モネ 連作の情景 | パラレル

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上野の森美術館で開催中の「モネ 連作の情景」展へ行って来ました。


モネは光と色彩に対する並外れた感覚を持ち、自然の息遣いが感じられる作品を数多く残しました。

柔らかな色使いと光の表現による清澄な作品は、国内外で屈指の人気を誇ります。

彼の生み出した革新的表現のひとつが、「連作」の手法です。

同じ場所やテーマを、異なる天候、時間、季節を通して取り上げ、その一瞬の表情や移ろいゆく景色をカンヴァスに描きました。

 

本展は、「連作」に焦点をあてながら、自然とのたゆまぬ対話を続けたモネの生涯を紹介するものです。

 

展覧会の構成は以下の通りです。

 

1章 印象派以前のモネ

2章 印象派の画家、モネ

3章 テーマへの集中

4章 連作の画家、モネ

5章 「睡蓮」とジヴェルニーの庭

 

モネは1840年、ブルジョワ(中産階級)家庭の次男としてパリに生まれました。

最初の油彩画をウジェーヌ・ブーダンの手ほどきで描いたのは、モネが17歳の時。

ブーダンに才能を見出され、モネはパリで美術の勉強を始め、翌年アミーユ・ピサロと出会います。

22歳でシャルル・グレールの画塾に入り、フレデリック・バジール、アルフレッド・シスレー、ピエール=オーギュスト・ルノワールなどの仲間と知り合いました。

 

当時、フランスの画家にとってサロン(官展)は評価を受ける唯一の場であると同時に最高の市場でもあり、若いモネもサロンでの成功を目標にしていました。

初めてサロンに挑戦した1865年、2点の海景画が入選して幸先の良いデビューを飾り、翌年も入選しました。

しかし、1867年からサロン審査は厳しさを増して、モネの意欲作は保守的な審査員に評価されず、落選が続きます。

 

《昼食》(1867-69年 シュテーデル美術館)はその頃の作品です。

モネには珍しい、黒を基調とする人物画の大作で、食事につくのは、のちに妻となるカミーユと幼い長男のジャンです。

カミーユとの結婚を父や祖母に反対され、3人は経済的な理由で別居が続いていました。

ようやく家族で一緒に暮らし始めた頃に描いた自信作でありましたが、1870年のサロンに落選しました。

以後、モネは伝統を離れて印象派へと向かいます。

 

1871年頃から4ヶ月間、モネはオランダに滞在しました。

《ザーンダムの港》(1871年 ハッソ・プラットナー・コレクション)は、製材業で栄えたザーンダムの港の光景です。

夕日に染まる空を映し出した水面が大きな筆で大胆に塗られています。

ポールの先がなびいていて風の流れを示し、穏やかで清涼な夕刻の街が彩られています。

中央に描かれた黒い大きな杭は、日本の浮世絵版画の大胆な構図を思わせます。

 

オランダから帰国したモネは1871年末からパリ北西のアルジャントュイユで暮らし始めます。

セーヌ川に面した風光明媚なアルジャントュイユには仲間がよく訪れ、マネやルノワールもモネと一緒に制作しました。

 

サロン落選を経験したモネと仲間たちは新たなグループ展を構想し、1874年、パリで「第1回印象派展」を開催します。

モネが出品した《印象、日の出》に対して批評家ルイ・ルロワが『ル・シャリヴァリ』紙に書いた「印象主義」という茶化した意図の用語が、結果としてグループの名称になりました。

 

《モネのアトリエ舟》(1874年 クレラー=ミュラー美術館)には、セーヌ川に係留したアトリエ舟を中央に、奥には遊歩道や森が描かれています。

ボートの上に小屋を設えた「アトリエ舟」は、先輩画家シャルル=フランソワ・ドービニーの「ボタン号」に倣って造られました。

この舟の上では、水面をつぶさに観察し、水上ならではの景色をのぞむことができました。

戸外制作につきものの悪天候にも耐えるこの舟をモネは重宝します。

 

《ヴェトュイユの教会》(1880年 サウサンプトン市立美術館)には、夏の日差しが降り注ぐヴェトュイユとその川辺が描かれています。

絶えず揺れる水面を見たままに描き出そうと、モネは素早く、軽くたたくように筆を運んでいます。

この教会一帯を水辺から見渡す光景は繰り返し描かれ、この地を離れた後も同主題の連作を残しています。

 

モネは新たな画題を求めてヨーロッパ各地を精力的に旅し、その制作地は多岐にわたります。

こうした旅を可能にしたのは蒸気船や鉄道網の発達です。

 

モネは旅先に数ヶ月間滞在することもあり、ひとつの場所で集中的に制作しました。

都会的な装いの観光客で賑わう行楽地よりも、人影のない海岸など原初的な自然の風景を好んで描きました。

時には険しい岩場に降りるなど危険を冒してまで対象に近づいてイーゼルを立てたといいます。

 

旅先に滞在するなかで、同じ風景を異なる季節や天候、時刻に描き、海や空、山や岩肌の表情が絶え間なく変化する様子をカンヴァスに描き留めました。

ひとつのテーマに様々な角度から取り組むモネならではの制作態度は、やがて「連作」という制作手法へ向かいます。

 

《ヴァランジュヴィルの漁師小屋》(1882年 ボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館)、《ヴァランジュヴィルの崖のくぼみの道》(1882年 ニュー・アート・ギャラリー・ウォルソール)、《ヴァランジュヴィル付近の崖の小屋》(1894-98年 ニュ・カールスベア美術館)の3作品に共通して描かれる小屋は、プールヴィルとヴァランジュヴィルのほぼ中間の、ノルマンディー沿岸の崖の上にあります。

