昭和生まれのチャレンジ日記 -13ページ目

1972年 社会人1年生

1972年4月社会人一年生になりました。団塊の世代なので同期は150人くらいいたと思いますが全員男でした。全員が採用は本社採用で各地の販売会社に配属されます。新入社員は1週間伊豆の研修所で入社前教育を受けます。山の上の研修所で缶詰生活でしたが全国から集まった同期と一緒に話すのは新鮮で楽しい時間でした。私の配属は岐阜販社、もう一人愛知県出身の同期がいたので二人で男子寮に入りました。希望と不安でなかなか寝付かれない日が続きましたがすぐに慣れるもんですね。新入社員教育の時は男ばかりでしたが岐阜では高卒の同期入社の女子が100人近くいたのでびっくりしました。入社のときに管理課長から「女と金に気をつけるよう」と念を押されたのもよくわかりました。大学まで女性アレルギーだと思っていましたが、いざ身近に女性ばかりになるといつの間にかどこかに吹っ飛んでいました。岐阜での生活は7年続いたのでおいおい書いて行きたいと思います。

 

 

 

1972年 日の丸飛行隊

日本で初めての冬季オリンピック1972年札幌オリンピックはフィギュアスケートのジャネット・リンやアルペンのナディヒなど女性アスリートが大人気になりました。日本選手も頑張りましたがメダルはスキージャンプ70m級の金銀銅の3つに終わりましたがジャンプ陣の活躍は「日の丸飛行隊」と呼ばれ日本中を熱狂させました。トワ・エ・モアの歌った「虹と雪のバラード」も大ヒットして日本のウインタースポーツブームはここから始まったと言ってもいいでしょう。

 

1972年あさま山荘事件

1972年最大の出来事は「あさま山荘事件」でしょう。連合赤軍があさま山荘に立てこもり警察に対し激しい銃撃をして2名の殉職者24名の負傷者を出すという大事件で連日テレビで中継されました。私もテレビに釘付けになり毎日ハラハラしながら見ていました。真岡銃砲店襲撃事件で奪った銃が使われ大量の銃弾も奪っていたので事件は長期化し解決には10日間を要しました。警察は人質の安全を図るため慎重にも慎重な姿勢でいましたが最後は強行突入で班員全員の逮捕、人質救出を果たしました。当時の責任者佐々淳行や後藤田正晴は本当に骨のある人物で終始毅然としていましたね。