男女脱皮とか、女声男声の変化の楽しみだとか、そういうことを飛び越えて
エンターテーナー、望海風斗になったのだな、と感じた公演でした。
だいもんのお家芸のハイエネルギーで圧倒される歌声は健在、そこにリリカルで甘やかな歌声が加わって、
しっとりした艶のあるステージでした。
大人が楽しめるコンサートで、お酒を飲みながらステージを見たいな、と思いました。
ビルボードとかでのライブ、モーションブルーでのライブ、待ってまーす。
せとりについては、他の方が沢山書いているので割愛。
シネマ、ミュージカル、ジャズ、ポップスの4パートの構成。
どのパートも名曲ぞろいの中で、この公演のテーマは、過ぎ去ること、愛、再生と旅立ちだと感じました。
■傷心と虚無
映画パートの一人芝居も、つかの間の幻想の時間。
シャレード、カサンブランカのtime goes by、どれも失ったり変わったりしていくお話。
愛も始まって終わり、過ぎ去っていく。
愛と別れを繰り返すうちに、人は愛に倦んで、例えばこう問う。
「傷心と空虚のどちらかを選ばなくてはならないとしたらどちらを選ぶ?」
森瑶子がよく使用した、ゴダールのセリフである。
何もないことを選ぶのか、それでも、愛するのか。
それでも愛する、というのがSPEROの世界。
「ずっとそばにいて」
「そばにいないと誰か沈みそう」(街の灯り)
「人は弱くて寂しいから、知らずに誰かに寄り添う」(ライムライト)
だからこそ、愛する、という答え。
愛を止め、虚無を選んだONCE UPON A TIME In AMERICAに対するもう一つの返歌をもらった気がしました。
大人の愛を歌った素敵な選曲でした。
■旅立ちと再生
もう一つのテーマは、旅だちと再生。
再生と旅立ちの歌は、「星から振る金」(モーツァルト)、「はじまりの朝」(アンジェラアキ)、SPERO、そしてSUPERVOYGER
もちろん、だいもんの宝塚の卒業と、これからの活躍に重ね合わされているのでしょう。
「星から振る金」は、活躍の場を求めてウィーンに向かおうとするモーツァルトに、後援者の男爵夫人が語って聞かせる歌。
「夜の森で、憧れの精がささやく「旅立て」と。」
「なりたいものになるため、星からの金を求め、一人旅に出る」
宝塚OGが歌うことの多い曲で、オサさん、タータンさんの威厳ある歌唱も絶品。
望海さんの歌は、よく鳴ったヴァイオリンの弦のような、高音のドラマティックな緊張感が素晴らしい。
「憧れの精」から語り掛けられているような、だいもんの異界に飛ばす力は健在でした。
SUPERVOYGER、とSPERO。
だいもんのショーの中では、SVが一番好きです。
トップ就任後の期待にあふれた高揚感、野口先生のぶち込みすぎたお祭り感は、今思いだしてもわくわくする。
SUPERVOYGERを歌われた日には、あのときの期待感と、白雪号、そしてだいもんのへんてこな掛け声まで思い出して苦しくなってしまった。
SPERO。
こういう明るくて飛翔感のある曲、望海さんにとても合う。
マフラー巻いて、爽やかに歩いていくような企業CMにどうですかね。
■中音域と色気
このコンサートで一番印象に残った曲は、LALALALOVESONG。
どのカバーのアーティストより、この望海風斗バージョンが好きです。
原曲はグルーピーでポップ。愛しさのあまり踊り出してしまう恋の悦び。
だいもんのLALALAは、ため息を思わせるしっとりしたラブソング。
雨上がりの中で大好きな人を待っているような、恋する女性の歌になってた。
だいもんの大音量、揺さぶられるような大サビの迫力も素晴らしいけれど、だいもんの声の本質はとても柔らかな声だと思う。
空気をふわりとふくんだ優しさが、とても心地よい。
私は、中島みゆきしかり、ユーミン然り(世代がばれますね)、中音域の歌い手さんが大好き。
うんと高い、うんと低い音というのは、だしやすいとおもう。
低音域のベースの確かさや高音域のドライブ感に頼れない中音域こそ、歌い手の力量がしっかり見えてしまうと思う。
望海さんは、この中音域で、しっかりとした厚みのある世界観を出すことができる。
さらっと歌っているよう聞こえるのに、上トロのようなコクと滑らかさ、しっかりとした喉ごしがある。
心地よくて、声で、段々と人肌に温められていくような感じ。
中音域の声に色気がしっかり乗ってるのもたまらない。
在団中、実物の、生き物としての望海さんは、宝塚化粧やスカイステージの1000倍ぐらい色っぽかったのです。
お茶会などで目の前に見ると、その艶っぽさ、生っぽさに、度肝を抜かれてしまう。
媒体でも十分美しいのだけれど、あの生の、腰砕けになるほどの色気が紙面で全然再現されないのが、本当に不思議でしょうがなかった。
その色気が、しっかりと、声に乗っている。素晴らしい。
■望海風斗 イノセントな男役
そして、どの曲にも一貫したイノセンスを感じる。
望海風斗が演じた宝塚の男役を一言でいえば、イノセント、だったと思う。
あの琥珀色のクロードですら、ドン・ジュアンですら、恋に落ちたときはイノセントに見えた。
イノセントとは、他人に要求しないことでもある。
自分の中の思いを見つめること、
他人に自分を差し出すこと、
そんな愛が、望海風斗の歌の中一貫してあるように感じる。
それは散々書いているが、彼女自身が宝塚への献身というイノセントな愛に貫かれていたこともあるだろう。
きっとそのイノセンスは、彼女そのものの中にあるものだから、エンターテイナー・望海風斗としても新しい献身を見せてくれると信じています。
しかし、外部はDVDになるのがおそすぎやしませんか?!!
エリザベートもやきもきしたし、SPEROも来年かい!
いえ、出していただけるだけありがたいんですけど、せめてCDだけでもリリースとか・・・