Dr. Joseph-Ignace Guillotin -3ページ目

スクールアタックシンドローム / 舞城王太郎 ★5

彼の小説は徹底的に暴力的な世界観を作り出し、でもそれが現実世界でさも起こりうるようなにとどめながらそこで現実のはっきりとしたテーマを表現する。


彼の作品は「ぶっ飛んだ世界観のわりにテーマが直球で伝わる」とよく言われるけれど、むしろ伝えやすくするために世界観をぶっとばしているのだとも思う。異常な世界なので主人公の頭の中で整理させる事を必ず行い、そしてその際に直球的にテーマを主人公に喋らせるのだ。


「スクールアタック・シンドローム」


では600人殺しが起きている世界の中で息子が書いた友達をノートの中で殺す殺人ノートに悩み


「我が家のトトロ」


では自宅の猫をトトロだと言う娘が何故そう思ったりするのかを悩み


「ソマリア・サッチアスウィートハート」


では一度殺したソマリアが生き返り殺した智春がソマリアと友達になろうとすることに悩む



それぞれがありえない世界での事であるがそれゆえに悩むのは当然だし、読者も悩まざるをえないのでひきこまれる。これが日常的な悩みだったら悩むのが億劫に感じる。


三作の中で三作目が最も人気があるようだ。それは他の世界観の主人公が読者層と若干離れている年齢であるということと、それがゆえにおさまった内容になってしまったところなんではないかとも思う。


個人的には表題の1作目が好きでした。それは「暴力は伝達する」というテーマを「ソマリア~」に比べて安っぽさが少なく伝えられていると思ったので。舞城らしい勢いは圧倒的に三作目にあるんだけどね。ってきっとファン層はそのあたりに多いのだろうけど、ある意味そんな舞城が1作目や2作目もかける事を僕は賞賛したい。

ねじまき鳥クロニクル 全3部/村上春樹 ★7

「失った妻を取り戻す物語」。その中で過去にあった?出来事や妄想、夢を行き来し自分の中で妻を失った原因を探し求める物語。



話があちこちに飛ぶ。その一つ一つに意味なんかないんじゃないかと思いながらもそれ一つ一つが実は主人公にちょっとずつ影響を与えている。何せ人間は突如死ぬのではなくじょじょに何かを失って死んでいくのだから。物事一つ一つに明確な原因があるのならば世の中簡単である。しかし現実はそうではない。


離婚にしても原因としてはっきり「相手の浮気」などが存在しているのかもしれないけれど、それは本当の原因ではないのだ。友達にもいる。彼氏に彼女がいてゴミのように捨てられたり、彼氏がひどい言動を言った事に対する批判ばかりしてその原因を引き起こした自分に対する責任を全く転嫁しない女が。物事に明確な原因などない。徐々に失っていくのだ。



と、小説の中で表現しているもの自体がわかりにくい作りになっているので集中力を欠いたらとてつもなく読みにくい読み物になる。


「失った妻を取り戻す物語」という大前提が存在しなかったらきっと最後まで読めなかったと思う。というか失った妻を取り戻す物語という大前提を作ったのはきっと人間の死生観を見せるためもあるけどこの前提がなければ最後まで読みにくいからなんじゃないかとも思ったりした。

キャッチボールを乱す

自分にはとんでもない癖がある。



相手が求めていないもの、むしろ与えられると困るようなものをぶつける癖だ。

相手の期待を裏切りたいという感覚が強い。


恋愛に関しても自分に対して好意をよせてくる相手がいたら絶対に嫌われようとしたりもしくは冷たくあしらう。

両親との会話なんて常に相手の要望をずらしまくり。


キャッチボールが嫌い。キャッチボールをあえてずらす事で相手が困っている様を見るのが好き。

加え、相手と自分がかみ合わず常に人と違うと実感することで自分の独自性を再確認できるのだ。

また、何で自分がつまんない話をする相手に合わせなきゃいけないのかという気持ちもあるのだと思う。


噛み合うという事ですら相手に支配されるのが嫌いなのだ。

でもこの性格のせいで人生どれだけ損をしているのか計り知れない。



相手とのコミュニケーションの場ではその間逆、常に相手が求めている答えを返してあげるべきで、

独自の意見は作品の中でだけに収めておかなければならないと最近思う。


相手をいかに面白くするかというのは大事だ。

でも無理して答える必要はない。嘘ばかりの返答になってしまう。

無理して言わなくても面白い返答が見つかった時言えばよい。


トニー滝谷 / ★6

「夢想する人たちの現実を切り取った話」


概要(amazonより)


