それを何かに例えるならば、夏の甲子園の決勝戦。
何かを求めているのではない。誰かに頼まれたからでもない。
ただ、そうしたいという想いだけが、自分の体を突き動かしていく。
自分の中から溢れ出る感情だけがその源で、
その力はどこに向かうものでもなく、爆発のように360゜に発散していく。
いわゆる「商業モノ」ばかり見ている私にはある種の衝撃でした。
ここにあるのは、長い時間忘れていた見えなくなっていたもの、なのかもしれません。
すみません、また48の話じゃないです。(笑)
興味ない方はここでご移動をお願いします。
すみませんです。
9月22日土曜。
芸能学校の文化祭に行って女子高生を見てきました。
(身もフタもない書き方ですが)
先日のミュージカルの記事で「すげぇ良かった」とした子が、学校でアイドルフェスやります出るから来てね的なツイートをしていたので行って見てきました。
会場は「ワタナベエンターテイメントカレッジ中目黒館3F」と書かれていました。
どんなとこなのかな?とストリートビューで見てみたら、完全に学校の校舎ビルっぽかったので「こりゃ部外者がフラッと入れる場所じゃないな」と思ってツイートにあるメールアドレスに連絡を入れたら、大人の方の文体で「是非お気軽にお越し下さい」とのことでした。
文化祭、という表現が正しいかどうか分からないのですが、イベント名は「アイドルフェス」ですけれど、それはやっぱり基本的に出演者も自分たちで色々と裏方もやる文化祭とか発表会の類のように思います。
行ったら一階の受付の女子に「誰からの招待でしょうか?」って聞かれまして(笑)、
「いえそうではなくて、××さんにメールでご連絡して・・・」と経緯説明したら分かってくれて、「一応、」と言われて免許証の提示。
そりゃそうだよねぇ、学校だものねぇ、見るからに不審なオッサンはノーチェックでは入れられないよねぇ。(笑)
無事に入館審査(?)を通って、首から『保護者』のパスを下げて(笑)エレベーターで3Fへ。
なんで『一般入場』ってカテゴリーのパスないの? これってやっぱり一般がお気軽に入場できるイベントとは違うんじゃないの?(笑) 自分は先にメールで連絡してたから受付で説明できたけど、それがなかったら受付で「あ、すみませんでした」って帰ったかもよ?
まあ「保護者」のカテゴライズは自分的に「まぁそんな感じかもね」と納得できるものだったのでオッケーですけれど。
3Fでエレベーターのドアが開いたら、いきなり通路に衣装着た子たちがワサワサといて、すげえ学校のイベントっぽい。(笑)
うおお、この雰囲気ものすげぇ久しぶりだわ。
そうだよね、高校のイベントってこんな感じなんだよね。
っていや、ちょっとすみませんけど通してよ、てか、会場の入り口どこよ?
すげぇ肩身の狭い思いをしつつ無事に入口を発見し、入ってみると、
これまたいきなり立ち見の人垣が!
うえっ、マジか!!
秋葉原劇場で言ったら18巡入場くらいのイメージ。まだなんとか立ち見の後ろからステージ見えますけど、的な。
うへえ、こんなに人が入ってるのか、予想外! いかん、ナメてた・・・。
会場の広さは、ちょうど学校の教室くらいな感じ。ちょっと大きめのライブハウスがこんな感じですかね。
と、しばらく人垣の後ろで見ていましたが、
自分に余裕が出てきて会場内を見渡してみると、なんだかこの人垣の前には少し空きがあって、特に上手の壁寄りには人がいない感じが?
あれ?もしかしてこの人垣は学校の関係者が後ろで立って見てるだけ?
この人たちの前に行っちゃってもいいのかしら?
