2007年に見た映画・読んだ小説の感想を載せます。(リピートしたものもある)
ファイナルファンタジックスーパーノーフラット / 劇団本谷有希子 ★4
せりふの時代07秋号掲載
物語の作りは至ってシンプル。とある経営不振だった遊園地を買い取り、そこで女達に「ユク」という女を演じさせハーレムのように暮らす男。彼が最終的に自分の二次元的な恋愛を暴かれメッキがはがれていく話。この手の作品で言えば大橋秦彦の「もう一人の善き人」なども挙げられる。
感想。
文学賞候補になっただけのことがあり説明も上手く読みやすい。これは特に奇をてらった表現を使わないという意味でだけでなく、言語としてすんなり入りやすい。また、そこまではっきりと作りこまない薄い異常世界にすることでメッキをはげさせやすくする事に成功しつつもだからといって観客に矛盾などのような抵抗を与えるようなスキを与えないスピード感と丁寧な設定描写もよい。また、最後の畳み掛ける言葉の吐き合いによるやり取りによりお互いの関係性がクルクルと変わっていくところなども迫力はある。
だが物語が読めすぎる。宗教的におかしな信仰を持つトシローが破綻することも、逆に琴音が日常の生活に戻っていくこともスタートの段階から予測しやすい内容であり、それがそのまま展開してしまう事で何もドッキリが起きない。構成の問題があると思う。予想もしない方向に行くからこそ爆発されるやり取りが生きてくる。
加えて多くの情念が言葉によって紡がれてしまっていたり、観覧車を利用する事での独特な世界観を表現するために、設定としての精神的な意味での閉鎖感を与える事を封じてしまっている。これははっきりと言ってしまえば「面白い設定を作る」という事と「舞台で観客に与えようとするもの」が乖離してしまっているという問題点なのではないかと思う。つまりは本谷有希子はまだまだ若い作家だということだ。
ゆらめき / ペンギンプルペイルパイルズ
「コメディとシリアスの螺旋」
①全体的なスタイルに関して
まず全体的な物語を取り巻くテーマみたいなものはすでに存在させ、それに関して全体的にシリアスに進行させていく。しかし、その合間合間に常にそのシリアスを嘲笑するかのようなギャグを入れながら展開させていく。それによりシリアスな展開だが笑いながら見れるというだけでなく、そのシリアスを空気を読まず嘲笑する「笑い」がよりシリアスな空気を作りあげるという構造。
世の中には「思いっきり笑わせて思いっきり泣かせる」というような完全にコメディとシリアスを分断させる手法が多い中、常にシリアスとコメディを交互に絡めてそれを積み上げていってしまうのは個性だと思う。
② 見せているものに関して
スタートの段階からはじまった一人一人の言っていた事が妄想と化し、現実を飲み込んでいく。しかしそうやって膨らんで行った妄想が最終的には全員が真実を言う事で一気に収束していく。これがあからさまに表現するのではなく、一歩一歩確実に一人一人にそれに向かって動かせているのがすごい。そして最終的な終わり方もそれを言葉で主張するだけにとどまらず夫婦喧嘩という絵で「真実の剥き出しのほほえましさ」を表現させているのも非常に演劇的である。
作り方は難解に見えて意外と簡単。一人一人に「ややこしくゆがめる事ができる事実」を持っていて、それを一人の人間がややこしく解釈し、それを他の人にややこしく伝える順番を組めばいいのだ。
③ 話を転がす伏線に関して
ただ、問題点としてはこの脚本家の芝居の伏線はあまりにわかりやすい。舞台上にあるものを使ってネタにしそれを伏線にするのではなく、何らかの理由づけをして舞台上に物を置いているのだ。こうなってくるとある程度の先読みはできてしまう。また、事実の解釈のズレから生じる虚構による誤解は面白いのだが、そうではなくあからさまに舞台上の状況にたまたま居合わせた人の誤解というものがちょっとわざとらしい印象を受けた。確かにこれもある一つの事実から生まれた誤解なわけだが、ステレオタイプすぎやしないか。
総評として、全体的な展開させ方だったり、扱っている題材は面白いけれど伏線がわざとらしすぎてあんまり上手くないというのが弱点か。でもこのレベルの伏線なら十分大衆レベルで成功できるとは思う。
と言う感じ。伏線や構成に関してはさほどでもないが、一人一人が別々に妄想をする事で個性という差を生んでいる。挨拶ではそれを無意識下のものと言っていたがおそらくそういうことなのだろう。
生きてるものはいないのか 五反田団 ★8
チラシも舞台も何から何まで簡素に作り上げる五反田団。チケットは2000円と格安でした。
「リアルを使ってぶっ飛ばして本当のリアルを見せる」
場所はとある医学部を備えた総合大学の周辺。そこに生きる人々の日常から物語ははじまる。卒論の為に「都市伝説」を研究している女の子、結婚相手とは別の女との間に子供ができてしまうことで起きた三角関係、研究員と刑務所から出所してきたその兄。当然として物語はそういった人間関係それぞれが解決していく方向に進んでいくかに見える。しかし突然踊り狂って死んでしまう奇病が広まり、そんな彼らの物語は解決をせぬまま、彼らの思いとは裏腹の方向に。
作り方として「観客の視点」を完全に逆手にとっている。
まずしょっぱなから見せる平田オリザ風の静かな芝居は観客にリアリティを実感させるがそれもフェイクだ。
リアリティのある世界に突如ぶっ飛んだ事件を投げるがそのぶっ飛んだ事件も最初に作り上げていた静かな芝居の中に存在していた「伏線と思われるもの」を意識して見るのですんなりと受け入れられる事となるし、入り方も「素昆布」を食べてむせたからだと思われるようなリアリティの面白さから入るのですんなり。そんな「ぶっ飛んだ事件」をすんなり受け入れられる基盤が観客の中でできた状態で突如舞込ませるリアリティの延長上の滑稽なやり取りや人間関係の数々が面白いのだ。
