1972年 社会人1年生岐阜販売に赴任
大学生まで東京ぐらしだったので岐阜は初めての生活、食事は寮生活なので不便なく暮らしにはすぐ慣れました。ただ岐阜の言葉には驚くことばかり、若い女子に「たわけ」と言われたり自転車は「ケッタ」「ケッタマシーン」、机を動かす時は「ツル」、ゴミは「ホカス」熱々は「ちんちん」硬いは「カンカン」両替は「コワス」水っぽいのは「シャビシャビ」隙間があるのは「スカスカ」など繰り返す言葉が多いですね。他にも尖ってるのは「トキントキン」少しづつは「チョットチョット」などもあり慣れてくると思わず使ってしまいます。私の奥さんは岐阜の人なのでお米を研ぐのも「米をカス」と言います。名古屋弁に近いのですが全く一緒でもなく関西弁とも違う言葉ですね。飛騨地方と美濃地方でも違うので面白いものです。私が標準語で話すと怒っているように聞こえるらしいので話し方には特に気をつけたものです。
1972年 社会人1年生
1972年4月社会人一年生になりました。団塊の世代なので同期は150人くらいいたと思いますが全員男でした。全員が採用は本社採用で各地の販売会社に配属されます。新入社員は1週間伊豆の研修所で入社前教育を受けます。山の上の研修所で缶詰生活でしたが全国から集まった同期と一緒に話すのは新鮮で楽しい時間でした。私の配属は岐阜販社、もう一人愛知県出身の同期がいたので二人で男子寮に入りました。希望と不安でなかなか寝付かれない日が続きましたがすぐに慣れるもんですね。新入社員教育の時は男ばかりでしたが岐阜では高卒の同期入社の女子が100人近くいたのでびっくりしました。入社のときに管理課長から「女と金に気をつけるよう」と念を押されたのもよくわかりました。大学まで女性アレルギーだと思っていましたが、いざ身近に女性ばかりになるといつの間にかどこかに吹っ飛んでいました。岐阜での生活は7年続いたのでおいおい書いて行きたいと思います。



