50歳から、私の人生を生きる
ひょんなことから、私は明日、
和歌山でフルートを演奏することになっていた。
……のだけれど。
結局、演奏することはなくなった。
でも、この数日の出来事を振り返っていたら、
フルートを吹くことよりも
もっと大きなことが自分の中で起きていたことに気づいた。
かなり長くなるけれど、
ここまでの話を書いてみようと思う。
🪐・・・
「気のせい」ではなかったのかもしれない
2020年。
突然、私の中では当たり前だったものが、
世間でいう「スピリチュアル」と呼ばれているものだった!!!という経験をした。
それまで私は、自分の感覚は
自分の中では当たり前だけど特殊な感覚だと思っていた。
でも、インターネットの中で
私と同じようなこと言ってる人たちをたくさん見つけた。
「え?あれ?私だけじゃないんだ」
そこから私は、少しずつ「気のせい」の枠から外に出ていった。
そして、どんどん「もっとスピリチュアル」になっていった。
ちょうどその頃は、
パニック障害の終わりかけだった。
いや、終わりかけというより、
「このままではいけない。なんとか自分で抜け出さなければ」
と必死だった頃だ。
薬だけに頼るのではなく、考え方や身体のコントロールでなんとかできないかと探していて、
「自律訓練法」というものを見つけた。
呼吸に意識を向ける。
身体に思い切り力を入れて解放する弛緩法。
過呼吸でままならない毎日、毎分、毎秒を、
なんとか自分で扱えるようになりたかった。
今思えば、ここが最初の小さな転機だったのかもしれない。
🪐・・・
「この世は平面ではない」
そんな時、なんだかすごく変なテンションのYouTuberを見つけた。
すっかりハマってしまって、コメントを何度かして、セッションも受けた。
彼女と触れ合う中で、
「この世は平面ではない」
という感覚を、私は思い出していった。
それは、大人になってから新しく知ったというより、小さい頃には当たり前に感じていたものだった。
その後も、身体についてあれこれ探求していった。
そして「和身塾」の存在を知った。
私は普段、あれが欲しい!これを買って!
とおねだりするほうではない。
むしろ、何かを買ってあげたくて仕方がない夫とは、そこがなかなか噛み合わないという、
なんとも贅沢な悩みがあった。
そんな私が、
「和身塾に行かせてほしい!!」
と夫にお願いした。
ここでの試練は、
もしかしたら夫のほうにあったのかもしれない。
物を買ってあげることはしたくてたまらないのに、
「妻を外に出す」ことには、
別の葛藤があったと思う。
和身塾では、身体でエネルギーを感じるような体験を重ねていった。
自分の感情を表に出さない癖は、
初日に明らかになった。
でも、癖なので自分ではなかなかわからない。
意識と言えば意識なのだけれど、
単純な「思い込み」とは違う。
自分でコントロールしているようで、
もっと無意識に近いところを使っている。
でも、その無意識は、実は
もっと大きな意識の中に包まれているような。
そんな世界にどんどん入り込んでいった。
分子レベルの世界まで含めて、
自分というものを探求していくようになった。
🪐・・・
「思うまま生きる」と「普通」の間で
そして私は、また
自分ではコントロールできないような出来事に出会った。
家事や育児で自分の動きを封じられていた時とは、まったく違う。
自分の意思に突き動かされているような、
「風」の時代を生きるような感覚。
体がちぎれてしまうほど感情が揺さぶられた。
私は一生懸命、
「思うままに生きること」
と、
「普通であること」
「一般的にはこうする」
とのかけ離れた自分に苦しむことになった。
そして、自分が
何をやっても否定されるような日々がやってきた。
夫ではない人から、
「それは普通じゃない」
「それはおかしい」
と、懇々と指摘される。
若い頃だったら…
職場だったら…
たぶん、ある程度は受け流していたと思う。
でも、大人になって、対等でありたいと思う相手から、それを繰り返し受ける。
「私ではダメ」
を徹底的にやられて、私の価値観は崩壊した。
🪐・・・
まず、自分を修復しなければならない
でも、明日はやってくる。
そこから私の、
「正しさとの折り合いのつけ方」
を探す旅が始まった。
まず、自分を整えないといけない。
たとえるなら、大地震に遭ったようなものだった。
家も、ご近所も、ライフラインも
当たり前だと思っていたものが全部崩壊してしまった。
そんな時に、いきなり
壊れた家を建て直そうとしても無理だ。
まずは自分自身を正気に保たなければ、