世界中で突如として沢山の人が死ぬようなシチュエーションが起こったとすればそれは決して感動的なものではなく、事件の深層を究明できるものでもなく、誰一人としてドラマチックな展開を動かす事ができない滑稽なものだ。滑稽でぶっ飛んでるがリアル。だから冷めた視点で見ていても大笑いできる。しかも物語がぶち壊されるとゴールがわからなり観客が道筋に導かれなくなってしまう可能性も懸念されるがむしろぶち壊された瞬間からゴールは「全員が死ぬこと」と明確になるので見やすくなる。
役者同士が絡む演出の絵としての面白さも秀逸だし(少なくともエチュードの面白さを舞台にそのままもってこれてる劇団はそういない)、舞台全体の絵も秀逸。何より後半はほとんどが笑いばかりに埋め尽くされていたにもかかわらず気がつけば全員が死に、舞台上に倒れて死んでいる15人以上の人間達とそこに立つ一人の男、無声で暗転するところなどは何とも不気味なリアリティを感じさせるもの。(これは今までの滑稽な劇をリアルだとたらしめる効果もある)
ある意味リアリティというものを面白さに生かした手法である。ただ、難点を言えば青年団のような静かな芝居としてのリアリティが「雑」というところだ。もちろん、のちのちの展開を考えれば作品全体として上品な側面を前半から出すわけにはいかないかもしれないが、いきなりわかりやすい記号的な情報を出されるとどうも気持ちが悪い。他の劇団の静かな芝居と比べてしまってそうなってくると微妙だと感じてしまうからだ。
人間(ハート)失格 / ポツドール
「夢オチを逆手にとったもの」
テレクラに電話して女の子と性交をしようとしたらやっぱり詐欺で取り立てから逃げる羽目に。友人に頼ろうにも友人にも借金をし取り立てられ、昔の彼女からは「あんた人間失格読んだ事あるの?あんたは中途半端なんだよ!」と吐かれる始末。そんな駄目人間主人公イサムの話。
「人間には行動できる人間と行動できない人間がいる」ということでこの物語には二つのエンディングが用意されている。一つは借金から逃れるために嘘をつくが結局はばれてしまうケースともう一つはテレクラの女の子を家に連れ込みレイプし取り立ては殺してしまうケース。
ポツドールの芝居の最たる要素は「キレること」と言われているが、この作品はそれを最大限に表現するため「夢オチの嘘」を最大限に利用した点がポイントだ。映画やドラマであればどんなにひどい状況に陥っていようとそれが生で行われているわけではないし、それゆえに夢オチとしてやられた場合全くもってその「夢」の中での出来事が理不尽でも納得できる。しかしこの作品における暴力描写は「夢」とはいいながら実際に舞台上で行われているのである。そんな現実がありながらも実際に「夢でした~ちゃんちゃん!」と締めくくられても全くもって洒落にならないのである。
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他にも覗き見として面白い要素としてのテレフォンセックスだったり明らかな嘘に騙されている人間を見せものにしたり、騙され続ける事で「タケル」の最初の電話を詐欺の電話かと疑ってしまうような観客の錯覚を利用したり、テレビ番組は進んでいく時間軸を見せる事を目的としているかと思ったらむしろ同じ番組が流れる事ではっきりと時間軸が戻った事をひとめで認識させることができるとか様々な舞台上でなされる工夫もなされている。
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しかし展開として腑に落ちない観客も多いようである。
客の視点としては主人公に降りかかっている災難が最終的にどう解決していくかというものを追っていくのであろう。で、それがうまくいった後突如として『人間失格』としてのシチュエーションを入れて二つのケースを分断しているわけであるが、それは圧倒的にそれまでのイサムのキャラクターと逸脱したものであり、その展開を唯一納得させられるものは「あんたは中途半端なんだよ!」などの元カノの言葉ではあるんだけどそれも時間軸としては前に属している。それゆえ「展開としてのキッカケ」はあるんだけど、「登場人物にとってのきっかけ」がないのでどうも実感させづらいのではないかと思う。
エリ・エリ・レマ・サバクタニ ★2
「台詞のないユリイカが引き立つ」
~2015年、世界は自殺を促す奇病「レミング病」に犯されていた。その病気を唯一治すための方法、それは二人のミュージシャンの奏でる音楽だった~
青山監督の圧倒的な映像の構図とか風景での表現が無理してSFを取り入れたら結果。
圧倒的な景色と対比するかのようなあまりに浅い世界観の奇病。自殺したくなる病気という地点でありえない、それじゃあ病原菌自身が「自殺行為」をしているようなものだから。こんな病気というものにかんする認識は誰も気づかないからどうでもよいけど、要するにそれぐらいストーリー設定が適当な印象で作られているし、そこで設定をしゃべればしゃべるほどチープに。脚本力がないのか。
あんだけ映像そのものの撮り方が素敵なのに、ある意味ふざけすぎている。筒井さんまで持ってきて「楽しいSF」に仕立てあげる匂いが出てるのが気に入らない。絶望的な設定にするならとことん救いなくして欲しい。
helpless ★6
「感情の」
ヤクザに仕事を頼まれた男がそのヤクザの狂気が伝染しいつのまにやら加害者に転換している話。
大自然の中でだからこそどこまでも際限まで暴れられる狂気。その点で青山監督が持つ画力が最大に行かせるストーリー。
他人の暴力が伝染するに至る明確な理由は描かないまでも、
そこに存在している暴力を溜め込んだ行き場のない状態。それが一気に発散される瞬間というものはふとしたものでありかつ殴り
