パラレル -9ページ目

パラレル

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東京ステーションギャラリーで開催中の「小林徳三郎」展でこれは、と思う作品、小林徳三郎(1928)《金魚を見る子供》東京国立近代美術館蔵 の主観レビューをお届けします。

画面には、ガラス鉢の中の金魚をじっと見つめる子供が描かれています。

子供は机に頬杖をつき、金魚鉢とほぼ同じ高さで向かい合っています。

黄色を基調にした背景で、平面的な空間だけが広がっています。

 

金魚鉢は、水の世界、ガラスという膜、歪む視界によって、こちらの世界とは物理法則の違う小さな宇宙になっています。

子供にとって、金魚は単なるペットではなく、手の届かない、しかし確実にいる「別の世界の住人」。

そのため、眺める行為は「観察」ではなく、異界を覗き込む行為に近い。

 

また、金魚も人間に異世界を見ています。

金魚から見れば、巨大な顔、動かない視線、水の外にある世界は理解不能な異界です。

つまり、本作では、「見る/見られる」関係ではなく、互いが互いを異世界として見つめ合っています。

ガラスは隔てる壁であると同時に、異世界を成立させる境界なのです。

 

異世界は、完全には理解できませんが、確実に存在します。

だからこそ、見続けても見飽きない。

本作は、一瞬ではなく、「永遠に続く凝視」が描かれています。

 

また、徳三郎は家族や身近な人を多く描いており、モデルと画家との間に演技や緊張がありません。

このため、子供の表情は、可愛く見せようとしておらず、意味ありげにも作られていません。

ただ、「何かを見ている時の、無防備な顔」になっています。

東京ステーションギャラリーで開催中の「小林徳三郎」展でこれは、と思う作品、小林徳三郎(1912頃)《玉乗り》京都国立近代美術館蔵 の主観レビューをお届けします。


画面には椅子が点在し、人々は立つ・座る・背を向けるなど多様な姿勢で配置されています。

視点は固定されず、観客の視線が彷徨うような構図です。

 

青や茶、鈍い赤を基調とした抑制された色調に、部分的な黄色がアクセントとして効いています。

筆致は重ね塗りと滲みを活かした表現で、人物の輪郭は曖昧。

これにより、動きの残像や薄暗い室内の空気感が生まれています。

 

画面は暗く、沈鬱さを感じることから、見世物の最中よりも、始まる前の張り詰めた時間を想起させます。

また、観るべき演技がまだ立ち上がっていない為、人物の視線が定まっていません。

よって、これから何かが起こる直前の心理状態と読めます。

 

これは、ドガ、特にバレエ舞台裏作品との共通点が見出せます。

ただし、徳三郎はドガよりもさらに輪郭を崩し、明暗や色彩の滲みを強調することで、心理的・空気的な不安定さを前面に出しています。

このことから、より内省的であると言えるでしょう。

 

東京ステーションギャラリーで開催中の「小林徳三郎」展で、これは、と思う作品、萬鉄五郎《女の顔(ボアの女)》(1912 岩手県立美術館蔵)の主観レビューをお届けします。


女性が正面を向いて椅子に座っています。

しかし、その表情は硬く、手は握りしめられています。

どこか緊張感や不安を感じさせます。

 

また、顔の赤みや背景の黄や桃色は、現実の色彩ではなく、フォーヴィスム的表現になっています。

これは、心理的・感情的な色です。

そして、じっくり見ると、女性の目が少し充血しているように赤く縁取られており、「人間の内面的な不安」を表現しているように感じられます。

 

以上のことから、本作は単なる女性の肖像ではなく、「色彩と形によって内面を表現している」と言えるのではないでしょうか。

それまでの「見たままを描く」時代から、「画家の主観で世界を再構築する」時代への幕開けを象徴しているかのようです。