2021と望海風斗について  -役名は男役- | 百花繚乱

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駆け出し東宝組。宙から花のように降る雪多めに鑑賞。

 (少々個人的なことです)

 

■2021について

ムラの千秋楽が終わり、タカスペが終わると、1年間で1番寂しい10日間を迎えます。

西か東で公演がやっていて、毎日ジェンヌさんがお稽古場に出入りしてることがどこかで心の支えになっているので、「はい、公式的に、今年、終わりです!」 という時期には、なんだかとてもよるべない気持ちになる。

 

2021年は、望海さんの退団、それにつきました。

COVID19禍中、自分なりのお見送りをしたと納得しているけれど、

どこか薄皮一枚届かない感覚は残ってしまった。

 

沢山の大好きなトップさんの退団を見てきたけれど、望海さんの退団は全く違って、虚脱状態でした。

大好きな雪組、咲ちゃん達の新生雪組を心から祝う気持ちと、

望海さんがいない、真彩ちゃんがいない、凪様のいないあの望海ギラの雪組はもうないと愕然とする思いがあって、

舞台を見るのが自分にはしんどかったのです。

 

まだ感染のリスクがある状態では劇場に行くことはかなわず、

配信はもちろん見ていたけれど、舞台は生観劇優先派なので、

観劇記録も止まってしまいました。

 

鍛え抜かれた男役・娘役のたたずまいが大好きなので、

凪様をはじめ、あきらやるなさんや、あゆみさんきゃのんさんやら、

ベテラン勢が退団していき、どんどん世代交代が進んでいくのも、

宝塚の諸行無常とわかっていても、もののあはれ感に吹きさらされました。

 

 

宝塚の新しい風を見せてくれたのは、中堅男役たちによるX’mas boxでした。

娘役さんはもちろん素晴らしく娘役さんで、新世代の男役さんたちは、軽やかで美しかった。

湖月わたるさんが、プール行ったら男役の海パン渡されたとか、

娘役さんがお男性に声をかけられてた時にまいれいがやってきて 「あ、男連れだったのね」と去っていくという鉄板ネタは大好きではあるのだが、

最近は、オフショットでは女性にしか見えない男役さんも、とても多くなってきたと思う。

DVDでも、美しい妙齢の女性たちの爽やかな姿が収録されていて、ほほえましかった。

越乃リュウさんに殺される感覚とは全く違う風なのだけれど、このナチュラルさもいいな、と素直に感じました。

 

 

■役名は「男役」

SPEROを見たとき、だいもんは宝塚の舞台には二度とたたないのだ、という当たり前の事実を再確認してしまいました。

退団した方のファンが言う 「同じ人だけど、もう男役じゃないんだもの の言葉は、こういうことか、と痛感しました。

 

生身の女性として、生身のアーティストとして芸のファンであることに加えて、

望海風斗が「男役」という役を演じる姿が好きだったのだ、とつくづく思い知りました。

役の下にさらにもう一つ、タカラジェンヌという役を演じていた姿を崇拝し、尊敬していたのだなあと。

 

 

「男役に完成はない」 とはよく言われるのだけれど、

今まで 「男役」 とは、「ヴァイオリニスト」とか「演出家」というような、職業の名称と思っていました。

だけど、「男役」とは、「トート」 とか「ルキーニ」 と同じ、役名そのものでした。

ルキーニは1公演で終わるけれど、十何年かけた通し役、それが「男役」だったのだな、と。

だから 「男役」 という1つの大役を、自分の納得いく形で演じられたと思った時に、卒業という道を選ぶのかもしれない。

生徒さんなら当たり前にわかっていることが、一観客としてようやく腑に落ちた気持ちです。

 

 

■ジェンヌ道

「タカラジェンヌ」 であり、「男役」であり、「娘役」 であることは、獏とした霞を食って、霞になろうとしているようなもの

他の役者さんと比較もできないし、宝塚の中にしか答えはない。

前例や、型はあっても、自分がどうするかは自分で試行錯誤するしかない。

 

「宝塚って宗教だよね」 と言ってくる輩には (最近はずいぶん減った。いい時代だ)

 

 「宗教っていうより、「道(みち)」だね」 

 

と答えて煙にまくことにしている。

 

茶道でも衆道でも修験道でも、歩けばそこが道である、と小林一三先生も言ってはいないが(言ってませんすみません)、

山奥深き知る人ぞ知る狭き道、ジェンヌ道、きっと令和はより軽やかな足取りの道、に魅せられてなりません。

 

 

2022も、とろ火でゆっくり、劇場の末席にまだ座り続けます。