上手の方から人垣を抜けてみると、あら?なんだ、もう少し前で見れるじゃないの。
椅子はステージ前3列くらいしかなくて、あとは手すりのあるスタンディングゾーンです。
ステージに正対するそれらの観覧ゾーンはそれなりに人がいるので、私は上手の壁際の人がいないところで立ち見。
横の方から見るのは大箱のコンサートで慣れてますし(涙)、ライブ中はスタンディングでペンライト振る、ってのはいつものことですから、だったら人がいなくて広い場所の方がいいです。(笑)
さて、ここからはちょっと真剣な話を含む観覧の感想です。
お目当ての「Mini」という3人ユニットはイベントのトリで、
その前に2人ユニットがいて、さらにその前の5人ユニットのステージから見始めたのですが、
あぁ~、う~ん・・・
そっか、そうだよなぁ。
まぁ高校生が自分たちでやってるイベントだからなぁ、という感じはすごく感じましたね。
もちろん、キッチリした仕切りやタイミングバッチリの演出を要求するわけじゃないですけど、まぁグダグダ感は否めないです。AKBのライブで見るグダグダな感じとはレベルが違う感じの。(笑)
ですが、先に言ってしまいますがこの場合のこの感覚は、私が間違ってるんです。
オヤジは常に「ビジネス」に浸かっているので、なんだかすぐに「意味」とか「目的」とか、そういうことを言い始めてしまったりして、「完成度」という単語を使おうとしがちです。
自分が仕事でやっていることも「ビジネス」ですし、趣味で見てるAKBだって完全に「ビジネス」の世界。
ビジネスであればクオリティは当然ながら重要な要素なので、すぐにそこに目が行ってしまいます。
だからグダグダのステージングとかMCとかを見たりするとすぐに「あのさぁ」とか面倒臭い、小ウルセーこと思っちゃったりするんですけれども、
でも、幸運なことに、
私は彼女たちを見ていてハッと気付いたのです。
それは、「気付いた」というよりも、
「気付かされた」なのか、もしくは「教えられた」なのかもしれません。
今、このステージに立つこの子たちは、客席で見ている私たちのためにステージに立っているわけではないんだ、ということを。
自分たちがここに立ちたいから立っている。
自分たちがこの姿を見せたいから立っている。
そう。
私は「観客」などというものではなかったのです。
私の大嫌いな「お客様は神様」論。このステージはそれとは全く無縁。
そういったビジネス論は今のこの場所では異次元と言えるほどに全く通用しない。
私も「お客様は神様」という考え方は大嫌いです。
だけどそれでも「ビジネス」の考え方は自分の根底に根付いてしまっているから、「ステージ上で客に何を見せようとしているのか。客にそれを見せるために演者は何をするのか。」という考え方をしてしまいます。
だから私は、いつも逆に「上手くなくてもいいんだ。その人が本当に自分の見せたいものをそこで全力を尽くしてやってみせることに意味があり、その全力を尽くす姿が見る人の心を打つんだ」と言い続けます。
ステージに立って、客席に何を見せるのか? という「意味」の部分。
だが、このステージは全く違う。
「自分の見せたいものに全力を尽くす」というものはプロセスではない。
このステージの目的そのものだ。
歌いたいから歌う。
踊りたいから踊る。
やりたいからやる。
「そのために」という二次的な要素のないプリミティブな感情。
動物としての本能に同位の衝動。
「好きだから」!
率直に言えば、
この日のステージに上がったそれぞれのユニットの間でも、そして同じユニットの中でも、ステージ上での個々の力の差はあると思います。
でもその差は彼女の「好きだ」という気持ちの大きさの差を示しているのではないです。
踊れている子が、歌えている子が、踊れない歌えない子よりも「好きだ」という気持ちが強いとは限らない。
それが上手かったかどうかじゃなく、どれだけ出し切れたのか。
そのことで彼女にとっての、このステージの価値が決まる。
そこにある、このステージの「意味」。
それは彼女が「やり切った。もうこれ以上は無理。」と本当に心の底から言えるかどうか、だ。
誰かがどう評価するのか?ではない。
自分がどれだけ自分の核となるものから真っ白になれたか、なんだ。
それを客席に向かって問いかけるのではなく、自分の中にその答えを問う。
このステージはそのためにあって、
客席にいる僕たちは彼女の内側へと向かう重力爆発を外側から見ている。
つまり、客席にいる者は夜空を見上げて輝く星を見るのと同じ。
川べりに咲く桜の花を見るのと同じ。
その星は、人に見せるために輝いているのではありません。
桜も、人に見せるために花を咲かせているのではありません。
だけど、人はその星の輝きを見て、その風に舞う桜吹雪を見て、
美しいと感じる。
このステージでは、彼女たちはそうやって輝いて、
僕たちは、その輝きをただただ見ていた。
芸能学校の彼女たちがこれからもステージに立ち続けることを選択するならば、
きっと、
彼女たちはしばらくするとステージに立つ意味を考えるようになる。
もしかするとそれを教えられているのかもしれない。
「客席」というものの意味を考えるようになる。
それは、ステージに立つ上ではとても大切な、必要なこと。
でも、この日の彼女たちはそういった「自分以外のもの」を必要としない純粋で透明な姿でステージに立っていた。
