テルマエ展 お風呂でつながる古代ローマと日本 | パラレル

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パナソニック汐留美術館で開催中の「テルマエ展 お風呂でつながる古代ローマと日本」へ行って来ました。


テルマエとは「熱い」という意味のギリシャ語「テルモス」に由来し、狭義には皇帝によって建設された大規模公共浴場を、広義には古代ローマの版図内の公共浴場を指します。

4世紀に記された2種類の『ローマ市総覧』によれば、当時ローマ市内には公共浴場は11を数え、小規模なものに至っては約900軒にのぼっていたといいます。

 

本展は、古代ローマの人々の生活について「お風呂文化」を中心に紹介するものです。

また、国内に残される地方色豊かな温泉文化にも触れながら、日本のお風呂の歴史も概観しています。

 

展覧会の構成は以下の通りです。

 

序章 テルマエ/古代都市ローマと公共浴場

第1章 古代ローマ都市のくらし

 1-1 庶民の日常

 1-2 娯楽

 1-3 饗宴

第2章 古代ローマの浴場

 2-1 アスリートと水浴

 2-2 医療と健康

 2-3 女性たちの装い

 2-4 テルマエ建築と水道技術

第3章 テルマエと美術

第4章 日本の入浴文化

 4-1 入浴と信仰

 4-2 戦国武将と温泉

 4-3 江戸の入浴文化

 4-4 近代以降の入浴文化

 

古代ローマ人は、古くは質実剛健を旨とし、農業こそが富の正しい源であると考えていました。

しかし、紀元前2世紀以降に地中海全域に勢力を拡大し、圧倒的な富を手に入れると、古き美徳は忘れ去られ、その生活も変容していきます。

富める者はいよいよ広大な土地を所有し、しかし農作業は全て奴隷に任せ、自身は都市に住んで政治活動に熱中しました。

 

土地を失った者たちもまた都市に流入し、日雇労働で生計を立てるようになりました。

ローマをはじめとした大都市には、政府高官、貴族、商人、職人、日雇い労働者、奴隷など多様な人々がひしめくように暮らすようになります。

 

皇帝たちは大衆の不満を解消すべく、食糧の施与や見世物などの娯楽の提供という施策を行いました。

1世紀末から2世紀初頭の風刺詩人ユウェナリスは、これを「パンとサーカス」と皮肉っています。

 

庶民の日常生活で用いられた軽量器具として、《秤》(1世紀 多摩美術大学美術館)が紹介されています。

竿の長い方には数字が刻まれており、人物像の錘を横に移動させ重さを量ります。

竿のもう一方には蛇の頭のかたちをした掛け釘が下げられ、4本の鎖で吊るされた皿の上に量るものを乗せて使用しました。

錘は、鎧をつけ葉冠をかぶる皇帝らしき男性の胸像を表しています。

皿には葉綱模様が銀の象嵌で表されるなど、精巧な細工が見られます。

 

古代ローマでは誰もが楽しめる娯楽として、戦車競走、剣闘士試合、演劇などの見世物が発達しました。

本来は祝祭や葬祭の一環として催されたものでしたが、時代が下るにつれ大衆の支持を得るという政治的な目的が比重を増し、開催頻度も増していきました。

 

剣闘士の装備にはいくつかの種類があり、それによって対戦相手もある程度決まっていました。

《兜(レプリカ)》(75〜79年 ナポリ国立考古学博物館)は、レティアリウス(投綱剣闘士)との対戦に特化したセクトル(追撃剣闘士)のもので、投網にひっかからないよう凹凸の少ない楕円形になっています。

目をくり抜かれないよう、目の部分の開口部は極めて小さくなっています。

セクトルはほかに、まっすぐな短剣(グラディウス)と長方形の盾(スクトゥム)で武装しました。

 