村上春樹原作の同名短編を、市川準監督が映画化。ジャズ・ミュージシャンの息子として生まれ、「トニー」という名を付けられた主人公がイラストレーターとなり、仕事先の編集部員、英子と結ばれる。幸せな結婚生活で唯一の問題は、英子が次々と新しい洋服を買うという依存症だった…。イッセー尾形がトニーを淡々と演じ、英子役の宮沢りえも、言いようのない焦燥感を絶妙に表現する(彼女は妻の“身代わり”となる女性と2役を好演)。
ゆっくりと左方向へ動いていくパン(水平移動のカメラワーク)が心地よい。トニーの幼い頃の生活から、仕事、結婚生活と移りゆく日々が、走馬燈のように画面を流れていく。カメラと被写体の距離感は、市川監督の『病院で死ぬということ』を思い出させる。西島秀俊のナレーション、坂本龍一作曲のピアノ曲など、多くの要素がマッチした映像世界が伝えるのは、孤独であることの哀しさと心地よさの二面性。結局、人間は死ぬまで独りであると納得させられながらも、それはそれで辛いのだという思いが、ふつふつと湧き上がってくる。



小説の映画化だがその中では評判がよいがそれも当然。

ヴィジュアルで見せるところ以外はナレーションを用いているので。

朗読みたいな作品。



見せているのは孤独で、


①構成・・・孤独からの回避を二度試させ、そして二度とも失敗する構成。妻である英子を登場させたり妻にそっくりな女を登場させたりってのこと


②音楽・・・情報が何もないだるい状態でも常に坂本龍一のピアノが流れるのでだるくない。


この二点が特にそれを引き立てているのではないかと思った。



まぁそういう内容なわけですが何か苦手なところもありました。

例えば簡単に女が手に入ったりするところとかやっぱり村上春樹。

物語として綺麗だし現実感はないのは売りだけど、逆に言えばこれがリアルな現実かと言われたらノー。


僕は非日常から現実を見出すのが好きだが、村上春樹はその逆で日常に非現実を見出す。

寓話のように誰にでもある孤独を見せているようでいて、一部の人間にしか味わえない非現実を表現している。

そしてその一部の人間は比較的現実に生きていない。

この作品に惹かれる人は妄想に恋している人が多いはず。

グラストンベリー ★ 9

「映画の世界に入りたい!」とはよく言ったものだが実際入るための手段があったとは。ただし中に入れる映画には三つの条件が必要。


三つの条件

①誇大な妄想を抱けるだけ魅力のある世界である
②その世界に近い世界に自分も行ける可能性がある
③主観的を支配する主人公がいない


そしてこれらを古藤の中で兼ね備えた現在公開中の映画は『グラストンベリー』を置いて他はない。グラストンベリーはご存知フジロックのモデルとなった30年以上も続いている世界最大の音楽フェスティバル。そのドキュメンタリー映画だ。


映画そのものはたいした内容ではない。来場者のプライベートカメラからテレビ局のカメラまで過去のグラストンベリーフェスの映像をごちゃまぜに組み合わせて編集しているただそれだけの内容。でもあっちの世界に行った気分になってしまえばこっちのもの。10日後フジロックに行く自分を重ねたらもはや映画の中の世界は体験できないものではなく体験できるものだと感じて見てしまうし、実際映画の中の世界に入って楽しんだ気分です。(グラストンベリーのが何倍もすさまじいフェスなんだろうけど)


