コインロッカーベイビーズ上・下 /村上龍 ★7
「現実からSFへのクロスフェード」
村上龍独特の描写力は言うまでもない。
が、個人的にすげーと思ったポイントは現実から非現実に入る瞬間を見れたとこ。
主人公ハシが普通に生活していた日常から棒高飛びでキクのいる街に飛んでいくところ。
前半の長いハシとキクの幼少時代の日常はほとんどこれのために存在したと言っていい。
それまでに現実世界で「特技」として存在していた棒高跳びがその瞬間にドラえもんのタイムマシーンのような異次元への扉をこじ開ける。人は幼少の時はのび太の机の中が異次元への入り口だという事実をあっさり受け入れていたが、青年になってしまってはそれは夢物語にすぎないものだという考えに変わってしまうものだ。しかしそれが「ありえるんじゃね?」と思ってしまうほどに日常からSFにクロスフェードが上手く行われる。この作品さえあればもはやドラえもんはいらない。四次元ポケットもヤフオクに売り出される。
日常から移行したSFは最終的に世界にウィルスを撒き散らすまでに至る。
そういえば「エルフェンリート」って漫画も日常(萌え)と世界を滅びる系SFの混在が売りだったが、こちらも日常とSFが交差する瞬間が好きだった。ある日一瞬で日常が崩れ去る。それまで相当ひっぱりまくるが。
そうか、人は日常がSFに変わる瞬間というものを求めているのか。
そしてそれをうまく描くためには前置きとしての「日常」を長いこと描かなければならないのか。
アヒルと鴨とコインロッカー /伊坂幸太郎 ★7
「人物騙しこそすべて」
この話は二つの物語が交互に展開されるカットバック形式で構成されている。
①シュールなちょっと笑える椎名が巻き込まれた事件
②琴美が巻き込まれる事件
シュールに見せていた①を②が進んでいくにつれ壮絶な事件に絡んでいくという展開はある種伊坂のおきまりであるのでまぁ驚く事は何もない。その点で、伊坂の作品を順番に見ている自分としては「こんなもんか」という印象がその大半を占めている。しかも最終的には主人公に最も近しい存在が復讐劇を行っていたというのは「重力ピエロ」と同じ。
違いがあるとすれば伊坂の伏線の張り方は「ウィットに富んだ台詞」と「シュールな事件」をばら撒き、のちのちに拾うという方法をとっているわけだが、重力ピエロが前者のベクトルが強く、今作は後者が強くなっている。
加えて伊坂の作品に出てくる「地面から少し浮いた登場人物」がここでも登場。
「ちょっとファンタジーが混じった一般人」のことである。
例えばそれが女でさえあれば簡単に口説き落とせる男と二年間で完璧に日本語をマスターしたブータン人。
「未来が見えるかかし」や「特殊能力を持ったギャング」と同様に彼らも伊坂の伏線を強引に達成するために作られた人間達だ。(もっとも、彼はそういった非凡な人間を描く力がずば抜けているから強引な伏線に納得できる読者が多いのだろう。)が、これもまぁいつも通りといいますか平凡。
じゃあ今作は結局何かがよかったって「人物騙し」に尽きると思う。
二つの物語が交差する中、その交差する物語両者に名前が出てくる人物が「実は別の人物」だというトリックは反則技だ。RPGで「南西にある塔に子供たちがさらわれた」と言われて「そこに行かなければならない」と思わない人間がいないのと同じぐらい疑わない。読者は二つの物語のつながりを見つけようと読んでいっていて、そのつながりを探すための出た情報だと思うからだ。そしてそれを元に読んでいかないと面白くないからだ。
そしてそれを強引に実現させる事ができたのは「地面から少し浮いた登場人物」がいたからこそ。二年間で魔法のようにブータン人が日本語をペラペラになれる、そんな人物がいたからこそそれは実現できた。
自分の生み出せるものを把握してそれを最大限に利用した物語を作れるから彼は安定した結果を残し続けられるのだろう。
阿修羅ガール /舞城王太郎 ★6
「天才変拍子ドラマー」
女子高生が思ったこと走り書きした様な作風というもっぱらの評判だが、口調や描写よりもリズム。ビート。
つーかこれ女子高生じゃなくね?男の匂い?作者の匂い?プンプンしたよ。エグい女子高生の日常を腋の下からプンプン匂わせてるようで実はネカマもいいとこじゃん。AVのくだりとか精子のくだりとかぜんぶ、ぜんぶ、ぜーんぶ男が考えそうな事なのよ。そのくせ時々「わかってねーな」と思ってしまうその典型がアイコたんの読んでおられるファッション雑誌。知ったか男がー。
でも読んでて面白い。
「減るもんじゃねーだろうとか言われたのでとりあえずやってみたらちゃんと減った。私の自尊心。返せ!」
この一文がまさにその象徴だと思う。リズム感が神なのよ。
天才変拍子ドラマーなのよ。
「天の声」に自分家の住所を公開して「殺せ」ってつい書いちゃったり、もうノリなのよ。
こいつの登場人物はノリがすさまじくよくて、ノリで森の中いっちゃったり三途の川を渡ろうとしたりまでしちゃうのよ。
ノリが悪いやつが面白くないのとおんなじで、
行く?