公共の場にある浴場は、ローマ人の発明ではありません。

そのルーツのひとつは若者たちが運動後に身体を洗うための設備、もうひとつは医療行為として神域に設けられた入浴施設で、いずれも古代ギリシャに発しています。

しかし、大衆の娯楽のために、驚くほどの規模へと発達させたのはローマ人でした。

 

両端が犬の頭部で飾られた青銅の輪に、アリュバロス(香油壺)とパテラ(小皿)と3本のストリギウス(肌かき器)がぶらさがっている《入浴道具》(1世紀 ナポリ国立考古学博物館)には驚かされます。

パテラは、熱浴室で身体に湯をかけるのに使用されました。

運動前や入浴後には、アリュバロスに入ったオイルやバームを肌に塗ります。

ストリギウスは、異なるカーブのものが3本揃っています。

 

石鹸代わりの粉入れの壺として、《銅製把手付ガラス壺》(3〜4世紀 MIHO MUSEUM)が紹介されています。

紫色のガラスを宙吹きしてつくられた壺です。

張りのある丸い器形で、小ぶりながら安定感があります。

表面にやや銀化が見られ胴部は金属のような光沢を放ちますが、薄い口縁部は半透明でガラスの質感を見せます。

薄緑色のガラスを曲げ左右対称のかたちにした把手に針金の環を通し、さらに銅製の把手が付いています。

 

入浴は、健康や医療とも直結しています。

医神アスクレピオスの信仰はギリシャで紀元前5世紀に広まりましたが、その神域は必ず近くに清らかな湧水があるところにつくられ、医療行為の一環として入浴を行うところもありました。

 

温泉水が健康に良いことも古くからよく知られていました。

温泉を守護するのは泉のニンフたちです。

イスキア島ニトローディの温泉では、古くから泉のニンフたちがアポロとともに祀られています。

アポロはアスクレピオスの父であり、疫病を祓う神でもありました。

 

《アポロとニンフへの奉納浮彫》(2世紀 ナポリ国立考古学博物館)の左端には、マントをまとったアポロが竪琴を手に、足元にグリュプスを従えて立っています。

右には3人の半裸姿の泉のニンフたちが並び、両端のふたりは貝殻を、中央のひとりは水瓶を身体の前に抱えています。

浮彫下部には、これがマルクス・ウェリウス・クラテウスの誓願成就の奉納であることが記されています。

 

テルマエは、大衆が美術品を間近に見ることができる場でもありました。

もちろん広場や神域でも質の高い彫刻や絵画を目にすることはできたはずですが、テルマエには概して裸体画が多かったようです。

くつろぎながら楽しめる美術作品はまた格別のものだったでしょう。

 

《ヴィーナス》は、上半身に透けた衣をまとい、下半身に赤いマントを巻きつけた美の女神ヴィーナス(アフロディテ)が、右手で肩のヴェールを持ち上げ、左肘でかたわらの角柱にもたれ掛かっています。

足の下には台座らしきものが描かれており、前5世紀末に彫刻家アルカメネスがアテネのアフロディテ神域のために制作した彫像《庭園のアフロディテ》を思い起こさせます。


《ヴィーナス》(50〜79年)ナポリ国立考古学博物館

 

《ヘラクレスのトルソ》は、頭部、両脇、左下脚と右足が欠損していますが、筋骨隆々とした逞しい身体や、背中に羽織ったライオンの毛皮から、英雄ヘラクレスの像であると分かります。

毛皮には赤みがかった顔料の痕跡が認められます。

ヘラクレスは運動の場であるギュムナシウムの守護神でもあり、その彫像は浴場にも好んで飾られました。


《ヘラクレスのトルソ》(1〜2世紀)個人蔵

 

日本の入浴文化についても取り上げられています。

日本の入浴は、おおまかに、天然の温泉と、人工的な施設で行うものとに分けられます。

火山列島のため豊富に温泉が湧く日本では、古くから各地の温泉が重要な資源として地域の住民によって守られ利用されてきました。

 

