昭和生まれのチャレンジ日記 -6ページ目

あのとき岐阜は男性天国

1972年頃の岐阜、会社は女性だらけで若い男性はとても大事にされていました。デートやお付き合いのお相手はいくらでも見つかります。とにかくアプローチも多いが社内恋愛は即バレます。カップル誕生しそうになるとすぐ邪魔が入るのでなかなか先に進めません。でも新美から熟女までいろいろな女性とお話できるので贅沢な悩みでした。当時は接待費、交際費の規制もなく社用で飲み会が頻繁に開かれるので自然と女性ともお話できます。男性社員は転勤必須なので適齢期までにパートナーを見つけるかどうかみんな真剣でした。遊びと割り切るのか真剣交際に進むのか悩みが多い時期でしたね。結婚を一切考えない人は駅裏の金津園で手早くお楽しみ、あとは毎日飲み歩くなど好きなように生きていました。ある意味皆正直に生きていたので今のように盗撮、ストーカー、セクハラがはびこることもなかったように思います。そもそもその言葉自体がなかったのでいい時代でした。

 

1972年の思い出 霧ヶ峰でキャンプ

1972年同僚の男子二人と美容部員3人で霧ヶ峰キャンプ場に出かけました。中央線とバスを乗り継いで行ったと思いますが今と違ってごっついテント、旧式の飯盒でとてもおしゃれなキャンプとは言えませんが高原の涼しさ、高山植物、広がる絶景でとても素晴らしかった思い出です。霧ヶ峰はグライダー発祥の地ということでその時も何機か飛んでいました。高原に舞うグライダーも絶景の一つでしたね。女性とキャンプに行ったのも初めてだったので夜は全く眠れませんでした。ただ可愛い美容部員さんと手を繋いで夜つを過ごしたのが純情な青春時代の思い出でした。

 

化粧品会社といえばキャンペーン

化粧品会社のキャンペーンといえばCMソングとともに一世を風靡しました。1972年からは冬のキャンペーンも始まり年4回のキャンペーン・プロモーションが定着して行きます。入社した年は「talk&silenceトークアンドサイレンス(くちびるのすべて)」「裸足の夏」「ほほ、ほんのり染めて」「おはようの肌」となっていますがはっきり言って印象に残ったのはキャンペンガールの「ジャネット八田」だけCMソングもまだヒットとまでは行きませんでした。自分史も1972年から進みませんが気長に続けたいものです。