難しい事は考えないで人生楽しまなくては損とばかりに全裸で踊る男女や(全裸で演奏するバンドも!)入場券を持たず塀を乗り越え侵入する者たちも沢山。気がついたら僕は彼らの中に混ざってました。映画館なのに座りながら体揺らして踊ってましたから。というかそれこそがこの映画の楽しみ方なのに何故まわりは踊らないんだと、周囲の観客の神経を疑いました。


サラリーマンには毒です。マイミク「りゅうくん」が映画館で見たらおそらく翌日会社に辞表届けを出すことと思われます。夏フェスに行く人はその直前に見ればどんな舞台よりも映画よりも、そして下手なクラブイベントよりもよっぽど楽しい時間を過ごせること間違いなし!


ライヴ映像も最近の有名どころから昔の知らねー人まで沢山出てるがその全てが「古藤も彼らみたいに特別になりたい」と妬みたくなるようなカッコイイ男と女。


最も秀逸なのはクライマックスで流れるPULPの「COMMON PEOPLE」。ストーンローゼズのキャンセルで急遽トリに起用されたこのバンドの歴史的なライヴ、それまでバンド演奏の歌詞がスーパーで出るたびに「音楽は音で聴くのにいらんわ!」と酒のビンを叩きながらいらついていた自分を根底から覆されるほどに言葉にやられました。いわゆるローマの休日的な女の子が出てくる歌詞なのだけれど、でも何か自分は自分なりに消化してしまったよ。


「普通の人になりたい」という歌詞に。


普通の人になることは一部の特権階級だけではなく一般人にとっても生きる上での最大の憧憬なのであります。正直感極まってしまった。JARVIS COCKER(PULPのフロントマン)フジロックにも来るからそん時「common people」演奏しねーかなー。


ちなみにPULPのこの曲のイギリスでの圧倒的な支持は↓のNMEの歴代インディーアンセムで3位に入る事からもわかると思います。

1.オアシス「Live Forever」
2.ニルヴァーナ「Smells Like Teen Spirit」
3.パルプ「Common People」
4.ザ・スミス「There Is A Light That Never Goes Out」
5.ザ・リバティーンズ「Don't Look Back Into The Sun」
6.ザ・リバティーンズ「Time For Heroes」
7.ザ・スミス「How Soon Is Now?」
8.ザ・ストーン・ローゼズ「I Am The Resurrection」
9.ザ・ストロークス「Last Nite」
10.アークティック・モンキーズ「I Bet You Look Good On The Dancefloor」

日本ではあまり支持されてないけど是非聴きましょう。

ウェクスラー家の選択 / アリス・ウェクスラー ★5

「ハンチントン病について調べるために読みました」


★1ハンチントン病の医学的な病気の症状

ハンチントン病(HD)は、脳内の線条体と呼ばれる部分にある細胞が失われることによって、症状が引き起こされる疾患。通常は中年期(35歳から50歳)の間に発症し、症状は次第に進んでいく。日本では特定疾患として認定されており、その申請を行っている人は645人(平成14年度末)で、日本人には100万人に56人未満という稀な病気です。外国では特に白人(Caucasian)に多く、10万人に4人から10人の割合で存在している。

その症状は大きく三つあり、物事を認識する力(思考・判断・記憶)の喪失、動作をコントロールする力の喪失(不随意運動・飲み込み困難)、感情をコントロールする力の困難(抑鬱・感情の爆発・いらだちなど)が挙げられる。これらの症状の強さや表れ方は個人個人によって全く異なっている。病気の終末期になると食べ物を飲み込めなくなることが大きな問題となり、歩行も会話も難しくなる。しかし、周囲の状況はわかっており、自分の好きなものや嫌いなもの、近しい人と他人の区別もできる。発症してから15年から20年ほどで亡くなることが多い。

