東京ステーションギャラリーで開催中の「小林徳三郎」展でこれは、と思う作品、小林徳三郎(1928)《金魚を見る子供》東京国立近代美術館蔵 の主観レビューをお届けします。
画面には、ガラス鉢の中の金魚をじっと見つめる子供が描かれています。
子供は机に頬杖をつき、金魚鉢とほぼ同じ高さで向かい合っています。
黄色を基調にした背景で、平面的な空間だけが広がっています。
金魚鉢は、水の世界、ガラスという膜、歪む視界によって、こちらの世界とは物理法則の違う小さな宇宙になっています。
子供にとって、金魚は単なるペットではなく、手の届かない、しかし確実にいる「別の世界の住人」。
そのため、眺める行為は「観察」ではなく、異界を覗き込む行為に近い。
また、金魚も人間に異世界を見ています。
金魚から見れば、巨大な顔、動かない視線、水の外にある世界は理解不能な異界です。
つまり、本作では、「見る/見られる」関係ではなく、互いが互いを異世界として見つめ合っています。
ガラスは隔てる壁であると同時に、異世界を成立させる境界なのです。
異世界は、完全には理解できませんが、確実に存在します。
だからこそ、見続けても見飽きない。
本作は、一瞬ではなく、「永遠に続く凝視」が描かれています。
また、徳三郎は家族や身近な人を多く描いており、モデルと画家との間に演技や緊張がありません。
このため、子供の表情は、可愛く見せようとしておらず、意味ありげにも作られていません。
ただ、「何かを見ている時の、無防備な顔」になっています。