何も始まらない。
そんな感じだった。
私はそこから、ひたすら自分を修復するために
「自分探し」の旅に出た。
もちろん、家を離れて旅に出たわけではない。
毎日の暮らしの中で自分を探した。
こんまり流®片付け。
和身友達のコーチング。
和身友達のヒーリング。
アーユルヴェーダコーチング。
シータヒーリング。
空海の学び。
儒教。
禅。
レイキ。
東洋思想。
数秘。
タロット。
暦。
星読み。
神社。
農業。
…
気づけば「自分探し」は、
私の中にある興味の棚卸しになっていた。
知らなかった世界を知るたびに視野が広がった。
視座も上がった。
そして、それまで「なんとなく感じていた不思議な世界」を言葉にできるようになっていった。
気づけば同じ言葉で話せる仲間がたくさん増えた。
🪐・・・
外の世界に出たことで、自分が動き始めた
知り合いのツテで、半年間アルバイトをした。
この半年と、そこで生まれたご縁は、
私の自立をリアルに加速させた。
私は夫とは、まともに話せていなかった。
養ってもらっているという立場でもあった。
結婚以来長年、世間との窓口は夫だけだった。
そして私が外の人と交流することを、
夫はものすごい圧で嫌がった。
今振り返れば、私は長い間、
夫の価値観の中で生きていたのだと思う。
夫には、その自覚は1ミリもない。
ただ、大好きな妻が世間に晒されること。
注目を集めること。
妻が外の価値観に気づいてしまうこと。
そういうものを、深いところでは怖がっていたのかもしれない。
↑もちろん自覚は1ミリもない。
私の携帯電話を夫が管理していた。
パスワードも夫が決めていた。
今から振り返れば、異常だったことがよく分かる。
でも当時は、それを「嫌だ」と主張すること自体に、ピンときていなかった。
それくらい、当たり前になっていた。
「どこに行く?」
「誰と行く?」
「なんで家にいない?」
「何をしている?」
「なんで電話に出ない」
「なぜすぐにかけ返さない?」
自分の所在がいつでも明確になっていないといけなかった。
だから家族の中で、私だけが一日のスケジュールを家族LINEで公表していた。
何時にどこへ。
誰と。
何をしに。
何時までは留守。
……
今思い出しても、あのメモ書きやLINEは
不愉快極まりない。
でも、当時は誰からの反応もない中
良かれと思ってやっていた。
家族があまりにもめいめいに自分勝手に動くから、
「お前らもこれくらいやれや!」
という気持ちもあったのだと思う。
ご飯を作っても帰ってこない。
かと思えば突然帰ってきて、
「何か食べたい」
と言う。
それを3人バラバラにやられたら、
一日中台所に立っているような日もたくさんあった。
私ひとりがみんなのスケジュールに振り回されている。
それを、
「妻だから」
「母だから」
当然だと思っていた。
もう、思い出したら吐きそうだ。
🪐・・・
「スナックたえ」という私の世界
私は、本当にいろんな人によって気づかされ続けて、やっとここまで来た。
そして、自分の世界を初めて明確に打ち立てたのが、「スナックたえ」だった。
月に一度、私の友達が集まって
みんなで楽しく飲んで、食べて、話す。
老若男女関係ない。
夫には一切、手も口も出させない。
私と、私の世界と、私の大切な仲間を、
私が伸び伸びと護る3時間。
不思議で、深くて、素直で、馬鹿正直で、ピュアな仲間ばかり。
「よくこんなに揃ったな」と思う。
本当は、個人的にいつでも外へ飲みに行けたらいい。
でも、それができなかったから
苦肉の策でもあった。
だって、こんなに純粋に通じ合える
気持ちのいい時間なんて外の世界にはなかなかないから。
妻として。
母として。
私はこれまで、家庭を守るために
自分をたくさん捧げてきた。
でも今は、
「一人の人間として、社会の中で
小さくても何か一つ役に立つものになりたい」
と思うようになった。
経済的に自立したい。
そのために、私は少しずつ日々を重ねてきた。
そして最近、ものすごく実感する。
やはりここまでの全部を
私が決めて、
私が選んで、
私が進んできたんだ。
🪐・・・
そして、フルートの話に戻る🤭
話は一気に冒頭に戻る。
和歌山でフルートを吹ける機会がやってきた。
せっかくお客様の前に立てるなら、
「そうだ!チラシを配ろう」と思った。
「私が何者なのかを知ってもらいたい」
と思った。
ところが、ここでまた一つ私の前に壁が現れた。
私はパソコンが苦手だ(T_T)
いよいよ、
ここにも向き合う崖っぷちがやってきた。
しかも本番が明日に迫っている。
携帯電話だけでチラシを作ることにも限界がきた。