また、この病気のもう一つの特徴は、遺伝子によって次世代に伝わっていくこと。いわゆる優性遺伝、片方の親が発病した場合子供に伝わる確率は1/2

日本ハンチントン病ネットワークHPより

http://homepage1.nifty.com/JHDN/index.html

★2ハンチントン病によって引き起こされる医学的側面以外の悲劇

『ウェクスラー家の選択』を参考にした。

『ウェクスラー家の選択』アリス・ウェクスラー 著 武藤香織・額賀淑郎 訳 

の、大まかな構成

起  ウェクスラー家、仲の良い家族の暮らし。

承① じょじょに父親と母親の仲が悪くなり、母親がハンチントン病であるとわかる。

承② ハンチントン病の研究を家族で率先して行う。そしてその変異遺伝子を発見。

転  しかしウェクスラー家の人々は遺伝子診断を受けない。

結  今後治療が保障されるよう医療システムの改革を急いで行うべきである。

ノンフィクションとはいえ、このような構成になっているがゆえの情報の取捨選択は行われていると思われる。(例えば「起」の部分。当然読み物として成立させるためにもあえて幸せな描写ばかりが描かれているのはのちのちのハンチントン病の描写をひきたたせるためであると思う割れる。)それゆえに今回は遺伝病であるがゆえの「精神面での問題」としてより客観的に考えられるものは以下。

①遺伝病であるがゆえ(しかも発症するのが子供が生まれた後)


親が発病したときは必然的に自分自身も発病する可能性が出てくる。


将来的に自分も発病するということを背負って生きることになる。


その事実への想像への苦痛。

②周囲の状況はわかっており、様々な物事の区別もできるという症状ゆえ


発症する時期が曖昧であり、言動のどこまでが病気なのかがわからない。


周りの人間の対応の難しさ。


★3現状を改善するために見つけられた遺伝子診断

遺伝子診断(1993年発見!!DNA検査の直接的な診断法)

良い面

・確率の低いと診断された人は精神的に安心を得られる。

・ハンチントン病の子供の出産を抑制できる。(男性よりも女性の方が診断する人数が多く、多いところでは3分の2が女性)子供にまで迷惑をかける必要がなくなる。

・適切な人生計画を立てられる。

・後に治療方法が見つかるかもしれない。

悪い面

・遺伝子診断を行わない人間に対するマスコミのバッシング。

タイム誌が「無知でいたい」と表現したり、臆病であるなどと表現されたり。

・遺伝子診断も絶対的な結論は出す事ができず、誤診もありうる。

遺伝子診断は確率が高い低いという指標で図ることとなる。誤診であった時は大問題。

・確率が高いと言われた人間の精神的問題。

発病時期が曖昧なので、人生計画を立てても曖昧。

保険問題

入っていた保険を解約しなければならないか、生まれてくる子供が保険に入れるかなど。

・優性思想のようになってしまう。

子供の選別につながる。

4『ウェクスラー家の選択』の結論

遺伝子診断を肯定するためさ様々な理由は同時にマイナス面を持っている。しかしその中で「いづれその病気の治療方法が発見される可能性があり、その前段階に位置しているから」というものは唯一マイナス側面を持っていないものとして取り上げ、これがあるゆえに遺伝子診断を肯定している。

私も読みながらそれに概ね同意した。

が、本当にそれがより肯定すべき答えなのかは疑問である。

治療方法が発見される可能性があるということを知るというのは逆に発見できない現状に対する不満がつのることになりかねない。

参考

日本ハンチントン病ネットワークHP

http://homepage1.nifty.com/JHDN/index.html

海の沈黙 / ヴェルコール ★6

「海と沈黙」において沈黙という表現が多用されているが、その意図ははたして何か。


まずそれを考える上で最初に物語で見せようとしているものは何かを考える必要がある。これは私の考えであるがこの物語を書くことでヴェルコールは「戦争」に対して抵抗した。支配への抵抗とそれすら一筋縄ではいかないという絶望感を読者に見せたかったのではないかと思われる。そしてそれをより読者に印象的に見せるために沈黙を使ったのではないかと思われる。物語のラスト見せるそういったものを印象づけるために沈黙を多用したのではないかと思われる。