って言われたら
行く!!
って即返すそのリズム感が異常によいのだ。
ノリが行き過ぎてトリプルドラムぶっぱなしてその後、「いい加減にしてー」と心の中の喧嘩仲裁人が現れ、自分が認識しているものは実は存在しているかもしれなくてそう考えると自分は考えるだけでとんでもない事をしでかしている可能性もあるみたいな哲学で無理矢理THE ENDを作りあげる。
最後を褒めてる人もいるけど、ホントに最初から哲学チックな事語ろうとしたのかなー。これこそノリな気がする。
別に三部でようやく納得とかそういうのいいから。
メロディーのよさとかじゃなくて、そのビートがかっこいいかかっこよくないか。
音楽ならオウテカとかスクエアプッシャーなのだよ。
ぶっとんでるだけぶっとんでてそれでいい。
チルドレン / 伊坂幸太郎 ★8
「」
短編小説の一話目で出てきた登場人物が別の時間軸で登場し、前の短編小説で謎だったものが後半で解き明かされるなどの構成が「短編小説の姿をした長編小説」という宣伝文句の通り。
でもそれで満腹になるなら伊坂読者としては序の口。
伊坂ワールドの中ではそれは日常茶飯事だからだ。
やっぱり短編だからこそのエピソードで評価。
例えば「チルドレン2」ラストが映画の「SAW」みたい~。
ラストで読者が「わかった!」と赤い回答ボタンを掌の硬い部分で賢明に推し始めると同時に伏線のヒントとなるカットがすぱすぱーって入ってく感じなんでまさにSAW!
そしてこの早さは短編集ぐらい軽い重さの作品でないと不可。
何せ普段の作品だったら伏線が何十もあるからいっぺんにダイジェストなんてしてたらカットがすぱすぱ流れてる途中で読者が回答ボタン先に押しちゃうから。
今作の評価すべきポイントは他の伊坂作品に比べ「身軽さ」があるところだ。
先が読める作品が多く、むしろ「先を意図的に読ませる」という事をしている輩をぶ ち壊す傑作だ。
大日本人 ★5
「『おもろいもん作ったろ』から『何でおもろいもん作っても見ないんじゃ!』への転機」
最後のオチのコントがやりたかったとか実は前半のシュールな世界観の中での日常が見せ場だとか、見せたかった笑いが何なのかを一つに決める必要はない。ただ自分が面白い笑いを何個かやってみたかったのと、あとは自分の不満を晴らしたかったのだと思う。
①高い金を使わないと実現できない「笑い」をやりたかった。
+
②ちょっと天才(僕)が住みにくい世の中なんですわ。
を混ぜたのではないかと思う。
妙に日米関係とか混ざってるのは「映画である」ということへのエロさが出ただけ。
松本人志も神じゃないから。
①は要するに「シュールな日常」も見せたかったし「クライマックス」も見せたかった。両者の笑いはパターンとしては違うけど、両方やってみたかった。面白いから。映画なら金あるからできるし。それだけだ。そんで②。メッセージを入れるというのはさすがにコントではできないし現状に不満があったから入れたのではないかと思う。だから①は芸人として。②は人間として。
正直②が上な気もする。だって①って別に新鮮じゃなくね?
今回散りばめられてた笑いって「よくある松本人志の笑い」だし。ただ金かけたかそうでないかの違いぐらいで。
今作を作った背景はだから「天才松本」が、世の中で視聴率上「天才松本」扱いされなくなった事への不満なのだ。今までは「おもろいもんつくれば天下取れる」と思ってたところが「おもろいもん作っても天下がわかれやこら!」に変わったのだと思う。
自分の笑いは絶対だから攻める必要はない。
が、それを世間にわかってもらえないという現状への不満を訴えている。
芸人として行き着くとこまでいった松本らしい作品。
重力ピエロ / 伊坂幸太郎 ★5
「構成より家族愛を優先した作品」
「兄は泉水、二つ下の弟は春、優しい父、美しい母。家族には、過去に辛い出来事があった。その記憶を抱えて兄弟が大人になった頃、事件ははじまる。連続放火と、火事を予見する謎のグラフィックアートの出現。そしてそのグラフィックアートと遺伝子のルールの奇妙なリンク。謎解きに乗り出した兄がついに直面する圧倒的な真実とは。溢れ来る未知の感動、小説の奇跡が今ここに」
これで伊坂幸太郎の作品は4作目。一作目から順番に見ているけど、正直物足りなかった。
もちろん伊坂独特の洒落た引用がどんだけ参考文献あるんだってぐらいあちこちで散りばめられていて、その言葉一つ一つのユーモアやウィットに富んでいて面白かった。が、本当にそれだけだった。
