『一億三千万人のための『歎異抄』』 | パラレル

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朝日新書から刊行された『一億三千万人のための『歎異抄』』を読んでみました。

高橋源一郎(2023年)『一億三千万人のための『歎異抄』』朝日新書

 

戦乱と飢餓の中世に生まれ、何百年も人々を魅了し続けてきた日本で一番有名な宗教の本『歎異抄』。

今、再び巡ってきた混沌の時代にまったく新しい、一億三千万人のための「今のことば」になって蘇ります。

「他力本願」「悪人正機」「地獄こそ我がすみか」とは何なのでしょうか。

 

目次

『歎異抄』を読む前に

『歎異抄』(もしくは、『タンニショウ』、もしくは『シンランのことば』)

はじめのことば

○パート1

 その一 アミダのお誓い

 その二 ジゴクこそわたしにふさわしい場所

 その三 悪人だからこそゴクラクに行けるんだ

 その四 ジヒってなんだ

 その五 いくらネンブツをとなえても誰も救えない

 その六 ネンブツはアミダからの贈りものだ

 その七 ネンブツは自由だ

 その八 ネンブツは「修行」でも「善行」でもない

 その九 ぼくは告白した

○パート2

 その十 もしくは、ぼく自身のための序文

 その十一 アミダのお誓いの不思議な力

 その十二 信じてもいいし信じなくてもかまわない

 その十三 「人を千人殺してみろ」と「あの方」はいった

 その十四 みんなを救う、ひとりも捨てない

 その十五 アミダの「ホンガン」という「船」に乗り、ぼくらの「苦海」を渡り、いつかジョウドの岸辺にたどり着く

 その十六 ほんとうの「回心(エシン)」は生涯にただいちど

 その十七 ジョウドのかたすみに転生(テンショウ)したって大丈夫

 その十八 寄進やお布施なんか必要ない

あとがき アミダが救うのは「おれ」ひとり

あとがきのあとがき

後に蓮如(レンニョ)によって書き加えられた注意書き

宗教ってなんだ(『歎異抄(タンニショウ)』を「翻訳」しながら考えたこと)

ネンブツと文学

ただひとりのために

正そうなものには気をつけろ

名前を呼ぶこと(あとがきに代えて)

親鸞の時代年表

『歎異抄』原文

 

目次でお気づきのように、筆者は「シンラン」や「ホウネン」という書き方をしています。

もちろん、「シンラン」は「親鸞」、「ホウネン」は「法然」のことです。

しかし、そういう書き方では、なんだか違うような気がする。

というのも、その書き方からわかるのは「薄い知識」のような気がするからです。

 

現実の世界ではひとりしかいない「親鸞」も、ひとたびことばの世界の住人になったとき、それを読む人たちの数だけ存在します。

だから、筆者はいままで読んできたたくさんの「親鸞」のどれとも違う「親鸞」のことを書きたいと思い、「親鸞」と区別するために、「シンラン」と呼ぶことにしたのです。

 

本書は、「シンランのことば」を、筆者にとっての『タンニショウ』を通して読者に届けるものです。

「シンラン」がいったことだけを、現代のことばに変えて、「シンラン」が今生きていたとしたら、きっとこういうだろうな、そんなことばに少しだけ変えて、書いてあります。

 

今まで誰も読んだことがない、みずみずしい「ぼくたちのことば」になった『歎異抄』。

「宗教」や「信仰」について考えてみませんか。

 

 

 

筆者プロフィール

高橋源一郎(たかはし・げんいちろう)

1951年生まれ。作家。明治学院大学名誉教授。横浜国立大学経済学部中退。88年『優雅で感傷的な日本野球』で三島由紀夫賞、2021年『さよならクリストファー・ロビン』で谷崎潤一郎賞受賞。著書に『ぼくらの民主主義なんだぜ』『ゆっくりおやすみ、樹の下で』『たのしい知識 ぼくらの天皇(憲法)・汝の隣人・コロナの時代』『ぼくらの戦争なんだぜ』ほか多数。