「沈黙」は二つの国が愛し合えば素晴らしい国ができると主張していたエブレナクの理想がドイツによって失望させられるというラストの展開をより印象づけるために使用したのではないかと思われる。手法としてラストを印象づけるためには読者の推理する展開を裏切る必要がある。この作品の読者は物語を読み進めるにつれて、「エブレナクが信頼を得る事で姪と私の沈黙を崩す」という展開を期待するであろう。そして実際に物語では徐々に姪と私が沈黙を崩しかけていくので読者は常にその沈黙を見守ることになる。これは「海の底の沈黙」状態の反対は「認め合い沈黙が崩れる」という状態である読者が推理することによって生じる。ヴェルコールは「沈黙」を見せ、誘導的に沈黙が崩れる瞬間を読者に期待させるのである。そのように誘導することで読者にラストで予期せぬ展開を与えるのである。そして読者は「海の沈黙」が崩れる瞬間を期待したがまさか「別の形の一方が他方を押し付ける沈黙」という「海の沈黙より絶望的な沈黙」が生まれるという予期せぬ展開に衝撃を受けるのである。

また、沈黙という手法は直接的ではないゆえにわざとらしくない。じょじょに沈黙が崩れようとしていく展開はその点で非常に読者の想像力を誘いやすい。例えば「私」や「姪」にあからさまに台詞で「エブレナクは信頼できるんじゃないか」と言わせては沈黙が崩れる瞬間の重みが薄まってしまうし、それゆえに読者が沈黙が崩れる以外の展開を推理してしまいやすくなる。

このように「沈黙」はラストでヴェルコールが見せる絶望感を表現するために存在しているのであると私は思う。「視線」も「美女と野獣」も同様である。あくまでこの物語で使われている様々な演出は目的を達成するための手段なのである。



しかし、ラストが本当に文学として上手く成立しているのかときかれたら疑問が生じる。それは「沈黙」「視線」「美女と野獣」を用いる事で観客に「ラストは分かり合える展開だ」と予想させながら見せる事には成功しているが、その展開を裏切るために用意された展開が強引なのだ。わかりやすく言えば起承転結で言えば転の部分、すなわちエブレナクが友人の発言により「フランスとドイツの結婚はできない」と語る場面の展開に至るための伏線をはっていないためである。全く話の中に登場してこなかった友人がフランスを牝犬のように扱った事でエブレナクは絶望しても、読者側からすればそれまでにその友人にエブレナクがいかに信頼を置いていたかを感じ取れるような伏線が出てこないので、突然エブレナクが考え方を変えたようにしか見えないのである。また、同じ場面でエブレナクが語るドイツの野蛮さという側面においても同様に強引である。もちろんフランスとの絆が生まれると思わせる展開を作るために用意した「野獣」「バッハ」「若い娘」などにドイツの野蛮さを見せる伏線が盛り込まれてはいる。しかしそれら自体がドイツの野蛮さを表現するには物足りないのである。もっとも、戦時下の人間であればドイツの野蛮さなどといったものは日常の中でバックボーンとして植えつけられているのでこの作品のように唐突に現われても共感できるかもしれないが、戦争を体験しておらず読み進めて行った自分としては明らかに「展開が強引な文学」にしか見えなくなってしまうのだ。

「戦争文学は戦時中でないと成立しない」その意味がようやくわかった。戦争というバックボーンを前提に物語を構成させるゆえ、体験していない人間には強引に感じられるのだ。ドイツの野蛮さや、誰も彼もがそれを信奉している現の伏線を文学の中で記述していないのだ。それゆえその戦争を実際に体験していなければ突如現われるラストの展開についていけないのである。とはいえ、この作品は戦時中に訴えるような形で作られた文学であり、実際戦時中であればドイツの野蛮さどの伏線を物語の中ではらずに唐突に見せても共感できるので、当時文学として評判を得た事には納得できるし、彼がこの作品を作って訴えた事は当時の人には共感できたもの納得できる。