私のパソコンは、上の娘のお下がり。
下の娘の受験対策にも使ってきたパソコンだった。
それをこのたび、
AIに聞きながら、
自分で初期化した。
そして、携帯電話とパソコンが、
本当に「自分だけのもの」として繋がった。
これが、私にはものすごく大きかった。
譲り受けた宝刀を匠に預けて、
オーダーメイドで自分仕様に仕立ててもらったような気持ち。
「パソコンできない」
と言い続けてきた30年が、
ここからひっくり返る気がしている。
🪐・・・
ところが、本番の前夜
不思議なことに
フルートを吹く前夜
我が家の犬が入院を迷うような状態になった。
本番をお断りしなければならなくなった。
主催の子に連絡した。
「わかったよー」と返事が来た。
そして私はグループLINEから即座に退会させられた。
……。
「いよいよアーティストデビューか?!」
と思っていたのは、ダミーだったらしい。
人生には、物事を動かすために、
不意に大きなギフト🎁がやってくる。
突然、恋をしてしまったり。
突然、裏切られてしまったり。
突然、何かを失ったり。
その瞬間は、それが人生を左右する大事件に思える。
でも、ここまで来て思う。
それらはほぼほぼ
ただの「気づきのギフト」
いつまでも執着するほどのものではない
ダミーなのだ。
本当に動かされているのはその出来事ではなく、
その出来事によって、
「自分が何に気づくか」なのだと思う。
🪐・・・
「私は圧倒的に経験不足だった」
昨日、私は初めて夫に伝えた。
「私は、自分の経験不足に今まで気づいてなかった。何にもできないと思ってなんでもしてもらっている間は、『ありがたい』のと『自分でやりたい』のの綱引きで、ほんとはとても面白くなかった。
車の運転も、パソコンも、仕事も、
私は経験が少なくてまだまだ初心者やけど、
この先はコツコツと自分でやりたい。」
初めてだった。
「経験不足」という言葉が
自分の中から出てきたのは。
大人だから完璧にできないといけない。と
勝手に思い込んでいて、
今まで私は、
「私はポンコツだから」
「世間知らずだから」
「何もできないから」
という役を、わざわざずっとやってきた。
だから、
「できない=自分には能力がない」
だと思っていた。
でも違ってて、
経験していないだけのこともたくさんあっただけ。
なんでもできる人は、心無く
「なんでできないの?」
「何やってんの?」と言って来るか
そんなあからさまな態度をしてくる。
やっていないことはできなくて当たり前だ。
私たちは、何もできない子どもを
毎日見守って励まして育ててきたから
できないことにいちいち
「なんでできないの?」
「何やってんの?」とはならないけど、
子育ての経験が無いのもまた同じことで
見守って、励ましてができなくて
できて当たり前な感じでものを言うから
嫌な衝突を生むんだけどね。
「ポンコツと名乗るには圧倒的に
経験自体が少なすぎます。
舐めないでください。」
私が今、指導を受けているのは
老舗サロンでぶっちぎりの顧客数を抱える
売れっ子美容師の先生で
人を育てることにも技術にも知識にも
かなりのストイックさで
私の逃げ道なんて全て見透かしていて
「はしご要ります?」
「スコップならあらますよ」
ってな感じで笑
できないことを責めるわけでもなく
馬鹿にするでもなく
見守って励ましてくれる凄い人。
わたしはやっと「アイアムポンコツ」からも
抜け出せる時が来そう😅
🪐・・・
50歳。
ここまで来て、ようやく分かったことがある。
私は自分の人生を生きていなかったわけではない。
むしろ、ずっと自分で選んできた。
結婚したことも。
子どもを育てたことも。
家族を守ってきたことも。
スピリチュアルを探求したことも。
身体を探求したことも。
たくさんの学びに出会ったことも。
人と出会ったことも。
スナックたえを始めたことも。
仕事を続けてきたことも。
経済的自立を目指し始めたことも。
そして今、
パソコンを自分の道具として使おうとしていることも全部、私が選んできた。
ただ、これからは、
「誰かにしてもらう人生」と
「自分でやってみる人生」の間で、
「ありがたい」と「自分でやりたい」を
綱引きさせる必要はない。
『自分で決めて自分でやる!』
自分からお願いすることだって自分で決めて出来る!
まだ初心者で、
できないことがあっても経験が少なくてもいい。
ここからひとつずつ自分で経験していけばいい。
だから私は、
50歳から
またここから私の人生を生きる!
読んでくれたらありがとう!
ほなまたねー^ - ^