江戸時代の箱根には、湯本、塔ノ沢、堂ヶ島、宮之下、底倉、木賀、芦之湯という7つの温泉場があり、「箱根七湯」と呼ばれていました。

ここは江戸から徒歩2日ほどの距離にあり、東海道も近かったため、当時から多くの湯治客で賑わっていました。

《七湯の枝折》は、文窓と弄花のふたりにより編纂された箱根温泉の湯治の手引書です。

それぞれの温泉場の絵図が添えられ、泉質や効能、見どころなどが詳しく紹介されています。

多くの写本が存在し、木版本も出版されていますが、本巻は作者自身による浄書本。

《芦之湯風呂内之全図》では、芦之湯の浴室の様子が詳しく描かれています。

これによると、右から石敷きの底から源泉が湧き出すぬるめの「底なし湯」、やや熱めの「中の湯」、幕を張って貸し切りができる「小風呂」、最も広い「大風呂」の4つの浴室があったことが分かります。


《七湯の枝折》(1811年)箱根町立郷土資料館

 

銭湯の軒数は東京では1968年をピークに減少しますが、対照的に急速に普及したのが住宅の内風呂です。

この頃には、石鹸とシャンプーの品質と使い勝手も向上し、人々はこうした洗浄料を上手く利用しながら、住居内での毎日の浴槽入浴を習慣化させていきました。

 

「中将湯」は津村順天堂(現株式会社ツムラ)が創業当初より製造、販売している婦人薬です。

1897年に、日本初となる入浴剤「浴剤中将湯」が発売されると、全国の銭湯で用いられるようになりました。

「中将湯」を使用する銭湯は人気があり、そうした銭湯は《「中将湯温泉」看板》のような「中将温泉」と銘打った、手彫り、金箔仕上げの看板を掲げ、入浴剤の効能を謳いました。


《「中将湯温泉」看板》(大正時代末期)町田忍蔵

 

銭湯といったらこれを思い浮かべる方も多いのでは。

内底に解熱鎮痛剤「ケロリン」の文字がプリントされた黄色の桶は、銭湯でよく目にする定番アイテムです。

1963年、広報媒体としての桶に注目した広告代理店睦和商事が内外薬品に提案して誕生しました。

従来の木桶に比べて衛生的で丈夫な合成樹脂製桶は人気を博しました。

販売当初は白色。

しかし汚れや傷が目立つため、間もなく黄色に変更されました。

子ども用、洗髪用、関東・関西用など、ニーズに合わせて、型もバラエティに富みます。


《ケロリンの桶》(昭和38年(1963)〜平成時代頃)町田忍蔵

 

本展は、日本における古代ローマ研究の第一人者である青柳正規氏、芳賀京子氏の監修のもと、漫画『テルマエ・ロマエ』の作者・ヤマザキマリ氏の協力によって実現しています。

絵画・彫刻・考古資料といった100件以上の作品と映像や再現展示を通して、テルマエを愛した人々の暮らしを身近に感じる機会となるでしょう。

また、浴場とテーマに古代ローマ世界と日本を比較しており、多くの共通点が両者を結びつけていることに気づくことでしょう。

お風呂文化を楽しんでみませんか。

 

 

 

 

 


 

 

会期:2024年4月6日(土)〜6月9日(日)

   前期:4月6日(土)〜5月7日(火)/後期:5月9日(木)〜6月9日(日)

会場:パナソニック汐留美術館

   〒105-8301 東京都港区東新橋1-5-1 パナソニック東京汐留ビル4階

開館時間:午前10:00〜午後6:00

   (入館は午後5時30分まで)

   ※5月10日(金)、6月7日(金)、6月8日(土)は夜間開館 午後8時まで開館(入館は午後7時30分まで)

休館日:水曜日(ただし6月5日は開館)

主催:パナソニック汐留美術館、朝日新聞社

後援:イタリア大使館、港区教育委員会、東京都浴場組合

協力:ヤマザキマリ