この石造りの小屋は、19世紀初頭のナポレオン1世の大陸封鎖時代に税官吏の見張り場として設置されましたが、ナポレオン退位後は漁師の倉庫や避難場所として使われていました。

この小屋を気に入ったモネは、様々な視点から小屋を含む海景を繰り返し描いています。

 

また、英仏海峡に面した漁村で、断崖や奇岩が見られるエトルタは、19世紀に観光が盛んになると人気の行楽地となりました。

穴をくり抜いたような奇岩「ラ・マンヌポルト」は村から左手に見えるもうひとつの奇岩「アヴァルの門」の奥側に位置しており、村から直接見えないためかあまり描かれることはありませんでした。

《ラ・マンヌポルト(エトルタ)》(1883年 メトロポリタン美術館)、《エトルタのラ・マンヌポルト》(1886年 メトロポリタン美術館)の2作品は、クローズアップで描かれている点は共通しますが、制作年に3年の開きがあり、縦横の構図の違いとともに、色彩にも変化が見られます。

 

1883年、42歳のモネはヴェトュイユの下流に位置するセーヌ川流域のジヴェルニーに移り住みます。

モネ一家に、夫と別居中だったアリスとオシュデ家の子供たちを加えた総勢10人で新生活を始め、ジヴェルニーはモネにとって終の棲家となりました。

 

モネが体系的に「連作」の手法を実現したのは《積みわら》が最初だと考えられています。

積みわらはジヴェルニーの自宅付近で秋になると目にする風物詩で、農業国フランスの豊かさを象徴する風景でもありました。

 

「連作」の着想源のひとつにはモネが愛した浮世絵の影響も指摘されています。

オランダ滞在時に浮世絵に出会ったモネは、同じ版で昼と夜の情景を刷り分けた絵もある歌川広重の『東都名所』などを所蔵しており、連なる風景表現に新たな可能性を見出したのかもしれません。

 

1889年に訪れたクルーズ渓谷の風景に魅せられたモネは、制作道具を携えて翌月この地に舞い戻ります。

険しい岩が剥き出しの風景とその強烈な色彩に感化されたモネは《クルーズ渓谷、曇り》(1889年 フォン・デア・ハイト美術館)、《クルーズ渓谷、日没》(1889年 ウンターリンデン美術館)のように、大クルーズ川と小クルーズ川が合流する地点を同じ構図で、光の効果を変えて描いています。

 

後半生を過ごしたジヴェルニーはモネにとって創作上の尽きない着想源となります。

借りていた家と土地をやがて購入し、その後も敷地を広げて「花の庭」と「水の庭」を本格的に整備し、何人もの庭師を雇って旅先から詳細な指示を送りました。

「水の庭」では睡蓮を栽培し、池には日本風の太鼓橋を架けて藤棚をのせ、アヤメやカキツバタを植えました。

 

モネは庭に咲く藤や芍薬など多彩な草花を描いています。

1890年代後半からは300点もの《睡蓮》に取り組みました。

友人で政治家のジョルジュ・クレマンソーに大装飾画の計画を働きかけ、巨大な専用アトリエを建てて市場最大の《睡蓮》を制作しています。

 

20世紀初頭、フランス美術は激動の渦中にありました。

モネが没した1926年はシュルレアリスム(超現実主義)が台頭し、印象主義は半世紀前の遺物とみなされていました。

没後のモネは母国フランスでさえ一時期忘れられますが、1950年代、抽象絵画の源流としてマーク・ロスコらが《睡蓮》の意義を見出して、モネ芸術が再び注目され始めます。

今日、モネは印象主義の創始者として、また抽象美術の祖としても国際的に功績が認められています。

 

《睡蓮》は、モネが最初期に描いた作品で、大ぶりなふたつの花とまるい葉が暗い水面に浮かんでいます。

空や樹木の水面への映り込みや、光と水が戯れるような表現はまだ見られず、モネの視線は睡蓮だけに集中し、色の組み合わせによる描写の研究に没頭しています。


クロード・モネ《睡蓮》(1897-98年頃)ロサンゼルス・カウンティ美術館

 

《睡蓮の池》では、大画面に明るく暖かい色彩のハーモニーがゆったりと広がっています。

明るい空の輝きと池を囲む樹木が水面に映り、その鏡像が池の睡蓮と溶け込むように交じり合います。

右奥に柔らかい影を落とすのは、しだれ柳だろう。

モネは集大成となる「大装飾画」の構想へと向かい始めており、本作においても観る者を壮大な世界へと誘い、包み込みます。


クロード・モネ《睡蓮の池》(1918年頃)ハッソ・プラットナー・コレクション

 

このように、本展ではモネの「連作」を大規模に総覧する日本で初めての展覧会です。

モネのみの作品からなる本展には、50館を超える世界中の重要な美術館から招聘した主要作品が含まれます。

壮大なモネ芸術の世界を目撃してみませんか。


 

 

 

 



 

会期:2023年10月20日(金)〜2024年1月28日(日)

   休館日:2023年12月31日(日)、2024年1月1日(月・祝)

開館時間:9:00〜17:00(金・土・祝日は〜19:00、日は〜18:00)

   2024年1月12日より9:00〜18:00(金・土は〜20:00)

   ※入館は閉館の30分前まで

会場:上野の森美術館

   〒110-0007 東京都台東区上野公園1-2

主催:産経新聞社、フジテレビジョン、ソニー・ミュージックエンタテインメント、上野の森美術館

後援:在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ

企画:ハタインターナショナル

特別協賛:にしたんクリニック

協賛:第一生命グループ、NISSHA

協力:KLMオランダ航空、日本航空、ハフトハンザ カーゴ AG、ルフトハンザ ドイツ航空、ヤマト運輸

お問合せ:050-5541-8600(ハローダイヤル) 全日9:00〜20:00