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パラレル

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東京国立近代美術館で開催中の「下村観山展」でこれは、と思う作品、《行旅図》の主観レビューをお届けします。

本作は、旅の途上にある人物と自然風景を主題とした日本画で、観山がちょうど西洋留学期にあたる時代の作品です。

 

ゴツゴツした岩山と、手前のなめらかな丘が対立しており、自然の厳しさを感じます。

この対比は、「自然の多面性」だけでなく、人間が踏み入れられる世界と、そうでない世界の境界とも読めます。

 

また、霧よりも高い位置にある岩山があることや、人物が小さく描かれていること、白と黒で描かれ、冷たいイメージを受けるのもそれを印象付けます。

霧は、人間の視界・認識の限界であり、その上にある山は、人知を超えた存在と捉えることができます。

ここから、自然は把握しきれないものというニュアンスが生まれます。

人物の小ささは、単なる遠近ではなく、人間の相対的な弱さ・儚さを強調しています。

そして、色彩を抑えることで、温度感の低さ・感情の静けさ・厳粛さを表し、結果として、親しみやすい自然ではなく、畏怖すべき自然が表現されています。

 

まとめると、自然を前に人間の無力さが感じられる作品でると言え、近代日本画がよく扱う「自然への畏敬」や「人間の相対化」というテーマに合致しています。

 

本作は、単なる「厳しい自然」だけでなく、静けさ、受け入れるしかない世界、旅(人生の比喩)も含んでいる可能性があります。

つまり、「無力さ」+「その中で進むしかない人間」という読みもできます。

下村観山(1904)《行旅図》個人蔵

 

 

東京国立近代美術館で開催中の「下村観山展」でこれは、と思う作品、《闍維》の主観レビューをお届けします。

闍維とは、火葬(荼毘)のことです。

釈迦の遺体を火葬にする場面が描かれています。

 

本作では、釈迦が中央に描かれており、周囲の視線が中央に集まっています。

釈迦そのものは姿としては見えませんが、中央の棺・煙・光が釈迦の存在を示すという構造になっています。

そのことから、「見えない主役」を強調する構図といえます。

 

構図はシンメトリーで安定しています。

このことが、儀式的・荘重な雰囲気を生んでいます。

 

色彩は、服の赤と緑が補色であり、緊張感が生まれています。

さらに、暖色(赤)が感情・生を、寒色(緑)が静けさ・死を表しているという読みもできます。

 

そして、人物たちは大きく泣き崩れるのではなく、手を合わせ、俯き、見守っています。

抑制された感情表現、静かな哀悼と言えるでしょう。

 

その中にあって、棺が光や煙を発し、空から花が舞っています。

これは仏教でいう「瑞相」、つまり聖者に現れる奇跡的徴候、聖なる出来事の証拠です。

周囲は悲しみ・死を、中央は光・奇跡・超越を表しており、対比によって「死でありながら救いでもある」場面になっています。

 

まとめると以下のようになります。

 

中央に据えられた釈迦(の不在的存在)に視線が集まる構図と、赤と緑の補色による緊張感により、静かな悲しみの場面が形成されている。

一方で、光や天花といった瑞相が現れることで、死を超えた釈迦の超越性と救済が示されている。

下村観山(1898)《闍維》横浜美術館

 

東京国立近代美術館で開催中の「下村観山展」でこれは、と思う作品、《日・月蓬莱山図(右幅)》の主観レビューをお届けします。

本作で描かれている山は実在の風景ではなく、蓬莱山という想像上の霊山です。

蓬莱山とは、中国の神仙思想に由来し、不老不死の仙人が住む場所とされています。

つまり、「縁起の良い理想世界」を描いたものです。

 

ゴツゴツした岩と、曲線を多用した山や木々との対比によって、近寄り難い印象を受けます。

岩は、垂直的で重量感があり、威圧・不動性を、曲線は、柔らかさがあり、自然の流れ・気を表します。

この対比によって、「優しい自然」ではなく、「異質で霊的な空間」になっています。

 

また、本作では人物が描かれておらず、スケールが極端に大きい。

しかも、道や入口がありません。

このことから、「人が入れない世界」=仙境(理想郷)として表現されています。

 

さらに、霧がかかり、朦朧体が使われ、岩が右側に寄っているのも神々しさを感じます。

朦朧体は単なる技法ではなく、輪郭を曖昧にすることで、現実性を低下させます。

霧は、距離・隔たりを強調します。

結果として、「触れられない世界」「この世ではない場所」という印象になります。

 

岩が右側に寄っていることで、画面のバランスが崩れ、不安定さ・圧迫感を生んでいます。

右に重量が偏り、左は比較的開けています。

このことで、観る側は無意識に「押される」感じを受けます。

結果として、霊的な存在に圧倒される感覚、神々しさを感じます。

 

まとめると、以下のようになります。

鋭い岩の質感と柔らかな曲線の対比、さらに霧と朦朧体による曖昧さ、そして右側に偏った構図によって、蓬莱山を人の近づけない神聖で圧倒的な存在として表現している。

下村観山(1900)《日・月蓬莱山図(右幅)》静岡県立美術館