欲はなくならない。
赤ちゃんなのか??オンナなのか??
自立って、孤独やなぁ。
大人って、孤独やなぁ。。。
自分の人生は、自分で引き受けるしかない。
誰かとの一体感を人生の目的地にしてしまったら、
私はまた、自分の人生を置いてきぼりにする。
アレコレと思って家に帰ったら
「偉かった、偉かった。しんどかったやろ?」
と言って背中をゴシゴシとさすってくれた主人。
荒いんじゃ笑笑
しかしその瞬間、
「ああ。
こういう時、こうしてくれるのがこの人か」
と思った。
一晩心配してくれてた人がちゃんといた。
“自分の居場所が無い”
なんてことはなかったわ。
と、贅沢言い腐ってた自分に猛省。
人との距離にはいろんな形がある。
全部を一人の人に満たしてもらえるのは奇跡。
そう。私は、ここまで来てもまだ
「触れて安心したい」という自分をこの先も
捨ててしまわないで持ち続けると思う。
「自立することと甘えることを自己責任で」
世間的にはあり得ないことかもしれないけど、
私として生きるにはその自分を絶対に捨てられない
と、同時に
「ゼロ距離」を探すこと“そのもの”を
人生の目的にしない。とも決めた。
そうしていて、離れていく人は離れていくし
側に居てくれる人は側に居てくれる。
自立はしても必要なときには甘える。
自分の人生を生きることを自分でやり続ける。
主人がこれを読んだら???
しかし、主人はそれも分かっている。
私はそんなことももう嘘はついてなくて、
「ごめんなさい。好きってはならなくてごめん」
とは伝えてる。
私はそのままでここにいる。
居つづけたいと執着してはないし、
がむしゃらに出たい時期もなんだか通り過ぎて
毎日の家事をここでこなしている。
主人からくれるものを
私からも私のできる範囲でお返ししながら
私はここで生きている。
ここが私の現在地。私の居場所📍
私にはひとつ
とても好きなエピソードがある。
私の祖母は、最期を見送る祖父に、
「おいちゃん、ありがとう。先行くわ」
と言って息を引き取ったそうだ。
祖母は祖父と添い遂げたけれども
祖母には独身時代に好きな人が居て、
祖父とは親に決められて結婚。
“愛する人に看取られて、幸せでした😌”
という綺麗な話じゃないところがまた、
祖母の漢気や祖母らしさがとても好きな
私のお気に入りエピソード。
夫婦だったからって
最後まで一心同体じゃなくて、
誰かとの関係がどうだったかなんて
最後の最後には
人生のほんの一部分になるだろう。
祖母は、看取ってくれる祖父に
「ありがとう。先行くわ」
と言った。
なんか、去り際
めちゃくちゃかっこいいと思ってるし、
私もそんなふうに逝きたい。
最後まで誰かにしがみついて、
「もっと生きたい、もっと生きたい」
と言い続けるんじゃなくて、
もちろん、怖く無いわけないし
やり残しも色々悔やむやろうけど、
でも、できるなら最後には、
自分の人生をそれごと全てを自分に引き取って、
しっかりと自力で手放したい。
誰かとのゼロ距離も欲しい。
安心も欲しいし、
誰かに必要とされる喜びも欲しい。
でも、それを人生の目的にはしないし、
誰かに人生を完成させてもらおうとしない。
自分で立つ。
その上で人にも頼る。
やりたいことをやる。
失うものも受け入れる。
そして、自分の人生を
最後まで自分のものとして生きる。
亡くなる瞬間には
「もっと生きたい」と後悔する私ではなく、
「あー、私はもう十分生きたよ。」
って、置いていく人達に伝えられる私でいたい。
そして最後に、
「ありがとう。先行くわ」を
納得して言えるように、
自分の人生をちゃんと生き切りたい。
無理な力をかけずに
ぼちぼち元気になろうと思う。



