1972年 社有車マツダ・ファミリアバン
セールスマンが乗るクルマもいろいろでしたが販売会社トップによってご贔屓のメーカーがあり岐阜はほとんど三菱自動車でしたがなぜか数台マツダ車もありました。ファミリアは1980年に登場した赤いファミリアが一世を風靡しましたが、1972年のバンは一般には受けなかったようです。社有車はいろいろな人が乗るのでそのせいもありあまり好印象がなかったのでしょう。特に気になったのがチョークレバー、今の人はわからないでしょうが昔の車にはチョークが付いており寒い時期にはチョークを引かないとエンジンがすんなりかからなかったのです。チョークを引くときにも気をつけなければならなくてアクセルを煽りすぎるとプラグが被ってしまいうまくいかないことが多々あります。昔の車はコンピューターもついていないのでメカも理解してうまく付き合わないと好調に動いてくれません。ボンネットを開けてエンジンルームの点検もよくやりましたがコンピュータ制御が進んだ今の車はほとんどブラックボックスで、ボンネットを開けることもしなくなりさみしくなりました。
最初の社有車は配達用のミニエースバン
会社で始めて乗ったのは配達用の「トヨタミニエースバン」、ネットの情報には軽と書いてあるものもありますがパブリカのエンジンなので800CCの空冷エンジンのバンです。3585ミリの全長は今の軽より185ミリ長いですが非力なエンジンと相まって荷物を満載するとトロトロ走るのでみんなに抜かされます。この車で岐阜市内を走り回り柳ヶ瀬のアーケード街も許可証を取って走ります。昔はクラーもついていないので夏の配達は地獄でした。デパートに配達に行くと美容部員さんが暑いおしぼりをだしてくれるので生き返ったようになります。昼休憩は長良川の河原で涼むのがルーティンになっていました。昔は配達時に1品づつ検品するので荷物の多い店やデパートは大変でしたがそうやって商品を覚えるのも仕事の内。市内配達は新入社員が交代で担当するのでまだセールスに回れない時は配達が楽しみでした。