リンダリンダリンダ / ★7

「終わってしまった青春を懐かしむ」


物語の道筋は「女子高生が学園祭でブルーハーツを演奏して成功するまでの話」なのだが、やはり見せたいものは「意味なんてなくていい」、仲間と時間を共有して思い出を作り上げる時間の描写だ。


それがここまであからさまに表現できる作品もめずらしい。

いわゆる青春モノだとありきたりな筋に飽きないようにあえて大きな波乱を作り上げたりするものだが、そんな事特に起こさない。物語がトントン拍子に進んでそして普通に終わる。だが、それこそがリアルな青春なのだろう。


「観客の過去と同一視させる」


それを重視するためには「筋」よりも「共感できるシーン」を作りまくることなんだなぁ。


懐かしい青春時代。今思い返せば文化祭も体育祭のダンスも修学旅行も普通の学校での日常も、何が残ったって何も残ってないし何の意味もないけど何ものにも変えられない時間だったのだなぁ。






そして関係ないが後半で歌う湯川潮音がすさまじい。

グラスホッパー / 伊坂幸太郎 ★5

「伊坂幸太郎、予習不足」


三人の主人公が絡まるというより、三人の主人公による鬼ごっこ。

蝉が鯨に追いつき、鯨が鈴木に追いつく。


結論から言えば伊坂作品の中では面白くなかった。



①世界観の構築が圧倒的に甘い。


序盤の殺人シーン全般、伊坂っぽいと言えば伊坂っぽいのだけれどそれでごまかしてしまっている。

面白くすればリアリティがなくても成立する事を心得ているゆえに憎たらしい。

もっと冒険してほしかった。



②登場人物の世界観の差異が薄い。


同じ殺し屋業界ということもあるが、「蝉」と「鯨」の差が少なくて情報がごっちゃになる。

キャラクターだけでなく彼らを取り巻く人間関係も曖昧。

それは最終的な伏線にさほど影響を与えないんだけど、読み続けるの事が億劫になる。



③物語が進んでいない。伏線バレバレ。


さらに、その二人は目的に向かって走っているわけではなく、むしろ「鈴木」に向かって走っているとしか思えない地点で、「鈴木」に出会うまでイライラ。伊坂作品の中では郡を抜いて読みにくいのはおそらく鈴木しかまともに前に進んでいないからだ。



という感じ。『劇団』による騙しなどは相変わらず面白いが、それ以外は予測できる伏線。

正直これが直木賞候補になったというのはちょっと・・・。

BLACK JACK /手塚治虫 ★10

全巻読破。


この作品は名作なのか。古い漫画であるがゆえの課題評価ではないのか。



確かに昔の作品である事はこの作品の評価をより高める要因として存在している。

短編として一話一話を成立させるための明らかな展開の飛躍は存在しているのだ。


しかしそういった飛躍を忘れさせられるのは、彼の作品には「寓話性」と「キャラクター性」と「信憑性」を併せ持っているからだろう。


順番は逆だがまず「信憑性」。彼の医学専門的な医学知識はそれだけで読者にとっての非日常をいとも簡単に受けいらさせる。

彼は医学知識によって世界を作ることなく、いくらでも読者にとって新鮮なアイデアを提示できるのだ。



次に「キャラクター性」。常にどんな病人に対しても数千万のお金をふんだくる無免許医者は、「勧善懲悪」を提示し人によってころころ態度を変える人間とは違って誠実だ。毎回善人に平気で大金を要求する彼の行動は一見不誠実だが、善悪関わらず患者としては平等に扱っていて誠実だ。あくまでお金の名の下に誰もが平等に扱われる。


そして何よりピノ子。おそらく漫画史史上最高のキャラクターといっても過言ではない。

とにかくやばいのだ。

どうやったらこういうキャラクターが書けるようになるのだろうか・・・。

これは研究する価値がある。


そしてそういった要素を全て一つの「寓話」を見せるために使っている。

これこそがストーリー漫画の代表作だ。

書き足りないが、これはかなりの手本となる作品。