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パラレル

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静嘉堂文庫美術館で開催中の「たたかう仏像」展でこれは、と思う作品、《三彩神将俑》の主観レビューをお届けします。


本作は、唐時代の副葬品陶俑で、墓に納められた墓守の武神像です。

色彩は、鮮やかな緑、深い琥珀色、そして清らかな白が混ざり合い、複雑なグラデーションを生んでいます。

そして、その今も動き出しそうな造形美が見どころとなっています。

 

しかし、よく見ると、頭上の鳥、肩の象とワニの合成獣など、獣面装飾が施されていることに気付きます。

その理由は、唐代の死生観と宗教観にあると思われます。

 

唐代の墓は、単なる遺体の置き場ではなく、死後の魂が住み続けるもう一つの世界であると考えられてきました。

そこに必要なのは、現実の兵士ではなく、異界で機能する存在です。

獣面は、「この世の人間ではない」ことを示す視覚記号でした。

 

獣面は、超自然的な威力の象徴とされ、邪気を食い、悪霊を威圧する存在でした。

つまり、獣面は「霊界で効く」とされたのです。

彼らは人間の武将ではなく、死後世界に配置された”霊的兵器”だったのです。

だからこそ、圧倒的な恐怖と威厳を備えているのです。


《三彩神将俑》(唐時代 8世紀) 静嘉堂文庫美術館

 

静嘉堂文庫美術館で開催中の「たたかう仏像」展へ行って来ました。


私たちが普段イメージする仏像は、「穏やかで静かな仏像」ではないでしょうか。

しかし、仏像のなかには、その印象を覆す、甲冑姿の神将像や四天王像なども見られます。

普段の「鎮魂」や「慈悲」の仏像とは異なり、まさに”救済の最前線”で衆生を守る存在としての仏像の姿が強調されているのです。

 

本展では、静嘉堂所有の仏像彫刻・仏教絵画、刀剣に表された武装する仏像を一堂に展示しています。

 

展覧会の構成は以下の通りです。

 

第1章(Ⅰ) 救済の最前線ーたたかう仏像のさまざまな姿ー

第1章(Ⅱ) 救済の最前線ーたたかう仏像のさまざまな姿ー

第2章 静嘉堂の仏像×俑

第3章 十二神将像と十二支の世界

ホワイエ 象徴から図像へー刀に刻まれた仏ー

 

第1章(Ⅰ)では、絵画に描かれた様々な仏像の姿を紹介しています。

例えば、毘沙門天は、『法華経』で説かれた観音菩薩の33の応現身の一つで、観音への祈りに応じて現世に現れ、困難を具体的に解決してくれる仏として信仰されています。


《毘沙門天像》(鎌倉時代 13世紀) 静嘉堂文庫美術館

 

第1章(Ⅱ)では、本尊に対して祈る者、信じる者を守護する眷属や、冥府を支える官僚機構である、武官・文官を紹介しています。

《千手観音二十八部衆像》では、千手観音とその眷属である二十八部衆が描かれています。


《千手観音二十八部衆像》(南北朝時代 14世紀) 静嘉堂文庫美術館


《地蔵菩薩十王図》(高麗時代 14世紀) 静嘉堂文庫美術館

 

第2章では、日本の神将像と比較する形で、中国の神将像と俑が紹介されています。

その歴史的な連続性を、同館の仏像彫刻コレクションと共に展示しています。

《加彩武人俑》や《加彩神将俑》などからは、その後の仏像への影響が感じられます。


《加彩武人俑》(後漢〜西晋時代 2〜3世紀) 静嘉堂文庫美術館


《加彩神将俑》(唐時代 7世紀後半) 静嘉堂文庫美術館

 

最後の第3章では、《十二神将立像》を紹介しています。

十二神将は十二支と結びつき、人々を守護する役割を担う仏像群で、それぞれが個性的な姿勢・表情・装備で表現されています。

鎧の細部や武器の構え方など、当時の武士の姿を投影したリアリティが感じられます。



《十二神将立像(浄瑠璃寺旧蔵)》(鎌倉時代 1228頃) 静嘉堂文庫美術館

 

「たたかう」というキーワードで仏像を切り取ったことで、エンターテインメント性の高い展示となっています。

仏たちの「強さ」の裏にある「優しさ」を感じ取ってみませんか。

 

 

 

 

会期:2026年1月2日(金)〜3月22日(日)

会場:静嘉堂文庫美術館(静嘉堂@丸の内)

   〒100-0005 東京都千代田区丸の内2-1-1 明治生命館1F

休館日:毎週月曜日(ただし1月12日(月・祝)、2月23日(月・祝)は開館)、1月13日(火)、2月1日(日・全館停電日)、2月24日(火)

開館時間:10:00〜17:00

   ※入館は閉館の30分前まで

   ※毎月第4水曜日は20時まで、3月20日(金・祝)・21日(土)は19時まで開館

お問合せ:050-5541-8600(ハローダイヤル)

 

 

 

東京ステーションギャラリーで開催中の「小林徳三郎」展でこれは、と思う作品、小林徳三郎(1928)《金魚を見る子供》東京国立近代美術館蔵 の主観レビューをお届けします。

画面には、ガラス鉢の中の金魚をじっと見つめる子供が描かれています。

子供は机に頬杖をつき、金魚鉢とほぼ同じ高さで向かい合っています。

黄色を基調にした背景で、平面的な空間だけが広がっています。

 

金魚鉢は、水の世界、ガラスという膜、歪む視界によって、こちらの世界とは物理法則の違う小さな宇宙になっています。

子供にとって、金魚は単なるペットではなく、手の届かない、しかし確実にいる「別の世界の住人」。

そのため、眺める行為は「観察」ではなく、異界を覗き込む行為に近い。

 

また、金魚も人間に異世界を見ています。

金魚から見れば、巨大な顔、動かない視線、水の外にある世界は理解不能な異界です。

つまり、本作では、「見る/見られる」関係ではなく、互いが互いを異世界として見つめ合っています。

ガラスは隔てる壁であると同時に、異世界を成立させる境界なのです。

 

異世界は、完全には理解できませんが、確実に存在します。

だからこそ、見続けても見飽きない。

本作は、一瞬ではなく、「永遠に続く凝視」が描かれています。

 

また、徳三郎は家族や身近な人を多く描いており、モデルと画家との間に演技や緊張がありません。

このため、子供の表情は、可愛く見せようとしておらず、意味ありげにも作られていません。

ただ、「何かを見ている時の、無防備な顔」になっています。