この日に見た彼女たちは、
誰かのためではない「本当の彼女たち」の姿だったのだろうと思います。
商業ステージを見続けていると、プロのアイドルに接していると、この「根源的なもの」を見失いがちです。
アイドルグループのメンバーが常に口にする「ファンの笑顔のために」の言葉に洗脳され、いつしか僕らはファンから「お客様」に成り下がってしまった。
笑顔を見せてもらうことを当たり前と感じるようになり、そのパフォーマンスに、さらにはその人間性にまで注文を付けるようになってしまう。
その笑顔を見せて踊り歌う人を、「アイドル」という「ひと」とは違うものとして認識し始める。
この日のステージで歌い踊る彼女たちは、そういう意味でのアイドルではなかった。
ステージ下にいる僕たちを「お客様」として見ない。
彼女たちは、僕たちを自分たちと同じ「ひと」として見て、接する。
だから僕たちも彼女たちを「ひと」として見ることができて、
そのお互いの立ち位置に上下はなく、足を着く場所はお互いにフラットだ。
この関係性の清々しさ。
商業ステージにはない、プロのアイドルにはない、
客席に媚びない、客席を持ち上げない、
ただの「やる側」と「見る側」というだけの関係性。
「やりたいからやる」「見たいから見る」。
だから、彼女はやり切るんだ。
だから私は、そんな彼女たちをずっと見ていられたのだと思います。
そして、
「46はよく分からない、48しか知らない」という生粋の48ファンである私をこの日のこのステージへと連れてきてしまった、
ユニット「Mini」のメンバーのひとり、白鳥眞保。
あのときには、誰だか知らず、分からなかった。
今日は、「白鳥眞保」という人だ、という認識を持って彼女に向かう。
「技術的な問題じゃない。上手い下手ではない」とは言っても、その技術力に「想い」が加わった時には、それは表現力として加速し、見る者に与える印象度を大きく変えていきます。
加えて、先日の舞台では聞くことのできなかったその声。
あの舞台を見た時に感じた「この表情が出せるなら、セリフも言えるに違いない」という印象そのままに、細くて小さい身体から想像されるものとは異なるパワフルな声をメロディーに乗せてみせた。
AKB48からその隣に並べるメンバーを選ぶなら、チーム8横山結衣。
多くのAKBファンからのブーイングが聞こえそうですが、お世辞を言っているのではありません。
私もAKBファンとして、比較対象に横山の名を出すことに躊躇がないわけではありません。
横山と比べるということは、AKB48のトップのパフォーマーと比較する、ということだからです。
ですが、この子を見て本当に思います。
こういう子が、いるんだな。 って。
君は、どこへ行くのだろう。
曲中で、他のメンバーのソロパートになり、
止まった姿勢をキープしたまま、顔を伏せて上半身が揺れるほどの荒い呼吸。
タイミングが来てフリーズを解いて動き出せば、
そこには見る者の心を離さない笑顔と、指先を反らして広げて回す手のひら。
この子は、いまここで何をしているのだろう。
その笑顔で響かせる声は、何を伝えようとしているのだろう。
客席に向けた視線は、その目に視線の先の何を写しているのだろう。
この子の中にある光は、何色のどんな光でこの身体を動かしているのだろう。
それを知ろうとすることは、
その星はなぜ輝いているのだろう。
その花はなぜ咲いているのだろう。
そう問いかけるのと同じくらいに、答えのないものなのでしょう。
君は、どこへ行くのだろう。
君にとって、「アイドル」とは何なのだろう。
彼女はその指先がステージに触れるほどに下げて回した腕を振り上げてから両足をステップで入れ替える。
君はなぜ踊る。
ひねった手のひらを胸からまっすぐに伸ばして首をぐるり回す。
君はなぜ歌う。
縮めた腕を胸から肩に、肘を開いて伏せた顔を客席に向ける。
君は、なぜ笑う。
君は、アイドルに何を求めるのか。
そう問いかけてみたくなるほどに、
彼女は何も必要としないかのように踊り、歌い、
私の心をつかんで離さないままに笑う。
商業アイドルとは全く異なるその姿に、
その時間私はひたすらに心奪われ、
私は、星を見るように、花を見るように、
ただただ、踊る彼女を見たのでした。
彼女は好きだから、そのステージに立っていた。
私は好きだから、ステージのその彼女を見ていた。
忘れていたような、本当に必要なもの、でした。
記念撮影をする、というときに、
学校の関係者と思われる方が観覧ゾーンから抜けてすこし人数が減りました。
なので目の前のスタンディングゾーンに入らせてもらってカメラに向かいました。
会場を出るときに渡されたアンケートを一階の受付で書かせてもらい、お借りしたパスと一緒に係りの方にお渡しすると、
「"面談"をされるならパスはそのまま・・・」と案内して頂きましたが、「いえ、それは結構です」と頭を下げてビルを出ました。
直接、聞いてみたいこと、伝えてみたいこと、はたくさんあります。
でも、空で瞬く星や風に揺れる花に言葉をかけたとしても、それはあまり意味のないことでしょう。
だから今、ここで君に届くように言葉にします。
素敵なステージでした。
とても素敵な姿でした。
あなたを知ることができて、
あなたを見ることができて、
本当によかったと思います。
君は、どこへ行くのだろう。
いつまでも、君がその笑顔を見せてくれますように。