1970年代初めの就職活動
1970年代は3年生のうちに志望を決めて、4年生になってすぐ学校の推薦をもらい入社試験を受ける。早い人達は6月には内定をもらうのでスピード勝負、9月になって内定をもらっていない人は激しく焦ります。自分も1社の推薦をもらい6月には内定していました。入社試験は今ならスーツでしょうが私は大学の学ランで臨みました。他にも学生服姿の受験者はたくさんいたと思います。
単位は3年までに殆ど取り卒論もなくゼミだけ受けて合格を貰えばいいので内定後は時間も気持ちもゆとりがあり残りの大学生活を楽しむだけの夢のような日々でした。当時は学校推薦を貰えば余程へましなければほぼ内定が取れる状況でした。学生課が優秀なのか殆どの学生は内定をもらっていました。今とは比べようもないですね。
就職が決まればゼミの旅行や合宿の費用、卒業旅行の費用を稼ぐためアルバイトは集中的にやりました。勝手知ったる日本橋の百貨店で夏休みはほとんど毎日アルバイト、デパートガールのお姉さんと楽しくお仕事できました。そのお姉さんたちが退社するときは従業員通用口の前に出待ちの彼氏やナンパを仕掛ける男たちで結構混雑、でもお姉さんたちはあしらい慣れていて風のようにいなくなります。百貨店のバイトバイトで女性アレルギーもなくなり良い経験をさせてもらいました。
1970年 三島由紀夫割腹自殺
70年安保闘争が終わりかけていた11月25日、市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部で益田総監を拘束して隊員と激しく切り合い、負傷者を多数出しながらバルコニーで演説し自衛隊員に決起を呼びかけた。だが三島の檄に応える者はなくその後三島は割腹自殺し楯の会の隊員森田必勝が介錯した。三島の首の映像は新聞や週刊誌にも載り世界中に大きな衝撃を与えた。1969年東大全共闘千人との討論会に単身登場した三島は万が一辱めを受けるようなら自刃する覚悟で短刀を忍ばせていた。日本の行く末を真剣に考え危機感を持って行動した三島はあのときたしかに侍であった。三島が憂いた日本は当時から更に悪辣な輩が支配する国になってしまった。世直しすらトランプ頼みの中若き改革者は出てくるのか。
「益荒男がたばさむ太刀の鞘鳴りに幾とせ耐えて今日の初霜」