「ラッシュライフ」の様に一つ一つの関係ない引用やエピソードが最後一つにすぱっとつながっていくのではないかと期待したのだが、結局そうなる事象は少ないしわざとらしいものばかりだった。謎の美女がトンボのくだりを話した地点でそれは「夏子」だと認識できてしまったし、葛城が強姦の話を例えに持ち出した地点で「春の父親」だと認識できてしまうなど、こっちが推測しやすくできすぎていた印象だ。
でも伊坂だから最後の20ページで何かあると期待した。とんでもないどんでん返しがあると。
が、それはなかった。自分の推測の範疇のまま物語が進みそして終わった。
面白くてついつい読んでしまう文章力はあるからまぁ読めるんだけど読後感が何もない。
ただ、シュールな世界観の一作目、ひたすら伏線を散りばめた二作目、スタイリッシュな三作目、そして家族愛の四作目と、常に作品のポイントは変化しているが、ある程度の面白さは確保できるところは安定力を感じられ、そしてその安定力は
①一貫して「犯罪者」を描くこと
②洒落た引用を常に用いること
③さまざまなエピソードや引用をつなげる構成
④奇人変人を数多く用い、ある程度の矛盾は「そういう人だから」でかたづけられる。
といったものを程度の度合いはあれ常に気をつかっているのだからだと思った。
(④は例えば今回で言えば復讐のためとはいえ春が泉水の会社を燃やすか?と思ってしまうが全く触れられていなかったり)
特に今回は②が多い。
恋愛睡眠のすすめ ★4
ゴールデンウィーク映画から選んでみた。
★★★★4
ご存知ビュークやレディオヘッドのPVで知られるミシェル・ゴンドリー監督の映画。 そんなオタク監督の映画なのに客層がカップル多し!フレンチポップでラブリーな予告映像&題名にやられたんだろう。どんまいだ。なぜならこの映画はいわゆる「客を意図的に混乱させようとしている映画」に分類されるからだ。 主人公が「現実と夢の混同」し、その混同を観客にも起こさせようとする作風。(代表例「アイズ・ワイド・シャット」)
・・・でも、それでホントによかったの?監督ぅ!って思ってしまいます。
今作の本当の目的は絶対「アナログでぐちゃぐちゃな夢の世界」を映像化したかっただけだ。 だったらもっと構成の上手い脚本家にするべきだ。
夢にごまかされて実は脚本がヘタクソだ。
「わざと観客を混乱させてるんだよ!夢だからめちゃくちゃなんだよ!」と反論したくなる人が多いのはわかります。でもそれを踏まえてもそう思えないのだ。感情の変化が唐突なのは理解できる。が、感情の「積み上げ」がいい加減すぎる。
事実、夢想の中を行き来する前の「知り合って間もないとは思えない主人公と社内の人間との関係」や「告白に至るまでの経緯の短さ」がそれをあらわしている。キャラクターが上手く作られてる分余計にそれが感じられる。
ミシェル・ゴンドリーの映画は「映像美で見ろよ!」と言う方はいるかもしれないが、今回の映画はその映像美を落ち着いてみることよりも「内容を理解しようとすること」に集中させられる。映像美を集中して見れません。
年の差カップル、市民権獲得
ドラマ批評のコーナー。
「今春第一話の視聴率が高かったドラマは織田裕二と上野樹里のドラマらしい。」
この話をきいて自分が真っ先に勘違いでイメージしたものが、純愛ブーム第四世代誕生だ。今まで純愛ブームには三つの波がありまして、「愛する人が死ぬ恋愛」「韓国ドラマに代表されるベタな恋愛」「若年層の青臭い恋愛」があります。僕はその上野樹里のドラマも「年の差カップル」という新たな純愛を作ろうとしたのかと思いました。「年の差カップル」は「父親が彼氏と同じ年」とかそういった設定になってしまい、必然的に両親が反対などの恋の障害が生まれるから、それを乗り越えるために純愛が必要となってくると思ったのだ。そう自分は想像してHDDに映してあったそのドラマを見た。
そしたら、全然違いました。
障害はありそうっちゃありそうだけど、それが「年の差」があるからではなかった。上野樹里役の父親と織田裕二がすんなり挨拶。
なぜだ!!・・・ちょっと考えた。そんで気がついた。
年の差カップルは今や当たり前、むしろ良く受け入れられているのだ。
最近妙に年齢差のあるカップルが好印象。市村正親と結婚して成功した篠原涼子はもはや最も売れている女優の一人だし、かつては16歳の妻だった三船美佳も今頃の大ブレイクである。「年の差カップル」は変わったものではなく、むしろ日常的なのだ。
「年の差カップル」は日常的になったのならばその設定だけでは面白くない。
このドラマでは「妻の母親が昔の恋人」というような設定を用いて非日常設定となった。
世の中は徐々に変わっていて、今まで非日常だったものが日常に変わっております。
作り手側はそこをさらに非日常に見せる物を用意しなければならないのですな。
今春のこのドラマはまさにその典型例でした。
